明石家さんまが西加奈子の小説に惚れ込み、5年もの歳月をかけて企画、プロデュースした劇場アニメ映画『漁港の肉子ちゃん』が、いよいよ公開中だ。大きな体を揺らしながら、どんなことが起きても笑って受け止める肉子ちゃんが、映画館を訪れた観客を温かく包んでいる。

肉子ちゃんみたいな人がそばにいたら、どんなに楽しいだろう…。そんな思いに駆られる人も多いように感じるが、西は、宮城県女川町の漁港で見かけた1軒の焼肉屋から想像を広げて原作を書いており、肉子ちゃんは特定の人をモデルにしたキャラクターではなかったという。しかしある日、西のもとに「その焼肉屋さんには実際、肉子ちゃんそっくりの女将さんがいた」という読者からの手紙が届いたというのだ。

この不思議な偶然に導かれた筆者は、人々の記憶に住み続けている“肉子ちゃん”を探すために、宮城県石巻市と女川町を訪問。いまは石巻を拠点にしている西の元担当編集で、株式会社口笛書店代表の日野淳さん、焼肉屋「幸楽」ご主人の金山富五さんに話を聞くと、震災で亡くなられたという女将さんの姿や、優しくて、かわいくて、ちょっと不思議な肉子ちゃんを生みだした街の輪郭が見えてきた。

■「仲のいい友だちに、石巻を見てほしかった」“肉子ちゃん”が誕生した瞬間とは

漁港の船に住むワケあり母娘の肉子ちゃんとキクコの秘密を描く本作。底抜けの明るさでパワフルに生きる肉子ちゃんと、多感なお年頃のキクコが精一杯生きる姿に、勇気と笑顔をもらえるハートフルな物語だ。アニメーション制作をSTUDIO4℃が手掛け、肉子ちゃんの声を大竹しのぶ、キクコの声をCocomiが務めた。

日野さんは、自身の故郷である石巻市へと西を誘い、その旅をきっかけに原作が生まれた。肉子ちゃんとキクコが住んでいる港町は、石巻市と女川町がモデルとなっている。日野さんの運転するミニクーパーで市内をめぐると、煙突から白煙が上がる日本製紙石巻工場、雨模様の漁港にたたずむ漁船、釣り人など、生活を営む人々の姿が見える。

2011年3月11日、東日本大震災の揺れにも耐えた鹿島御児神社の鳥居は、石巻市民にとってかけがえのないシンボルだったという。そのシンボルもついに老朽化によって撤去が決まり、取材後に解体されたそうだ。また鳥居のある日和山からの眺望は、「震災前と震災後では、まったく変わってしまいました」と日野さんが呟く。車窓から見える町の風景からも、まだ生々しい震災の爪痕がうかがえる。

西が本書を書き上げたのは、震災の数か月前のことだ。市中のビルに構えた事務所で、コーヒーを頂きながら小説誕生の経緯を聞いてみると、日野さんは「西さんとは、ものすごく仲良くさせていただいていて。『旅行をきっかけに、新しい小説ができたらいいな』という編集者としての目論みはありましたが、『仲のいい友だちに、自分の実家や石巻を見てほしい』という気持ちで、西さんともう一人の編集者の木原いずみさんと、3人での石巻への旅に誘いました。大学生が夏休みによくやる、『うちの実家に行ってみよう!』みたいなノリですよね」とにっこり。

旅の数か月後、西が小説のアイデアを日野さんに打ち明けたそう。日野さんは「旅では、うちの父親の車で石巻や女川をまわったんですが、女川の港で、1軒の焼肉屋さんが西さんの目に入ったようで。外観だけしか見ていない、そのお店をきっかけに、西さんは『魚の町だけれど、そりゃあ、お肉も食べたくなるよな』という意外性をタネとして、『そこに太ったおばちゃんが働いていたら楽しいだろうな』と、どんどん肉子ちゃん像を膨らませていきました」と明かす。

■女川の焼肉屋「幸楽」に“肉子ちゃん”はいた。「とにかく世話焼きだったんだよ」

日野さんは、肉子ちゃんというキャラクターの印象について「西さんの願望が詰まっているなと思った」という。「西さんご自身は、肉子ちゃんのメンタリティとは対極にあるような方。肉子ちゃんは、人の目も気にせず、“ありのまま”の自分で堂々と生きている。『こういう人になれたらいいな』という西さんの理想や執着が、肉子ちゃんに反映されていると思いました。西さんの作家性の根幹にあるものが、クリアに表れているような気がしました」。

2011年8月に本書が発売となり、あとがきには、女川で見かけた焼肉屋をもとに着想したこともつづられていた。すると、肉子ちゃんは想像から生まれたキャラクターであるにもかかわらず、西の元には「モデルとなった女川の焼肉屋には、実際に肉子ちゃんそっくりの女将さんがいた」という女川に住む読者・Kさんから手紙が届いたというから、驚きだ。

モデルとなった女川の焼肉屋「幸楽」の女将さんは、東日本大震災の津波で亡くなっているという。もとのお店は全壊し、2012年5月に仮設住宅で店を再開させたのち、現在は女川駅前にあるテナント型商店街「シーパルピア女川」内で、営業を続けている。筆者が訪ねてみると、店内には西のメッセージや、本書の装丁が飾られており、ご主人の金山さんが笑顔で迎えてくれた。

アニメ版とはまた違ったタッチの肉子ちゃんが描かれた原作の装丁を指しながら、「ウチのは、こんなにセクシーじゃなかったけどね」と金山さん。「Kさんは、肉子ちゃんがウチのやつに似ているって言っていたね。体型のことを言っているんじゃないかな?子どもを二人産んで、子育てもお店のこともやるとなると、自分の体型のことなんて構っていられなかっただろうから」と微笑む。「とにかくウチのは、世話焼きだったから。『ご飯、食べていけ』と声をかけられて、『いままで誰かにそんなことを言ってもらったことがなかった。遠慮をしていたけれど、“甘えてもいいんだな”と思うようになった』という子もいたな」と懐かしみながら、「そういうところが、似ていると思ったのかもしれないね」としみじみと話す。

金山さんは「津波のあと、ばあちゃんとウチのやつはなかなか(ご遺体が)見つからなくて。仕事をすぐにやるというわけにもいかない状況で、なかなか前に進めなかった」と述懐。「2012年のゴールデンウィークに間に合わせようと、仮設住宅で店を再開させて。そこには西さんも来てくれたんだ。今度はアニメの映画になるという話も聞いたよ。明石家さんまさんと大竹しのぶさんが一緒にやっているんだよね。これが映画になるのかあって、なんだか不思議な気分だけどね」と目尻を下げる。

震災後もこだわりのお肉を提供し続けている金山さん。現在は、震災後に帰郷し、女将さんに代わって共に店を切り盛りしている息子さんとの二人三脚だ。「震災以降、このあたりは津波でなにもなくなってしまって、すべて新しいものから作る状態だった。ボランティアで来た人が、そのままこっちに住んでお店を出したり、若い人もいろいろなことをやっているよ」と女川のいまに触れながら、「ウチは変わらず、その時々のいいお肉を出していきたい。ラーメンやカルビスープもおいしいですよ」と、ほっとするような笑顔ですすめてくれた。

■「特別なエネルギーを持った作品」肉子ちゃんをきっかけに訪れた、人生の転機

特定のモデルとした人がいるわけではないのに、“肉子ちゃん”がそこにいた。こんな奇跡が起きたのはきっと、西がそうであったように、いつも“ありのまま”の姿を見せて豪快に笑う肉子ちゃんが、誰もが「こんな人がいてくれたら」、もしくは「こうなりたい」、「私にとってのあの人かもしれない」とまぶしく感じる女性だからではないだろうか。

日野さんは「映画にしろ、歌にしろ、小説にしろ、たまたま自分の経験とクロスしたり、自分の記憶を呼び寄せることってありますよね」と口火を切り、「『漁港の肉子ちゃん』は、そういうエネルギーを持った作品なのかなと感じています。肉子ちゃんをきっかけに、それぞれが記憶や想いを雪だるまのように膨らませていく。作品の核となる部分に求心力がないと、そういう事象は起こらないと思います」と思いを巡らせる。

「エネルギーを持った作品」と表現した日野さんだが、本書は彼にとっても人生の転機となる1冊になったと告白。「お亡くなりになった女将さんの記憶を重ねるKさんがいたり、僕もその後『幸楽』さんにお邪魔させていただきましたが、そこには装丁を飾ってくださっているご主人がいたり。“モデルになった場所に肉子ちゃんに似た方がいた”ということをきっかけに、『西さんが東京で書いた小説が、遠く離れた町にも確実に届き、人々の心に残っているんだ』という事象を目の当たりにすることができて、僕もものすごく心を動かされた。奇跡的な出来事を見せてもらった気がしています。それは編集者としても、なかなかできる経験ではありません」と力を込める。

編集者としてせわしない日々を送っていた日野さんは、そこで故郷の石巻に帰る決断をする。「『漁港の肉子ちゃん』での経験を通して、『誰かの心に残るもの以外は、作りたくない』とはっきりと思った。そのためにあらゆる退路を断って、自分の小説を出す出版社を作ろうと思って石巻に帰ってきました。出版社と言いつつも、届けたいものだけを作ろうと思っているので、なかなか本を出せずにいます(笑)。でも僕のゴールは、『漁港の肉子ちゃん』のように、小さなミラクルを起こすエネルギーを持ったものを世に送りだすこと。そういった意味でも、本書は自分のやりたいことに向き合えるきっかけを作ってくれた、人生の転機となる1冊なんです」。本書の持つエネルギーが、日野さんの心にも火をつけていた。

■日常にこそ、クライマックスがある

本作は、漁港の小さな町を舞台に、母娘の暮らしや、キクコの学校生活、友だちとのすれ違いなど、人々の日常を繊細に描く物語だ。日野さんは「“生活をしていくということは、自然とクライマックスを生むものだ”というお話でもある」と普遍的な物語のなかにこそ、ドラマがあるという。

石巻市の漁港沿いに生まれ育った日野さんは、「10年前の震災というのはまったく別の話とすると、石巻という場所も、クライマックスやハイライトがない町なんですよ。ものすごい田舎でも、ものすごい都会でもなく、どこか中途半端というか」と笑いながら、「でも本書を読むと、“生活のなかにこそクライマックスはある”と思わせてくれる。アニメになった映画の肉子ちゃんも、ものすごくかわいいですよね。キクコはCocomiさんの声や演技も原作のイメージ通りでした。映画を観て、西さんの作品を好きになってくれる方がもっと広がってくれたらうれしいですし、肉子ちゃんがいたかもしれない、生活していたかもしれないという空気を求めて、石巻や女川にも来ていただけたら、すごくうれしいです。おいしい魚、おいしいお酒もありますよ」と呼びかけ、目を細めた。

日野さんと共に歩き回った石巻市の風景を通して、筆者には肉子ちゃんの“正体”が見えたように思えた。それはきっと誰の心にも潜んでいる、大切な人や憧れの人。「普通が一番ええのやで」と語りかける肉子ちゃんは、私たちが忘れかけていた日常の輝きや、明日への力を呼び覚ましてくれるはずだ。

取材・文/成田おり枝