この国の社会には、生まれ年が1年違うだけで「得する世代」と「損する世代」に明暗が分かれる世代間の断層がいくつもある。

 例えば、60歳定年と同時に年金が支給されて“悠々自適”の老後を送っているように見える団塊世代(1947〜50年生まれ)は「逃げ切り世代」、65歳になる前に“得する年金(部分年金)”を受給できる次の新人類世代(1955〜64年生まれ)は「半逃げ切り世代」、65歳になるまで年金をもらえず働かなければならない団塊ジュニア(1970〜84年生まれ)は逃げ遅れた「貧乏くじ世代」と呼ばれる。

 年金だけを見ると各世代には老後の生活費に明らかに経済的格差が生じる。

 そうした世代間格差は、生まれた時から決まっているわけではない。団塊世代が生まれた時の日本の年金制度は自分が積み立てた保険料を老後に受け取る「積み立て方式」だった。これなら、将来少子化が進んでも、年金財政がパンクする心配はなかった。

 ところが、団塊世代が社会に出て働き、保険料収入が積み上がると、政治家たちは票をもらうためにその金を高齢者対策などにバラ撒いた。労働人口が増えていく高度成長期は矛盾が表面化しなかったが、年金を受け取る高齢者が増えると年金財政が急に行き詰まり、政府は年金支給開始を60歳から段階的に65歳まで引き上げる年金大改悪を行ない、将来の支払い額を減らした。新人類世代が社会人になった1985年のことだ。

 現在の世代間格差の正体は、政治家が年金失政のつじつまを合わせるための制度改悪でつくり出した世代間の不公平なのだ。だから、世代間の損得の境界線は、これからも政治判断でどんどん変えられていく。

 この4月、政府は75歳以上の後期高齢者が病院の窓口で支払う医療費の自己負担を一挙に2倍(1割から2割)に引き上げる方針を打ち出した。人口が多い団塊世代が後期高齢者になる前に値上げし、75歳になっても医療費を下げない仕組みをつくろうという政策だ。

 団塊世代は年金60歳支給で他の世代からは恵まれているように見えても、医療費では負担増のターゲットにされて「損する世代」になるのだ。

「教育」「就職」「出世」「住宅」「結婚」などの面でも世代によって恵まれていたかどうかの環境は違う。

 新人類と団塊ジュニアに挟まれたバブル世代(1965〜70年生まれ)は好況期に青春を謳歌して就職状況も恵まれていたから、就職氷河期に直面した団塊ジュニアからは「勝ち組」と思われている。

 本当にそうなのか。「損した世代」と「得した世代」は政策の失敗とつじつま合わせでそう思わされていることが少なくない。アベノミクスの金融政策や女性活躍社会、働き方改革、税制が少し変わるだけで世代の損得は入れ替わる。

 だから、世代間で反目し合えば本質を見失う。重要なのは、少子高齢化で社会の矛盾がどんどん広がる中、政治家が次にどこに世代間の損得の境界線をつくり出そうとしているかを見抜いて備えることだ。

※週刊ポスト2018年5月25日号