かつて昭和の高度経済成長期には、企業の業績が右肩上がりで、終身雇用で生活が守られつつ年功序列で出世し、給料が上がっていくのが当然だった。しかし、いまやそのような日本型雇用システムは機能不全を起こし、労働者を“不幸”にしているのが現状だ。

 そうした状況から安倍政権も「働き方改革」を進めているが、本来、労働者を守るはずの労働組合はどのように機能しているのだろうか。最新刊『働き方2.0vs4.0 不条理な会社人生から自由になれる』(PHP研究所刊)も話題の作家・橘玲氏が解説する。

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 日本型雇用慣行の最大の「不都合な真実」は、正社員と非正規社員で「同一労働同一賃金」の原則がかんぜんに無視されていることです。給料の格差、解雇の容易さから社宅や住宅手当・家族手当などの福利厚生まで、あらゆる面で非正規は劣悪な労働条件に置かれており、これほど搾取されている労働者は先進国ではまず考えられません。

 労働組合も同じで、彼らが守っているのは「労働者の権利」ではなく「正社員の既得権」です。派遣社員や契約社員の雇い止めが大きな社会問題になったときも労働組合は見て見ぬふりをしていましたが、これも当たり前で、非正規の「人権」を守ると自分たちの既得権が「破壊」されてしまうことを知っているからです。

「働き方先進国」といわれる北欧の雇用制度を視察に来た日本の労働組合関係者が、最初は意気揚々としていても帰国するときには「見なかったことにしよう」になるという話は、北欧在住の日本人研究者のあいだでは広く知られています。世界標準のリベラルな制度には「正社員」は存在せず、自分たちがこれまでバカにしてきた非正規と「平等」になってしまうことがわかったからです。

 なぜそんな重要なことが報道されていないかというと、その理由はものすごく単純で、「リベラル」を自称する新聞社や出版社などでも非正規雇用は当たり前で、「同一労働同一賃金」の原則などまったく守られていないからです。テレビ局の制作現場にいたってはさらに悲惨で、同じテレビ番組をつくっているように見えても、局の正社員と下請けの待遇は主人と奴隷ほど異なりますから、「働き方改革」のまともな報道などできるはずはありません。

 こうした「リベラルの欺瞞」の象徴が、つい最近まで連合が主張していた「同一価値労働同一賃金」です。

 安倍晋三首相が2018年の施政方針演説で「同一労働同一賃金を実現し、非正規という言葉をこの国から一掃する」と宣言してから「働き方改革」は一気に進み、裁判所でも非正規の原告の主張を認める画期的な判決が相次いでいます。

「同じ仕事をすれば、身分や性別、人種などのちがいにかかわらず同じ賃金が支払われる」というのはリベラルな社会の大前提ですが、「リベラル」を自称する労働組合はこれまで同一労働同一賃金に頑強に反対し、「日本には日本人に合った働き方がある(外国のことなど関係ない)」として「同一価値労働同一賃金」を唱えてきました。排外主義(ネトウヨ)と見まがうようなこの奇怪な論理では、「正社員と非正規は同じ仕事をしていても労働の「価値」が異なるから、待遇がちがうのは当然だ」というのです。

 これは要するに、正社員と非正規は「身分」がちがい、人間としての「価値」がちがうということでしょう。ところが(一部の)労働経済学者を含むリベラルな知識人はこのグロテスクな論理を批判しないばかりか、保守派とともに「日本的雇用を守れ」と大合唱し、非正規への身分差別を容認してきました。

「人権」と「平等」を金科玉条とする労働組合は非正規などという「身分」を認めず、親会社と子会社の「身分格差」もなくし、海外で採用した社員を「現地採用」として「本社採用」の日本人と「国籍差別」するようなことはぜったいに認めないはずです。

 ところがこれらはすべて日本企業が当たり前に行なっていることで、そこには必ず労働組合があります。だとしたら、彼らのいう「人権」や「平等」とはいったい何なのか?

 マスコミも含め日本の企業や官庁、労働組合などを支配しているのは「日本人、男性、中高年、有名大学卒、正社員」という属性をもつ“おっさん”で、彼らが日本社会の正規メンバーです。そんな“おっさん”の生活を守るためには「外国人、女性、若者、非大卒、非正規」のようなマイノリティの権利などどうなってもいいというのが「平成」の30年だと考えれば、日本がなぜこんな社会になったのか理解できるでしょう。