具体的な監督名を何人か思い浮かべてみてもわかるように、予算的にも環境的にも作品の撮影に数週間から長くても2、3か月程度しかかけることができない現在の日本映画界において、監督の創作ペースは「その監督が周囲からどれだけ求められているか」、あるいは「監督自身の創作意欲がどれだけ高まっているか」を示す大きな指標となります。2018年の『日日是好日』の大ヒットに続いて、2019年は2本の新作が公開、コロナ禍の2020年も7月公開の『MOTHER マザー』に続いて矢継ぎ早に『星の子』が現在公開中。監督としてのデビューから15年を経て、まずはその創作ペースだけとってみても、現在の大森立嗣監督は一つのピーク期にあると言ってもいいでしょう。

でも、大森監督はそんな前のめりなこちらの姿勢をスルリとかわしてみせます。作品がヒットしても別に新しいオファーはこないし、2020年は最初から休むつもりだったし、別にここ数年もこれまでとは変わらない、と。そんな「つれなさ」は、あるいはその作風にも通じていると言ってもいいかもしれません。『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(10)の松田翔太や高良健吾や安藤サクラ、「まほろ駅前」シリーズの瑛太や松田龍平、『さよなら渓谷』(13)の真木よう子、『セトウツミ』(16)の池松壮亮や菅田将暉、『日日是好日』(18)の樹木希林や黒木華や多部未華子、『MOTHER マザー』の長澤まさみ、そして『星の子』の芦田愛菜。大森作品は常にそんな役者たちの忘れがたい「新境地」や「別の顔」を引き出しながらも、そこで監督の作家性を指摘しようとすると足元を掬われるような天邪鬼なところがありました。
今回のロングインタビューは、そんな大森監督のこれまでつかみどころのなかった作家性を、なんとか浮き彫りにしようという試みです。そこでのそのひとまずの結論は、まさかの“いいかげんさ”となりましたが、実は現在の日本で映画を撮り続ける上でその“いいかげんさ”は、とても重要な美徳なのかもしれません。

宇野維正(以下、宇野)「最新作『星の子』がとてもすばらしくて、その話も追ってさせていただきたいんですけれど、まずは大森監督の過去作について振り返っていきたいと思っています。最新のトピックとしては、『日日是好日』が新型コロナウイルスによるロックダウン期間を経て営業再開したばかりのフランスやベルギーの映画館でヒットしているというニュースが届いてます」
大森立嗣監督(以下、大森)「わりとお客さんが入っているみたいですね。その前に、韓国でも結構入ったんですよ。あとは、台湾や香港でも公開されたのかな」
宇野「日本でも『日日是好日』は興収13億円という、これまでの大森監督の作品の中でも最大のヒットになったわけですけども。日本の興行は樹木(希林)さんが亡くなられたばかりのタイミングだったということもあったわけですが、海外での好リアクションはあの作品の本来の力を証明したと言ってもいいですよね」
大森「うーん。どうなのかな。うれしいっちゃうれしいですけども、自分でなにかを大きく変えて作った作品というわけではないので、あんまりそういう実感はないかもしれないですね」
宇野「でも、やっぱりこうして作品が当たると、いろんな話が来るとか、そういうこともあるんじゃないですか?」
大森「いや、話は来ないですよ。『日日是好日』をやってからは、なにも来てない(苦笑)。どっちにしろ、2020年は丸1年休むつもりだったし」
宇野「そうだったんですか(笑)。でも、ここにきて2年で4本と作品のペースも上がってきてますよね。今年も『MOTHER マザー』の後すぐに『星の子』が公開されて。作品的にも、毎回ちゃんと商業的なフックというか、ある種のキャッチーさがあるというか。監督としてデビューされて今年で15年目なわけですけど、ここにきてキャリア的には一つのピークにきている印象があるんですけど」
大森「『さよなら渓谷』と『ぼっちゃん』も同じ年(2013年)に2本撮って、そういう実感はあの時の方があったかな。特に『ぼっちゃん』はほぼ完全にインディペンデントなかたちでやれたので、あの映画と『さよなら渓谷』のような商業性もある作品を、同じ年に撮れたという手応えは大きかった。いまは、たまたま2年連続で2本ずつ撮って公開されているわけですけど、少しは映画作りというものに慣れてきたから、あまり心を乱さずにできているし、経験が増えた分だけやりやすくなっているところはありますけど。自分の中ではあまり大きく変わった気もしていないんですよね。それに、ほら、同年代にも白石(和彌)くんみたいに、ずっと年に3本撮ってたりする監督もいるわけだし」

宇野「あと、今泉(力哉)監督とかも」
大森「まあ、今泉くんは後輩だから、あんまりわかんないんだけど(笑)。でも、彼もすごいですよね。完全にインディペンデントなところからきてますからね。そういう意味では心強い。白石くんは年も近くて、若松組から出てきたという点でも、ちょっと自分と近い匂いがするなと思っていたんだけど。ただ、白石くんと一回対談したことがあるんですが、彼はプロ意識がすごく強くて、俺とはまたはちょっと違うなと」
宇野「娯楽映画志向も強いですしね」
大森「はい、そこも違うし。宇野さんは“キャッチー”という言葉を使ってくれましたけど、俺の作品は『キャッチーなのかな?』って(笑)」
宇野「少なくともある時期までは、そこをあえて避けてきたようにも見えます」
大森「それはね、避けてきたというか…。映画作りって、本作りから公開まで期間が長いじゃないですか。その長い期間をちゃんとつきあえる作品っていうことでいくと、自然とそうなっていくんですよね。自分で企画を選んできた気もあまりなくて。『日日是好日』と『星の子』は吉村(知己)さんというプロデューサーとやっていて、俺が企画を出したわけではないので、やっぱりちょっと他の作品とは色が違うなというのはわかるんですけど。でも、『このくらいの引き出しは余裕であるぜ』という気持ちもちょっとあってね。だから、自分としては、なにかを変えた気分はないんですよ」
宇野「大森監督の作品は、日本社会の中のアウトサイダーを描くことが多いじゃないですか。今年の『MOTHER マザー』も『星の子』もそうですし。でも、『日日是好日』はそうではない作品ということもあって、多分、これまで大森監督のことを全然知らない観客もたくさん映画館に押しかけたんじゃないかなって」
大森「でも、(『日日是好日』で描いた)お茶室というのも、社会との接点がない場所なんですよ」
宇野「ああ、なるほど。お茶室という場所自体が社会の外側にある場所だと」
大森「そう。自分があの企画でおもしろいなと思ったのは、そこの部分で。まあ、実はその場所にはとても多くの人がいて、だから日本でもヒットしたんだろうし、海外の観客もそこにエキゾチックな興味を見出してくれたんでしょうけど」
宇野「例えばーーこれは実際に知り合いにそう言った人がいるんですけどーー『MOTHER マザー』を観て『どうしてこんな救いのない映画を作るんだろう?』って思う人もいるわけじゃないですか。あの作品は原作ものでもなくオリジナル作品だったわけですが、『どうして映画を観て、わざわざ2時間つらい思いをしなくちゃいけないのか』と」
大森「そういう人がいるのはわかるんです。でも、自分の記憶でいくと、やっぱり原一男の作品を見た時の衝撃って一生忘れないんですよ。今村昌平の映画もそうですけど。そういう作品を若い時に観た記憶が、大事なものとしてずっと残っているので。映画を作るのってけっこう大変なことだから、どうせ作るなら、そういう人の記憶に残る映画を作りたいという気持ちがあるんですよ。ただ消費されていく、忘れられちゃうものよりも。映画の歴史には、そういう映画の枠がずっとあるじゃないですか。だから、やっぱり歴史が自分にそうさせてるのかな。『MOTHER マザー』なんて、『やりたい』って言ったって、普通はできないような企画ですもんね。あんなキツい話。でも、きっと記憶には残るよね」
宇野「ある意味、観客のトラウマにしたい?」
大森「そういう欲求はありますね。デビュー作の頃からそうでした。そういう映画を撮っていきたいな、と」
宇野「例えば原一男や今村昌平の作品は、日本が高度成長期で、社会全体が上向きになっている時代に、地べたを這いつくばって生きてる人間、忘れ去られていく人間を描くという大義があったように思うんです。でも、いまはその時代とは違って、地べたを這いつくばっている人間が普通に視界にいるというか、そもそも日本で映画を作ってる人たちが地べたを這いつくばってるようなところもある。今回のコロナで、そういう強烈な格差社会はさらに加速していくだろうとも言われている。株価だって一瞬落ちてもすぐに戻ったし、都心の地価なんて全然下がらない、でも、日々の生活に困っている人はどんどん増えている。日本映画に限らず、映画の歴史の中でそういう枠があるというのはわかるんですけども、2010年代、2020年代の日本において、そういう対象を描く理由はどこにあると思いますか?」
大森「高度成長期と現代の対比についてはまったくその通りだと思いますが、現代ってより異物を排除していく社会になっていっていると思うんです。仲間内の同調圧力みたいなものがより強くなっていて。Twitterでも、認められないなにかを見つけたらそれを徹底的に排除していく。自分は、そういう状況に対してすごく苛立ちが強くて。人間が活き活きしている、本当に魅力的でいられる場所っていうのは、どこか規制が外れちゃったようなところなんじゃないのかなって想いがあるんですよね。だから、これまでも自分の作品でわりとアウトサイダー的な人を取り上げてきた。『MOTHER マザー』の主人公も『タロウのバカ』の主人公もそうですけど、そういう人たちを逆に俺たちはどうやって見つめていくのかってことの方に興味があるんですよ。そういう人たちをちゃんとすくうことができる社会、“すくう”というのは“救う”じゃなくて“掬い上げる”の“掬う”ってことですけど。そういう人たちを描くことで、もう少し世の中が豊かになっていけばいいなと思うんだけど」
宇野「むしろ社会全体は貧しくなってますよね」
大森「そう。映画監督になることを目指していた、2000年代頭の頃はあまりそういう世界じゃなかったと思うんだけど、勝手に社会がどんどんそうなっていって、なんか自然とアウトサイダーを描くことが多くなってきた。それが時代と合ってるのか、合ってないのかはよくわかんないだけど、実感としてはそんな感じですね。時代の中で自分がなにかを主張したいとか、そういうのじゃないのかもしれないですけど」
宇野「もっと個人的な欲求に基づいている?」
大森「そう。だから、結果的に自分がいま作っているものが、社会とマッチしちゃうこともあるんだろうなって。むしろ自分から時代に合わせていくと、絶対に間違うと思うんですよね。自分が吸っている空気とか、肌で感じているものとかが、自然と作品になっているだけだから。まあ、仕事がなくなった時は、俺が時代とズレちゃったのかなと思うだけですね」
宇野「でも、日本映画の歴史の一部分を引き継いでいるという自覚みたいなものはある?」
大森「いや、自覚ってほどのものはないんです。映画監督で最初についた組が阪本(順治)監督だったんですけど、彼が丸山昇一さんの脚本で作ったりとか(『カメレオン』『行きずりの街』)、『仁義なき戦い』(『新・仁義なき戦い』)をやったりとか、俺はそれを横で見てきたわけだけど、ぶっちゃけ自分はそういうことはやりたくないと当時から思っていたので。井筒(和幸)監督の助監督もやってたこともあって、わりと日本映画の歴史を背負うみたいな場所の近くにいて。特に最近は、自分も歳をとってきたし、自主映画から出てきた若手の監督もいっぱいいるから、自然とそういう立ち位置に見えるかもしれないけど、俺自身にはその気はないんです。もちろん、先輩として尊敬している方も好きな方もたくさんいますけど、“背負う”ようなことやりたくないんですよね」
宇野「ただ、こうしてフィルモグラフィーがどんどん増えていくと、少なからずベテランの領域には入ってくるわけですよね」
大森「そう、そうなっちゃう。だから危険だなと思って。やばいですよ、現場にいると気がつけば自分が最年長みたいなこともあるし。知らない間に『俺、もしかして偉そうにしてた?』みたいなことになるじゃないですか。みんながちょっと気を遣ってくれるような。だから、なるべくだらしなくしていたいな、という気分です」
宇野「映画監督には、実際の作家性の強弱とは別に、『この監督の作品はどんな作品でも観に行く』という観客が一定数いる監督と、作品を観た後に『あ、あの監督だったんだ』って気づかれるような監督がいると思うんですよ。で、大森監督はどちらかというと後者だと思うんですけど」
大森「ああ、きっとそうだね」
宇野「ご自身にとって、それは好ましいことなんですか?」
大森「いや、やっぱり“作家性”という言葉に憧れはあるよ。まだビデオじゃくて8ミリ映画の時代から自主で撮り始めて、それこそ当時は『カイエ・デュ・シネマ』とかも読んでたしさ」
宇野「あ、一応そういう段階を踏んでらっしゃるんですね(笑)」
大森「一応、踏んでるんですよ(笑)」
宇野「そういう磁場に対して、わりとアンチなのかと勝手に思い込んでました」
大森「いや、『蓮實重彦って最近どんなこと書いてるんだろう?』って、いまもたまに読んだりしますからね。『黒沢清は最近どんな感じなんだろう?』とか、普通に気になりますよ。スタッフもかぶったりしてるし、黒沢清好きの映画人ってすごく多いしね(笑)。で、質問に答えるなら、『日日是好日』や『星の子』がそうだったように、吉村さんみたいにプロデュース力が強い人と組むのも楽しいし、最近だと『タロウのバカ』とか『光』のように、好き勝手やれる作品も、ある種の破綻も含めてすごく楽しいんですよ。だけど、そればっかりやってると仕事なくなるっていうのは自分でわかってるんです。だから、強いて言うなら、瀬々(敬久)さんとかを見本にしてるってことになるのかなあ」
宇野「なるほど。ある種、作家性の強い企画とプロデューサーの力が強い企画、その両方を撮ってバランスをとっていくという?」
大森「まあ、本当のところを言うと、バランスをとりたいのかどうかもわかんないですけどね。プロデューサーの中にも、『光』や『タロウのバカ』の近藤(貴彦)さんのように『やっちゃえ!』という勢いの方もいますから(笑)」
宇野「『星の子』もそうでしたが、大森監督の作品の特徴の一つは、あくまでも物語はリニアに流れていって、カットバックのようなテクニックをほとんど使わないですよね。いわゆる、映画的なテクニックに対して禁欲的なところがある」
大森「芝居を撮ろうとする意思が強いからね。でも、『TENET テネット』とかを観ると、単純に『こういうのもやってみたいな』って気分にもなるんですよ。ただ、映画の規模もなにからなにまで全部違うし、いまの日本映画界のなかで自分が一番興味あるのは、やっぱり俳優の芝居を撮るってことに落ち着くんですよね。ただ、これは自分の映画に対しても思うし、周りの日本映画を観ても思うんだけど、役者に頼る演出みたいなものが幅を利かせすぎてると思うところもちょっとあって」
宇野「ああ、そうですか。もちろん、そういう作品にも良し悪しはあると思いますが」
大森「でも、最近だと、濱口(竜介)くんの『寝ても覚めても』を観た時に、これすげえなと思って。ああいう、ヒッチコック的な撮り方をちゃんといまでもやれる人がいるんだって。ちょっと考えさせられるところがありましたね」
宇野「大森監督の作品には一貫した強い個性がはっきりあるんですけど、話の中では、そこに確固たる思想があるわけではないというところに着地することが多いですね(笑)」
大森「そうなんですよ(笑)。だから、『役者の芝居を撮る』って言ってるけど、作品の企画を練ってる段階とかで、この役者と仕事をしたいっていう強い思いがあるわけでもない」
宇野「それは、今回の芦田愛菜さんも?」
大森「そう。今回も後から決まったし、自分が脚本を書く時も当て書きするようなことはしない。当て書きって面倒くさいからね」
宇野「それは、役者が誰でも自分が演出をすれば自分の映画になるという自信があるからなんじゃないですか?」
大森「それは、すごくそう思ってる(笑)。もちろん、俺は役者をちょっとやってたこともあって、役者という存在が本当に好きだし、ちょっと恥ずかしいけどやっぱり(ジョン・)カサヴェテスの映画とか大好きだし、この15年間ずっと役者をどう演出するかってことを考えて映画を撮ってきたんだけど。ただ、いまの日本映画界って、ちょっと役者さんが強くなりすぎてるからさ。そこに関しては、なんか他のやり方もないのかなって思ってる。結局、いま日本で映画を作るためにお金を集めるのは、役者の力に頼るしかない状況だからね」
宇野「でも、結果的に大森監督の作品には、いい役者が集まってくる」
大森「なんででしょうね(笑)。俺はよく役者に『自分で考えて』って言うんですよ。そりゃあ、こういうふうにやったほうがうまくいくだろうなと思うところもたくさんあるけど、それを言っちゃうと役者さんが能動的に動いてくれないので、とりあえず役者さんが自分が好きなように、脚本を読んだ時にどういう風に思ったかってことのほうが大事じゃない?と思っていて。それが多分、ある種の役者には好かれるんでしょうね」
宇野「テイクもあまり重ねないですよね?」
大森「そんなに撮らないですね」
宇野「それって役者にとってはすごく信頼されているような気持ちになるんじゃないですか? 結果、その人の魅力が引き出されていくという」
大森「自分の映画は大友良英さんに音楽をやってもらうことが多かったんですけど。いつもお金も時間もないから、スタジオもあまりいいところじゃなかったりするんですけど、大友さんが必ず言うのは『いいミュージシャンだけは呼べる』ということで。セッションで一発録りすることも多いんですけど、その時の大友さんを見てると、俺と似ているなって思うんですよね。ものすごく柔らかくて、1回目から『これでいいよね!』『ミスもいいじゃん!』とか言って(笑)」
宇野「お金のない日本映画界におけるサバイブ術みたいな」
大森「そう(笑)」
宇野「今回の『星の子』の音楽は世武裕子さんで、世武さんとの相性もすごくいいですよね」
大森「『日日是好日』に続いてお願いしました。世武さんも安心してお任せできる方で。『日日是好日』の音楽ってすごく良いでしょ? あの作品がいろんな人に受けたのは、世武さんの音楽のおかげもかなりあると思う。女性的な感性で音楽をつけてくれるんで、映画が自分では思ってもいなかったようないい方向に弾んでくれることがあるんですよ」
宇野「撮影は、やっぱり順撮りが多いんですか?」
大森「順撮りっぽくやることが多いけど、別にこだわりはない。『順撮りで助かりました』とか役者さんが言ってくれると、『順撮りにしておいてよかったな』って普通に思うし、ラストシーンを最初に撮るとかはさすがにないんですけど。ただ、役者さんからスケジュールもらって、一瞬『え? このスケジュールでやるの?』って思うこともありますよ。どうしてもこうじゃないと組めないとか、事務所側から言われて。でも、そんな時も『じゃもういいですよ。これでいきますよ』ってすぐ言っちゃう。あんまりそこを悩んで、無理して、役者のスケジュールもキツキツになってみんなが苦しむよりも、『これでやっちゃえばいいんでしょ』みたいな感じ。昔よく原田芳雄さんが『順撮り順撮りってみんなやるけど、お前、順撮りなんかじゃなくて、適当に撮ったやつをつないだ方がおもしろいんだよ』と言ってたけど、そういう不確定なものまで含めて遊んでるような感じもあるんですよね」
宇野「そもそも、いまの日本映画で完全主義みたいなやり方は成り立たない?」
大森「本当にそうなんですよ。でも、今回の『星の子』で言うと、永瀬(正敏)さんは短い期間で体重の増減とかをやってくれるんですけどね。本当はもっと時間があれば、しっかり身体を作り直したりってこともできるんでしょうけど、今回もお正月休みの数日間で痩せて若返ってきてくれた。永瀬さんはそれを誰にも言われずにやってきてくれるんですけど、なかなかこっちから求めるわけにはいかないですよ。だから、撮影に入る前にあまり悩んでてもしょうがない。悩んでも仕方ないことで悩んで、頭を抱えながら打ち合わせしているのとかほんと嫌いで。『早く帰ろうよ』ってなっちゃう」
宇野「ここまで話を伺っていて思うのは、基本、大森さんって良い意味で“いいかげん”ですよね(笑)」
大森「そうなんですよ。『絶対こうしたい!』みたいな感じってあんまりない。きっと、だから作品も捉えにくいと思われているところがあるんでしょうね。俺、テレビで野生動物のドキュメンタリーを見るのが大好きなんですね。動物って、人間社会とは別の世界で生きているじゃないですか。動物社会のなかにもルールはあるわけですけど、野生動物が草原を駆けたり、なにかを食べたりしてる姿を見てるのが本当に好きで。彼らは、いつ他の動物に襲われるかわからないような危険な状況で生きているわけですけど、人間もそのくらいの環境にいる方が活き活きするんじゃないかなって。だから、登場人物に社会のアウトサイダー的な設定を与えることが多いのかもしれない」
宇野「なるほど。アウトサイダーに惹かれるのは、思想的なものというよりも、人間の中の動物性みたいなものを捉えたいからなんですね」
大森「うん。人間のそういう部分に魅力を感じがちですね」
宇野「そのルーツを辿ると、やっぱりお父さんの舞踏にも通じているところもあるんでしょうか?」
大森「まあ、今回の『星の子』も、企画の段階ではあまり意識してなかったんですけど、いま思えばすごく簡単な話でね。うちの父親はずっと白塗りして踊ってたけど、やっぱり子どもの頃はそれがわけわからなかったんですよ」
宇野「(『星の子』の劇中で主人公の両親がやっている)公園で水を浴びてるのと変わらない?」
大森「そう。もう、それが芸術なのか、宗教なのか、子どもにはなにがなんだかわけわからない。そういう男たちが、10人くらい、自宅のちっちゃいアパートにいつもいるわけですよ。それが本当に嫌だった。でも、芦田さん(の役)と同じで、それを嫌だって言ったって、どうしようもないんですよ。いるんだから、その人たちは(笑)。そのことを受け入れられるまで、俺も大学生になるくらいまで時間かかったので。そういう意味では本当に同じ」
宇野「そういう強い共感があったんですね」
大森「でもね、そうは言ってもやっぱり自分の父親だし。俺はそのことをわりと隠すタイプというか、恥ずかしいと思っちゃうタイプだったから、一人でどう受け入れていこうかって悩んでたんだけど。一方で、本当はそんなに悪いことではないはずだということもなんとなく分かっていたんだよね。小中学生ぐらいまではつらい思いがあったんだけど、だんだん受け入れていった。それに、いまワークショップとかで若い役者に演技を教えることがあるんですけど、実際に社会的な抑圧のなかで芝居をしてても、全然おもしろくないんですよ。それをいかに解放させるかってことをいつも考えていて。そういう意味では、結局自分も父親と向いてる方向は一緒なんだなって」
宇野「アウトサイダーという点でいうなら、『日日是好日』の樹木希林さんも、『星の子』の芦田愛菜さんも、日本の芸能界においてはわりとアウトサイダー的存在じゃないですか。日本映画の主演女優としてはほとんど最年長と最年少と言ってもいい2人ですけど、大森さんと一緒にやられて、こうしてすばらしい作品を残すことになったのも必然だったのかなって」
大森「やっぱり、そういう役者さんたちと一緒に仕事をするのは楽しいですよ。特に希林さんとの現場は、こちらの価値観が揺さぶられますからね。倍賞美津子さんとかもそうですけど、親父のこともあって、わりとそういう大先輩たちにもかわいがってもらえるのはありがたいことですね。芦田さんは、頭もいいし、経験もあるので、ある程度はいつもの映画作りの中でできましたけど。俺がこういうふうに演じてほしいって言ったことを、すぐわかってくれるんでね。若い役者でいうと、なにしろその前に『タロウのバカ』でYOSHIっていうわけのわかんないのともやってるんで。あいつとか、真面目に考えてたら撮れないですよ(笑)。撮影中に『終わったら一緒にゲーセン行こうよ』とか俺に言ってくるんだから(笑)」
宇野「でも、やっぱり大森監督は役者をやっていたこともあるし、お父さんや弟さんが役者ってこともあって、視点が役者に近いですよね。アメリカ映画には、先ほど名前を挙げられたカサヴェテスを筆頭に、役者出身の優れた監督の系譜があるじゃないですか。(クリント・)イーストウッドとかその最たる存在ですけど、役者に自由を与えて考えさせる、テイクを重ねず撮影も早い、良い意味での“いいかげん”さがある。大森監督はご自身で自分の作家性を『捉えにくい』って言ってましたけど、そういう役者出身監督特有の考え方に近いところで作品を作ってるのかなって」
大森「そうかもしれないですね」
宇野「でも、日本って役者出身の監督があまりいないですよね。1、2本試しに撮る人はいるけど、みんなすぐにやめちゃう」
大森「それはやっぱり、役者のほうが儲かるしね(笑)」
宇野「(笑)。それも、『役者が強すぎる』ことの弊害なのかもしれませんね。これは役者出身の優れた監督が撮った作品の傾向でもあると思うんですけど、大森監督の作品も、基本役者を信頼して、あまりキメキメには撮らないじゃないですか。今回の『星の子』のラストシーンにしても、自分はそこから最大限の希望を受け取ったんですけど、それをわかりやすくは示さない。いい映画のラストシーンって、こういうことだよなって」
大森「でも、あのラストシーン、『なにを言いたいのかわからなかった』っていう意見がめちゃくちゃ多いんですよ」
宇野「それは作り手としてはつらいですね」
大森「つらいですよ。だから、そうやって希望を感じたと言ってもらえると、ものすごく嬉しい」
宇野「いや、だって、実際にあそこには希望が込められてるわけで」
大森「もちろんそうですよ。でも、俺はあそこであの家族にカメラで寄って、わかりやすい表情をとらえたりしないから」
宇野「そこまでいくと、それは観客のリテラシーの問題になっちゃいますね」
大森「それ、昔よく言ってたけどもうやめた(笑)。昔は、『客が悪いから』とかよく言っちゃってたけど」
宇野「それは正解だと思います。特にこの時代、作り手の観客批判は悪手ですから。観客批判は本来批評家の仕事なんですよ。でも、いまはそれを批評家の誰もやらないのが問題で。僕は特に音楽ではめちゃくちゃ客の批判をするので、一部の音楽ファンからは嫌われてますけど、それでいいんです」
大森「いいんですか(笑)」
宇野「だって、実際に客がダメにしてるわけだから」
大森「(笑)」

取材・文/宇野維正