これは素晴らしいリメイクだ。日本映画が誇る偉大なクラシック―“IKIRU”のタイトルで世界的に愛される黒澤明監督の1952年の名作『生きる』が、日英のルーツを持つノーベル賞作家のカズオ・イシグロによる脚色、若手監督オリヴァー・ハーマナスといった充実の座組みにより、名優ビル・ナイ主演のイギリス映画『生きる LIVING』(3月31日公開)として生まれ変わった。

■40分も短いのにオリジナルに忠実な『生きる LIVING』

日本版のオリジナルから70年後、2022年製作の英国版へ――いったいなにがどうアレンジされたのか?まずは上映時間に注目したい。黒澤の『生きる』は143分の長尺だが、今回の『生きる LIVING』は103分。40分も短くなっている。

しかし実のところ、内容はオリジナルにほぼ忠実なのだ。ここが凄い。つまり黒澤への敬意を崩さず、ひたすら丁寧なマイナーチェンジに徹している。英国式のスタイルやマナーに変換しつつ、各シーンの設計を再検討した。結果、演出のタッチも印象が異なる。黒澤の『生きる』は重厚でこってり。対して『生きる LIVING』は洒脱かつソリッド。描かれるエピソードは基本同じでも、簡潔に刈り込んでいる。

『生きる』はもちろんモノクローム作品だが、『生きる LIVING』はレトロな質感のカラー映像。主な舞台は1953年のロンドンで、冒頭は当時の記録フィルムが映しだされる。戦後復興途上の街を走るロンドンバスや、バーリントン・アーケードの風景――。対して言うまでもないが『生きる』の舞台は東京で、オープンセットも多く使われている。

■英国紳士たちが汽車に乗って通勤する序盤のシークエンス

『生きる LIVING』が『生きる』から大きく変更しているのは序盤の流れだ。今日から市役所に勤めることになった新入りの青年ピーター(アレックス・シャープ)が、駅のホームで先輩たちに挨拶。そして共に出社するために蒸気機関車に乗り込む。途中の駅から乗ってくるのが、同じ市民課の課長のウィリアムズ(ナイ)だ。いかにもお堅い英国紳士。ロンドン近郊のサリー州イーシャー(比較的裕福な中産階級が住む地域)に自宅を構える彼は、毎日同じ時間にウォータールー駅まで列車に乗り、勤め先の市役所の庁舎に通う。ちなみに“LCC”の略称で知られるロンドン・カウンティ・カウンシル庁舎として建設されたロンドン・カウンティ・ホールは、現在は商業施設として利用されている建物だ。

■突然、己の余命が幾ばくもないこと告げられるそれぞれの主人公

黒澤の映画にこのようなシークエンスはない。『生きる』は一枚のレントゲン写真から始まり、そこに天の声のようなナレーションがかぶさる。「これは、この物語の主人公の胃袋である。幽門部に胃がんの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない」――。

そう、『生きる』の主人公である市民課の課長、渡邊勘治(志村喬)も、『生きる LIVING』のミスター・ウィリアムズも、共に胃がんに侵されたのだ。渡邊の場合、医者からは胃潰瘍だと告げられるが、彼本人は余命幾ばくもないと悟る。そして渡邊が、居酒屋で自らをメフィストフェレスに擬える小説家(伊藤雄之助)と出会うように、ウィリアムズは市役所を無断欠勤。初めてやって来た海辺の小さな町のカフェレストランにて、不眠症の劇作家サザーランド(トム・バーク)に初対面で突然相談を持ちかける。「人生の楽しみ方がわからんのです」と。

■鬼気迫る渡邊と“ジェントル”なウィリアムズの対比

かくしてサザーランドと繁華街などに繰りだし、慣れない遊蕩に耽るウィリアムズ。その際に酒場で歌うのが、スコットランド民謡「ナナカマドの木」だ(ビル・ナイの美声と歌唱力は聞きもの!)。原題は“The Rowan Tree(ラウアン・トゥリーの歌)”。ウィリアムズの母方がスコットランド系という設定で、故郷を想う歌を熱唱しながら、彼は涙を流す。

この選曲と、「♪命短し、恋せよ乙女」と歌われる『生きる』の「ゴンドラの唄」は、両作のトーンの違いを象徴するポイントかもしれない。やがて渡邊が、市役所を辞めたばかりの元部下の元気な女子、小田切とよ(小田切みき)と逢瀬を重ねるように、ウィリアムズは同様の設定のマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)とデートを繰り返すのだが(ケイリー・グラント主演、ハワード・ホークス監督の1949年の米映画『僕は戦争花嫁』を一緒に観に行くシーンも)、彼は鬼気迫る顔の渡邊ほど彼女の若さや生命力にすがっている印象は希薄である。もっとスマートに自分の本来性を見つめ直している感じだ。

ちなみに、小田切が秘かに渡邊に付けていたあだ名は「ミイラ」で、マーガレットはウィリアムズを「ミスター・ゾンビ」と呼んでいた。それをあくまで“ジェントル”な態度で受け止め、「気に入ったよ」と穏やかに笑うウィリアムズ。そして「ゴンドラの唄」と同じように、「ナナカマドの木」は重要なシーンでもう一度歌われることになる。

■死を自覚することで「生」に向かって動きだす

かくして迫り来る自らの死を自覚してから、単調で退屈な日々をやり過ごしていたウィリアムズは、むしろ「生」に向かって動きだす。『生きる』のナレーションでも語られるように、「死骸も同然」だったお役所人間が、全力でエネルギーを注ぎ込むことのできる一つの“仕事”を見つけるのだ。

こういった本質はオリジナル版もリメイク版もまったく同じである。『生きる LIVING』は黒澤のメッセージを大切に受け継ぎ、いまの時代に改めて伝える。エッセンスを的確に凝縮し、余計なことをいっさいしていない。

映画を観たあと、誰もが自らに問うだろう。もしあと半年しか命がないとしたら、どんなことをする?『生きる』と『生きる LIVING』は共に、我々の人生を奮い立たせる。あなたの生き方を決定的に変えるかもしれない一本だ。

文/森直人