歴史を感じさせる三甲テキスタイルのレンガ倉庫

岐阜県の南西に位置する大垣市は、実は市域が3つに分断されている。もともとの大垣市に加え、2006年に養老郡上石津町と安八郡墨俣町を合併したが、それぞれの町はもともとの大垣市とは隣接していないからだ。

稀有な合併の歴史がある大垣市

1999年から進んだ「平成の市町村大合併」期、もともとの大垣市は西濃地域の関ヶ原町、垂井町、輪之内町、安八町、養老町、神戸町を巻き込んで、すべてを大垣市と合併するで政令指定都市に準ずる中核市を目指していた。

ところが合併話はまとまらず、上石津町と墨俣町だけが合併し、大垣市に編入されることになった。そのため、3つに分断されているかの状態になった。大垣市としては、もともとの市は2つの飛び地を擁しているといったほうがよい状態になっている。

一見、風変わりな合併の歴史を持つ大垣市はまた、水の都・水都としてもつとに有名だ。市域全体に豊富な地下水に恵まれ、この四季の移り変わりを問わず水温の変わらない豊富な地下水は、ガラス瓶の製造をはじめ、さまざまな産業をもたらした。

毛織物も水都・大垣の主要産業の一つだった。愛知県一宮市を中心に、津島市、稲沢市、江南市、岐阜県羽島市など愛知県尾張西部から岐阜県西濃地域、いわゆる尾州エリアは毛織物の産地として知られるが、大垣市もそのエリアに含まれるといっていいだろう。

古いレンガ倉庫と洋館の事務棟

その大垣市に三甲テキスタイルという会社の本社工場がある。本社屋、工場倉庫については110年の歴史を有する。J R「大垣」駅から西に徒歩20分ほど、閑静な新興住宅地と古い街並みを抜けた先に同社はあり、現在も社屋として使われているため一般公開されていない。だが、古いレンガ倉庫と洋館が往時の面影を残しつつ建っている。

このレンガ倉庫と洋館の建設は、1914(大正3)年頃。事務所棟は、木造2階建モルタル塗の洋風建築で、内部の柱や天井には華麗な装飾が施されているという。また、倉庫棟はレンガ造りの建物で、大垣市と一宮市を結び交通量の多い県道18号線に沿って建ち、近代の面影を残す歴史的建造物として市民にも親しまれているようだ。

三甲テキスタイルは2004年に設立され、2006年からは物流関連のコンテナなどを製造する三甲のグループ会社として操業してきた。だが、これら歴史的建造物は同社の歴史よりさらに古く、さまざまな紡績会社の工場などとして操業してきた歴史を持つ。

三甲テキスタイルの正門から見た洋風建築の事務棟

毛織物産業の再編に揉まれて…

同社ホームページでは「三甲テキスタイルの歴史」として大垣工場の沿革を紹介している。それを見ると、まず、工場は1914年に後藤毛織という会社の大垣分工場として設立された。後藤毛織とは、民間毛織物工業の先導者として、かつ大井町(東京都品川区)の開発者ともいわれた後藤恕作が、1880年に創業した後藤毛織物製造所を前身とする。

同工場はその翌年に東京毛織大垣工場に改称する。東京毛織とは、後藤毛織と東京製絨、東京毛織物の3社が合併して誕生した会社である。さらに1927年、合同毛織の大垣工場となった。合同毛織は東京毛織と毛斯綸紡織という会社が合併して誕生した会社で、設立の直後、1929年に倒産した。合同毛織大垣工場を引き継いだのは、1930年に合同毛織の更生会社として創業した新興毛織であった。

合同毛織の倒産時に同社の機械などを買収したのが、後のカネボウ(同社は2008年にトリニティ・インベストメントに吸収合併され、法人として消滅している)となる鐘淵紡績である。そして同工場は、1936年に鐘淵紡績が羊毛事業を開始したことに伴い、その大垣工場となった。

以後はカネボウの大垣工場という状態が続く。1944年の一時期、鐘淵工業の大垣工場となり、1945年には空襲により建物の90%が焼失してしまう。だが同年中に操業を再開し、1946年には再び鐘淵紡績の大垣工場となった。

1951年のことだ。現在の三甲テキスタイルの源流である三甲紡績という有限会社が設立され、現在の大垣工場で毛芯糸の紡績を行い、製品の販売を始めた。その後、1956年には鐘紡毛織物の中核工場として発展を遂げていく。

工場名を鐘紡大垣工場と改称したのは、1971年のこと。その後も同工場では毛織物の最先端生産技術・機器システムなどを導入し、通産大臣賞など各種の賞を授与されている。そして1997年、カネボウ繊維大垣工場に改称した。


大垣市の景観遺産に指定

往来の多い県道18号線沿いに建つレンガ倉庫

三甲テキスタイルの営業が始まったのは前述のとおり2004年のこと。カネボウ繊維の国内での羊毛事業拠点であった大垣工場を、2004年に引き継いだ会社である。90年の歴史を紡いできた建造物は三甲テキスタイルの本社工場となった。

さらに三甲テキスタイルは2007年には紡績工場を新設し、そこに設備を移転。完全一貫工場となり、レンガ棟は倉庫として使われるようになる。そして同工場は2014年に創業100周年を迎え、来年の2024年には110周年となる。

三甲テキスタイルの本社工場として使われるレンガ倉庫と洋館は、昨年、大垣市の景観遺産に指定された。これからも水都、毛織物の産地の1つとして大垣に存在し続けるだろう。

しかし、この工場の110年は、1880年に創業した後藤毛織物製造所を前身とする後藤毛織、後藤毛織と東京製絨と東京毛織物の3社が合併して誕生した東京毛織、その東京毛織を引き継いだ鐘淵紡績、カネボウ、そして2004年に設立し2006年に三甲の分社化によってグループ会社として操業を続ける三甲テキスタイルと、工場所有者・利用者である毛織物産業・業界・企業の再編・盛衰の波に揉まれてきたという見方もできる。

文:菱田秀則(ライター)