「せっかく『東証マネ部!』で連載を始めたんだから、東京証券取引所に行ってみたい!」ということで、今回は小島瑠璃子さんと一緒に東証Arrows(アローズ)見学へ。

東証Arrowsは、かつて株券売買立会場だった場所で、現在は投資家に対して市場情報をリアルタイムで発信する場となっている。ちなみに、当時の東証のロゴに矢が2本描かれており、そこから、東証Arrowsという名前がつけられたようだ。

実は、小島さんの祖父は元証券マンで、東京証券取引所で場立ち(株式の売買注文を伝達する証券会社の取引担当者)をしていた時期があるそう。そんな縁を感じながら、東京証券取引所 金融リテラシーサポート部の長谷川高顕部長に案内してもらった。

三越・トヨタ自動車を表す「手サイン」って?

東証Arrowsを象徴する円形のマーケットセンターを見るなり、「よくニュースで見る場所だ!」と、テンションが上がる小島さん。展示されている上場の鐘の前では、「私も上場の鐘を打ちたい! 株式会社小島瑠璃子を立ち上げようかな(笑)」と、大胆なアイデアも飛び出した。

昭和33年(1958年)頃に撮影されたモノクロ写真のパネルの前では、当時の株券売買立会場のシステムに関する話で盛り上がった。

長谷川「現在の東証Arrowsは、すでに株券の売買はすべてシステムに移行していて、マーケットセンターの中で株価監視の業務の一部を行うだけですが、当時は2000人くらいの場立ちの方がこの場所に集まり、手サインを使って、どの銘柄を、何円で、何株、買う・売るという注文の情報を伝えて売買を行っていたんです」

小島「場立ちをしていた祖父はもう亡くなっているんですが、いまの無人の景色を見たら寂しがるかもしれないですね。この写真で、1人だけ上に立ってる方は何をしてるんですか?」

長谷川「この人は取引所の職員で、確定した株価を黒板に書く担当です」

小島「手書きだったんですか!? きっと、当時もものすごい速さで取引されてましたよね」

長谷川「売買が成立すると、『どの銘柄にいくらの値がついた』という情報が手サインで伝達され、黒板に書きこまれていくんです。現在と比べたら取引の速度はゆっくりだったと思いますが、特定の銘柄に大量の注文が集中すると、場立ちも黒板に書く人も慌ただしくなり、特別な技能が必要だったでしょうね。昭和60年(1985年)には株価の電光掲示板ができて、取引のシステム化が進み始めました」

小島「それまで黒板だったということは、私の祖父も手サインをしていたということですよね」

長谷川「きっとそうなりますね。手サインは銘柄ごとに決まっていて、すべての情報を手で伝えていたんです」

小島「どんな銘柄のサインがあったのでしょう?」

長谷川「例えば、中指、薬指、小指を立てて3を表現して、その手を頭の前から後ろに持ってくると“3が越える”で…」

小島「『三越』だ! 面白いですね!」

長谷川「ほかにも、顔の前でカタカナの“ト”を書いた後に、ハンドルを握る仕草をすると『トヨタ自動車』。このような形で、銘柄のサインが決まっていたんです」

小島「その頃に上場していた会社って、どのくらいあったんですか?」

長谷川「小島さんのおじいさまが場立ちをやられていた当時は、おそらく、およそ2000銘柄弱でしたでしょうか」

小島「たくさんの銘柄の手サインを覚えていたってことですよね。そんなやり方で当時は売買をしていたって、改めてすごいな」

東証の“パワースポット”にも潜入


東証Arrowsを一周するように設けられた見学回廊には、東京証券取引所の歴史を振り返る写真が多数展示されている。

小島「最初の写真は、なんだかおしゃれですね」

長谷川「東京証券取引所の前身の東京株式取引所は1878年にできたんですが、第二次世界大戦時に一度閉鎖され、終戦後は一時建物をGHQに接収されて、宿泊施設やダンスホールとして利用されていたそうです。そのときの写真ですね」

小島「だから、いまと少し雰囲気が違うんですね。1973年の外国株式市場の開設の写真もありますが、このときに初めて外国の銘柄が東京証券取引所で買えるようになったということですか?」

長谷川「おっしゃるとおりです。当初は、世界的に有名な外国企業6社が上場しました。1986年には外国の証券会社も日本のマーケットに参入してきて、国際化が進んでいきました」

小島「東証さん的には『ついに外国が入ってきたな』という感覚だったんでしょうね」

長谷川「そうだと思います。1986年というとバブル景気が盛り上がってくる時期で、日本企業の株価もどんどん上昇していたので、外国の証券会社が参入したいと考えるのも自然な流れだったと思います。現在の日本市場は、外国の投資家なしには語れないマーケットになっていますけどね。その後、株券の売買は段階的にシステム化が進み、1999年に株券売買立会場は閉場となり、株券の売買は完全にシステムに移行しました」

小島「いろんなところに歴史が刻まれているんですね。これまでの歴史を伺うと、閉場はぐっとくるものがあります。たくさんの人が集まってやり取りすることがなくなると思うと、なんだか寂しいですね」

長谷川「東証Arrowsの先にある東玄関は、この建物の顔ともいえる場所ですが、実は真東ではなく、ちょっと南に寄っています。南東は風水で『辰巳の方角』と呼ばれ、ここに玄関を設けるといい運が入ってくるといわれているんです」

小島「つまり、この東玄関は幸運の場所なんですね」

長谷川「そうなんです。さらに、玄関から内側にかけて末広がりの扇形にして、運気もより入りやすくしているんですよ」

小島「なるほど。実家を建てたときに、参考にさせてもらえば良かったです(笑)」

日本のマーケットに外国人投資家が参入する理由

――東証Arrowsを見学してきましたが、初めての東証はいかがでしたか?

小島「来させていただくことが決まってから、祖母に電話をしたんですよ。祖父の仕事について聞くために。そこで『場立ちをしていたんだよ』って聞いて、今日実際に場立ちの方々の写真を見て、東証さんの歴史を知って、私自身のルーツも知れた気がしました。普通に来ても楽しかったと思うんですが、祖父との縁があって、より興味が湧いたし、意味のある時間になったなと感じています」

長谷川「思いがけないご縁ですよね。小島さん自身も住宅を購入されたり、投資を始められたりして、経済を勉強されているところということで、そのタイミングで来ていただけたのも良かったのかなと思います」

小島「本当に、いま来られて良かったです! 取引の場がシステムの向上で変化していったり、外国の証券会社が入ってきたり、その歴史を経ても変わらない建物があったり、市場の変遷が見えて、勉強になりました」

長谷川「その流れがあって、いまは投資の国際化がますます進んでいて、東証での取引の6割以上が外国人投資家なんですよ」

小島「どうしてそんなに外国人の方が多いんですか?」

長谷川「今や投資マネーは世界の市場を巡っています。投資家目線でいうと、たくさん売り買いの注文が集まる流動性の高い市場が魅力的で、東証も世界的にも処理能力の高い高性能な売買システムを構築して多くの投資家に売買してもらっています。また、日本企業からしても、日本に限らず世界中の人に投資を募った方がたくさんの資金が集まる可能性があるので、外国人投資家への情報発信も積極的に行われています」

小島「だから、外国人の方が東証のマーケットを利用しているんですね」

長谷川「一方で、日本人の投資がまだまだ少ないという課題もあります。やはりここは日本の株式市場ですので、多くの日本人の投資家にも売買をしていただきたいと思っています。今年3月に日本銀行が公表した昨年12月末現在のデータでは、日本全体の個人の金融資産は2000兆円を超える水準にまで増加しましたが、そのうち半分が現預金となっているんです」

小島「預貯金として、銀行に眠っているということですね」

長谷川「そうなんです。個人の金融資産の半分が現金や預貯金のまま十分に働けていていないといえましょう。一方、海外に目を向けてみると、現預金の割合は少なく、個人投資家が株式や投資信託を購入して、資産を増やしているという実態もあります」

小島「外国と同じように、日本のお金がもっと投資に回るようになれば、会社の成長にもつながるでしょうし、経済も上向きに変わる可能性が出てくるということですよね。そのための施策として、NISAやiDeCoがあるのでしょうか?」

長谷川「おっしゃるとおりで、投資が増えると経済も元気になります。国も投資をしやすい仕組みを整えて、皆さんの資産形成の後押しをしています。小島さんもつみたてNISAを始めたんですよね」

小島「まだまだ投資初心者ではありますが、私もお金を働かせていきたいと思います」

東証の歴史を振り返ることで、株式投資の奥深さを知り、より強く興味を持った小島さん。次回は、長谷川部長に、株式市場において東証が担っている役割について伺います。

(取材・文:有竹亮介/verb 撮影:鈴木真弓)

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