2021年から遡ること41年、自社開発のセンターデフ式フルタイム4WDを搭載する初代クワトロを発売したアウディ。以後、それはアウディを象徴するテクノロジーであり続け、プレミアムブランドとしての先進性/独自性を決定してきた。連綿と続くクワトロの価値を、先ごろ開催された「quattro MOMENT EXPERIENCE」から改めて読み解く。(Motor Magazine 2021年12月号より)

アウトバーンでの高速走行性能の向上を視野に入れて開発

クワトロシステムが誕生して41年目を迎えた2021年秋、アウディは南フランスに歴代のクワトロシステム搭載車を集めて「クワトロ モーメントエクスペリエンス」と名付けた一大イベントを開催した。集合したのは正確にはチュリニ峠とサン・レモからサン・ロムーロに続くラリー・モンテカルロで知られる伝説のロケーションである。しかもこのセクションで自ら歴代のクワトロシステム搭載車のハンドルを握れるという絶好のチャンスも与えられていた。

さらには1984年にクワトロでWRCチャンピオンを獲得したスティグ・ブロンクビストのナビゲーターシートに収まって、ラリーのスペシャルステージの迫力を体験するプログラムまで用意されていた。

さて、アウディ クワトロには、個人的に深い思い入れがある。まず、1980年のジュネーブオートサロンで発表された最初のクワトロ、いわゆる「ウア(初代)・クワトロ(開発コード:タイプ85)」の試乗会に数少ない日本人のひとりとして参加できたことだ。それを可能にしてくれたのは、当時アウディジャパンの前身である連絡事務所の所長であったロバート・ヤンソン氏であった。

ジュネーブ郊外の峠道に雪が残る、4WD搭載車のテストとしては絶好のコンディションだったが、私は緊張のあまりハーフスロットルで危うくエンストしそうになったほどである。

鮮明に覚えているのは、素晴らしいトラクションだ。上り坂のコーナーを、経験したことのないスムーズさであっという間に通過したことである。その後、クワトロの開発に携わっていたエンジニアのひとりであるワルター・トレーザー氏と取材を通じて知り合った。生まれたばかりだった私の娘の名前がスバル(昴)だと言ったら、「もし今度、男の子が生まれたらピエヒさんから許可を取って名前は『クワトロ』にしよう!」と冗談を言ったのも覚えている。

ところで4WD乗用車といえば、初期は1960年代の英国におけるファガーソン・リサーチのシステムを採用したフルタイム4WDのジェンセンFF(1966年〜1971年)に始まり、スバルは1972年にレオーネ 4WD エステートバンの市販を始めている。

スバルの4WDはパートタイム式で、トラクションを必要とする時にだけトランスファーによって4WDに切り替えるシステムである。そうしないと、ミューの高い路面でコーナリング時に前後タイヤの回転差を逃がすことができず、タイトコーナーブレーキング現象が起こってエンジンストールしてしまう。これをアウディはセンターデフを設けることで解決したのだ。

そのアウディは、自社の4WDシステムを最初からオフロード専用ではなく、ドイツのアウトバーンでの高速ツーリングにも使用可能なスポーティな仕様にしようと考えていた。同時に、アウディはフロントにオーバーハングしたエンジンを搭載したFFだったので、パワーが上がるとスリップして駆動力に無駄が出る。そこでリアにも駆動力を伝えて、走破性とは別の利点を生み出せると考えたのだ。

そして独自の4WDシステムが持つ優位性とその可能性を世に知らせるためにWRC(世界ラリー選手権)に参戦、何度も優勝を重ねたことで「クワトロ」の名は世界中に広まったのである。

余談になるがこのクワトロシステムがいかに優れており、しかも扱いに特別なスキルを要求しないことを表すエピソードがある。1981年にクワトロで複数回の優勝を果たした女性ドライバーのミシェル・ムートンに対して、当時後輪駆動に乗っていたワルター・ロールが「クワトロに乗れば猿でも勝てる!」と冗談を言ったのだとか。これはクワトロの逸話として今も語り継がれている。

さらに「クワトロ」を世間に知らしめたのが、巧みな広告スポットだ。1986年にアウディ100CSをフィンランドの有名なカイポラ(Kaipola)シャンツェへ持ち込んで斜度80%のジャンプ台を登らせたシーン、あるいはエスキモーが雪原で子供に動物の足跡を教えている時にタイヤの跡を見て「これはクワトロだ!」と語ると「雪道でクワトロを追い越そうとするな!」というコピーが入る点はいまも記憶に残る。

こうした販促の成功もあってクワトロシリーズは1980年から現在までになんと1180万台が販売されたのである。

歴代を代表するクワトロのシステムを振り返ってみた

話を元に戻そう。イベント当日、久しぶりに対面したアウディクワトロは「ウア・クワトロ」と呼ばれる初代モデル。クワトロシステムは発売当初はベベルギア式センターデフとふたつのデフロックを備えたシステムであった。しかし、年々改良が行われ、1982年には両方、あるいはリアのロッキングシステムはマニュアルでオン/オフが可能になっていた。また1986年にはトルセン式センターデフが採用され、ウインタードライブでの性能向上が図られた。

ちなみに1984年にはグループBのホモロゲーション取得を目的にホイールベースを320mmも 短縮したスポーツクワトロを発売、200台のホモロゲーションをクリアするためにS1、その進化版のE2などバリエーションが加わった。

この初代クワトロの後継車として開発されたのが1990年に登場したS2である。搭載されたエンジンも2.2Lの5気筒ターボで、最高出力は220psだった。そしてこのモデルから現在のようにクーペのみならず、セダンそしてアバント(ワゴン)とクワトロシステムがすべてのボディバリエーションに搭載されるようになった。

一方、横置きエンジン搭載モデルのA3やTTのクワトロ仕様に、エレクトロハイドロリックマルチプレート多板クラッチからなる通称ハルデックスカップリングが採用されている。このように「クワトロ」と言ってもさまざまなシステムを適材適所で採用しているのである。

仕組みは進化を遂げながら思想は誕生時と変わらない

新型RS3の試乗も交えながら歴代のクワトロシステム搭載車の試乗を終え、最後に乗ったのが最新のスポーツBEVであるeトロンGTだ。しかも走ったのはモンテカルロラリーのスペシャルステージとして有名なチュリニ峠だ。

全長4.99m、そして全幅は1.96m、さらに空車重量2.35トンの巨体を前にして最初は「ぜったいに無理!」と思った。

しかし、走り出すやそのサイズやウエイトを感じさせない走りを見せたのである。それを可能にしているのは低い重心高、チャンバーエアサスペンションによるロールコントロール、正確無比かつゴーカートフィールを持ったシャープなステアリングシステム、そして0から100%まで臨機応変に前後輪にトルクを配分するエレクトリッククワトロシステムだ。もちろん、BEVならではのピックアップも素晴らしかった。

クワトロシステムの変遷を辿った今回のイベント、その誕生から現在まで驚くほどの進化を改めて確認できた。しかも単なる進化に止まらず、環境への配慮など細部にまで配慮が行き届いている。

一方、変わらないものは彼らの4WDシステムへの考え方だ。AからBまでを、安全に、快適にそして運転する楽しみを提供するダイナミック性と環境への配慮を配りながら、高い品質と信頼性を持って提供することである。その信念こそが「Vorsprung durch Technik(技術による先進)」なのである。

最後に、またまた個人的なことを述べさせていただくと、我が家のあるアメリカのオハイオ州は四季の変化が激しく、厳寒と積雪の冬、そして猛暑と豪雨の夏に悩まされるが、年間を通じて確かな伴侶になってくれるのはアウディ A5の2.0クワトロであることを蛇足ながら付け加えておく。(文:木村好宏/写真:キムラ・オフィス、アウディAG)