アムステルダムはじめ各都市の投資集団が合併してオランダ東インド会社が誕生した(写真はイメージ)

前回のコラムではオランダ東インド会社(VOC)誕生前に、同国にはすでに6つの投資集団グループ(カーメル)が存在し、この6つのグループが合併することで、VOCが誕生したことに触れた。しかし、株式会社そのものが存在しないタイミングで、現在の概念でいえば匿名組合のような投資集団同士が、どうやって直接「合併」したのだろうか。今回はこれらについて掘り下げていこう。

投資集団を構成した「機能投資家」と「無機能投資家」

VOC誕生に至る投資集団の合併を、コーポレートファイナンスの視点から眺めたとき、筆者の最大の関心事は、6つの投資集団にすでに出資していた既存投資家が合併に際してどう処遇されたのか、という問題だ。言うまでもなく、各投資集団にはすでに多くの出資者がいた。出資の全体構造はおよそ次のようなものだ。

    まず、各投資集団には事業を担う取締役がおり、すべての取締役は事業に出資していた。この取締役は「機能投資家」といわれた。そして、この機能投資家に対して間接的に出資するが、事業には関与せずその権利もない「無機能投資家」が存在した。

    今日のスタートアップでも、起業家が会社を設立する際に、親や親類、お世話になっている「タニマチ(篤志家)」などから資金を拠出してもらうのは、しばしばあることだろう。(ただし、ここで言わんとしているのは、組合や会社への出資ではなく、創業者個人への資金提供のことである。起業家はこの資金を出資して会社を設立する)。

    これはいわば、「デット(負債)」とも「エクイティ(資本)」ともつかぬ、性質が曖昧な資金といえる。第28回のコラムでコロンブスが自己の出資金を3人のシャドウインベスターから調達した構造と、基本的には同じだ。コロンブスはここでいう機能投資家であり、その裏には3人の「タニマチ(篤志家)=無機能投資家」がいた。


    カーメル出資者は、全員がVOCの株主になったのか


      6つの投資集団には、合計で73名の取締役(機能投資家)がいた。各取締役の背後にいた無機能投資家の総数は定かではない。一方で、合併後の新生VOCの株主数は3000人程度だったという*。

      仮に73名の取締役に出資していた無機能投資家がすべてVOCの設立時点での株主になっていたとしたら、取締役1名あたり平均で30〜40人程度の無機能投資家がいたことになる。問題は無機能投資家の全員が新生VOCの株主になったのか、という点だ。

      筆者はそうではないと考えている。というのは冒頭でも述べたように、無機能投資家が取締役に対して行っていた間接的出資の内容と性質は曖昧かつ多種多様だったはずだからだ。

        ある無機能投資家は取締役の人格や能力に惚れ「漢気(おとこぎ)投資」していただろう。別の者は単なる融資として、元本保証と利子を期待していたかも知れない。そしてまたある者は、もっと大きなリターン(香辛料貿易の成果や植民地からの金や銀などの分け前など)を期待していたかもしれない。

        現在のファイナンス概念で言えば、「確定利付き融資」「タニマチ的漢気援助」「配当期待安定投資」「一角千金のホームランを期待したエンジェル投資」など、リスク選好(リスクとリターンのバランス)が全く異なる様々な性質の資金の出し手が、無機能投資家の中に混然一体となって存在していたはずだ。ChatGPT

        *この3000人という数は、筆者が参照した限りの文献には明記がなかった。そこでChatGPTに質問したところ、この回答を得たので参考として記した。ChatGPTに誤りがあればこの数値も誤りとなる。ただし、仮にこの数字が間違いであっても本稿の要旨に影響はない。


        合併は常に波乱含み。それはリアル「半沢直樹」の世界

        なぜなら、この時点において有限責任制度は少なくとも明確には存在せず、したがって「デット」と「エクイティ」の概念も明瞭に区分されてなかったはずだからだ。筆者のこのような推測がもし正しいのであれば、合併に伴う無機能投資家の混乱は相当なものだったと思われる。

        なにしろ、これまで熾烈なライバル争いをしていたカーメル同士(例えばアムステルダムとゼーラントは特に激しく競り合っていた)である。突然合併して、しかも、相手がどんな出資者を背負っているのか分からないからだ。彼らはきっと合併に際し、大きな不安に駆られただろう。

        「俺が貸した金は帰ってくるのか?」

        「分け前が先に別のグループの投資家に回される(権利が劣後する)のではないか。」

        「突然全然知らないカーメルの奴が私に金を返せといってくるのでは?」

          不良債権問題に揺れた1990年代の都銀合併を思い起こしてみよう。「〇〇駅前の重複支店が統合されたら、支店長になるのはどっちだ?」「上座の机に座るのはどっちだ?」。合併を巡っては、席順一つが時として血みどろの戦いになる。

          筆者も20代のころ、都銀出身の投資銀行家の先輩諸氏から、そんな悲哀話をよく聞かされた。合併は常に、疑心暗鬼と権謀術数の晴れ舞台となるのだ。都銀を舞台にした権力闘争を描いた「半沢直樹」の世界そのものだ。400年以上前のVOCにおける合併もまた、大きな混乱を伴ったに違いない。


          無機能投資家を「債権者」と「株主」に峻別する過程で有限責任制度が生まれた?

          無機能投資家の一部は、こうした不確実性を嫌って、資金の引き揚げを希望したであろうし、そうでなくても、自身の出資と義務(リスク)に対する権利(リターン)をより明確にしたかったはずだ。

          これを解決するために、合併のプロセスの中で無機能投資家はその資金の性質に応じて、「債権者(デットの人)」と「出資者(エクイティの人)」に区分されていったのではないか。筆者はそのように想像する。

          もちろん、無機能投資家の一部は引き続き同じ「タニマチ」の立場で取締役の背後で間接的な関係を維持した可能性もある。しかし、合併という、いわゆる「チェンジオブコントロール事項」が起きたのに、無機能投資家が全てタニマチのままと留まったとは考えにくい。

          そして、出資者(エクイティの人)が、別の知らないカーメルの債権者(デットの人)の取り立てを受けることがないように、VOCの勅許状第42条において有限責任原則が初めて明文化されたのではないか。これが筆者の想像だ。

          残念ながら各カーメルの無機能投資家の名簿や出資額、そしてVOCの3000余名の株主名簿などは現存しないようだ。従って筆者の仮説を事実と突き合わせて検証することは困難であり、あくまで筆者の「想像」である。あるいはオランダ語文献や、海外の東インド会社研究においては、筆者の想像は既に既知のものである可能性も十分あるが、それを発見することが出来なかった。


          VOCの誕生と同時に「出口」も整備された

          そして、このような調整があったとしても、なお合併に反対の者や不安を拭えない者、そしてどうしても資金を回収したくなった投資家もいただろう。合併を成立させるためには、退社(持分の売却)を希望する者に出口(イグジット)を用意する必要があった。

          しかし、会社が自らの資金で出資者の資金償還に応じていたら会社の財産が流出してしまう。これでは会社が存続できなくなり本末転倒だ。そこで株式の譲渡自由が規定され、株式の流通市場(セカンダリーマーケット)が誕生することになる。

          投資家は会社に株を買い取らせなくても、あるいは配当や成功報酬が得られるまで忍耐強く待たなくても、自分の持ち分を機動的に流通市場で「売却(イグジット)」できるようになった。「有限責任」「資本充実」「譲渡自由」。コーポレートファイナンスの骨格を為す大原則が合併を通じてほぼ同時に確立されたのだ。

            VOCの合併成立は、競争に勝つために絶対に合併を成立させたかったオランダの「知恵の結晶」であると同時に「妥協の産物」でもあった。筆者はそのように感じる。VOCは合併によりイギリス東インド会社の10倍規模の資本でスタートした。しかし、その巨大すぎる図体と各カーメル同士の対立の残り火は、後々までVOCの経営を混乱させる要因となった。


            ユダヤ教徒はどうしてVOCの株主になれなかったのか

            これと対照的なのが、後発だったが故に身軽で機動的な「単一新会社」として出発したイギリス東インド会社だ。イギリス東インド会社は、VOCよりも精緻な企業統治(コーポレートガバナンス)の仕組みを確立し、最終的に世界の7つの海と陸地の4分の1とを「ガバナンス」(統治)することに成功した。2つのインド会社の歴史は、M&Aの視点で比較しても非常に鮮やかな対照をなす。

            今回は、VOCを成立させた6つの組合の合併プロセスが、有限責任原則の確立と深く関係しているのではないか、という筆者の想像を述べた。では、このVOCの成立過程において、離散したスファラディユダヤ教徒の人々はどのように関わったのか、あるいは関わらなかったのか。それが次の疑問だ。

            オランダ東インド会社の設立時の株主には、2名のユダヤ人しか記録されていない。(出所:(ジャックアタリ著:世界と貨幣)それも、恐らくユダヤ教徒ではなく、新キリスト教徒、もしくはコンベルソの人々だ。ユダヤ教徒の人々は、どうしてVOC設立時の株主になれなかったのだろうか。次回は、VOCの成立とユダヤ教徒の関係に迫ってみよう。

            (この項つづく)

            文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)