電通、エイベックスなど大手企業の本社ビル売却の動きが相次いで報じられた。企業の“本丸”ともいえる本社を手放すとき、そこには多くのドラマが生まれる。

 東京・港区汐留にそびえ立つ48階建ての電通本社が売却される。不動産大手のヒューリックと交渉が始まり、売却金額は3000億円規模になると見られている。

 汐留地区の再開発「汐留シオサイト」の先陣を切り、2002年に完成。当時の会長だった成田豊氏は竣工の日に「東京の新しい情報・文化の発信地として発展していく」と挨拶した。まさに“電通の顔”ともいえるビルだ。

 昨年12月には、エイベックスが港区南青山の本社ビルをカナダの不動産ファンドに700億円強で売却すると決定。完成から3年での決断だった。不動産ジャーナリスト榊淳司氏が語る。

「コロナ禍での業績不安の背景に加えてテレワークの普及で、自社ビルの必要性が薄れたことが大きい。東京の不動産価格は高止まりしているので、今のうちに処分したほうがメリットが大きいと考える企業が多い」

 かつて自社ビルを持つことは企業にとって成功の証で、会社の信用を担保する面もあった。創業者の悲願や、ワンマン社長の決断による建設というケースも少なくない。それゆえに売却には大きな葛藤が生まれる。

 売却理由として多いのは業績悪化による売却だ。

 NECは港区三田に高さ180mの「NECスーパータワー」を1990年から本社としていたが、2000年に約900億円で証券化した。東京商工リサーチ常務取締役情報本部長の友田信男氏は言う。

「“NEC王国”を築いた関本忠弘相談役が自分の力で建てたという思いを込めたビルでした。しかし、半導体で台湾・韓国が台頭して業績が悪化し、2000年当時の西垣浩司社長はキャッシュ調達のためにビルの証券化を試みた。社内では関本派の激しい反発もあったが、背に腹は代えられなかった」

 同じく、社内で売却に抵抗が大きかったのがソニーだ。ソニーは2007年に北品川の御殿山から港区港南に本社を移転。2014年には旧本社ビルを161億円で売却した。

「業績悪化の中で2012年に社長に就任した平井一夫氏が経営の大改革を進め、本社移転もその一環でした。しかし、御殿山は創業者の盛田(昭夫)・井深(大)の時代から“もの作りのソニー”を象徴する場所だった。反対の声もあったが、当時の幹部社員は『売却なくして復活は無理だ』とやむを得ず受け入れていた」(経済ジャーナリストの福田俊之氏)

よくぞ取り戻してくれた

 苦難の時代からの脱却を、本社ビルで示した企業もある。

 1980年代前半、アサヒビールは業績不振に陥り、東京の本拠地だった墨田区・吾妻橋工場の売却を余儀なくされた。『経済界』編集局長の関慎夫氏は当時をこう語る。

「経営再建で住友銀行から乗り込んできた樋口廣太郎社長が1987年に『スーパードライ』を大ヒットさせて、吾妻橋工場があった土地を買い戻し、1989年に新本社ビルを建てた。社員は『よくぞ本社を取り戻してくれた』と語っていて、同社は2001年にビール類シェアで業界トップに上り詰めた。

 一方、ライバルのキリンは、2013年に渋谷区原宿と中央区新川の旧本社ビルを売って中野区へ引っ越し負債の返済などに充てています」

 しかしキリンは中野へ移転後、『本麒麟』の大ヒットなどで絶好調。昨年は11年ぶりに首位を奪還した。

“本社”を取り戻そうとしたものの、叶わなかったのがシャープだ。2015年、経営危機に陥っていたシャープは大阪市阿倍野区にあった本社ビルと田辺ビルを合計約188億円で売却した。

 2016年4月に台湾の鴻海傘下に入ると、戴正呉社長(当時)は「シャープの歴史がある場所だから、できれば買い戻したい」という意向を示した。田辺ビルは買い戻せたが、本社ビルは叶わなかった。

「シャープは東京で創業していますが、関東大震災で工場を焼失し、大阪の田辺で再起を図った。戴正呉氏は日本人のメンタリティをよくわかっている人で、社員をまとめるために取り戻そうと考えたのでしょう」(関氏)

 やはり自社ビルには様々な思いが詰まっている。今後、電通やエイベックスのように自社ビルを手放す企業は増えるのか。

「本社を所有して資金を寝かせることは財務戦略的にデメリットだと考えている経営者は多い。この傾向はますます進むと思われます。個人的には企業の“社風”や“個性”が失われていくことにつながる気がして、寂しい気がしますね」(関氏)

 企業のプライドの在り方も変わっていくのだろうか。

※週刊ポスト2021年2月12日号