11月23日(木・祝)より公開される、北野武19本目の監督作『首』。これは織田信長(加瀬亮)の跡目争いを巡って、羽柴秀吉(ビートたけし)、明智光秀(西島秀俊)、徳川家康(小林薫)が暗躍する、壮大なスケールのエンタテインメント時代劇である。

このなかで中心的存在になるのが明智光秀。映画では家臣の光秀が信長を討った「本能寺の変」がクライマックスになるが、歴史的にはこの変がなぜ起こったのかは諸説あって、いまだに決定打の説はない。原作と脚本も担当した北野監督は、その裏に戦国時代にはノーマルだった武将同士の“衆道(男色)”の契りが関係していたのではないかという大胆な説を持ち込んで、いままでにない本能寺の変を描いている。

この映画が異色なのは、とにかく光秀がモテること。彼は信長に対して反乱を起こした荒木村重(遠藤憲一)と恋人関係にあり、信長からも言い寄られる。実際の光秀は信長よりも年上で、決して美男とは言えなかったようなので、あくまでフィクションとしての解釈だが、光秀を演じているのが西島秀俊なのでこの描き方には説得力がある。


■主君を討った逆賊から悲劇の武将へ…様々な明智光秀を描いてきたNHK大河ドラマ

かつて光秀は、天下統一直前に主君の信長を討った逆賊というイメージが強かった。だが、池波正太郎が脚本を書いた映画『敵は本能寺にあり』(60)で初代・松本白鸚が、信長の小姓・森蘭丸の策略によって精神的に追い詰められ、信長を討つことを決める悲劇の武将を演じたのを一つの予兆として、NHKの大河ドラマによってそのイメージは時代と共に変化していった。

大河ドラマに光秀が初登場したのは緒形拳主演の「太閤記」(1965年放送)で、演じたのは佐藤慶。人物的に陰影のある知的な光秀を演じた。“光秀がかわいそう”というイメージを作ったのが、「国盗り物語」(1973年放送)で近藤正臣が演じた光秀。狂気を孕んだ暴君になっていく信長に対して、世の平安を求める正義漢の光秀が、徹底して信長に排斥されていくこの作品は、高潔な性格ゆえの謀反という説を強調していた。

悲運の武将といった感じの「春日局」(1989年放送)の五木ひろし、繊細な性格が災いした「信長 KING OF ZIPANGU」(1992年放送)のマイケル富岡の光秀も印象的だったが、“人間・明智光秀”を掘り下げたのが「秀吉」(1996年放送)である。竹中直人扮する秀吉と若い頃からの友人でライバルという関係性の光秀を、村上弘明が演じている。ここでの光秀は妻や母親を大切にする男で、やがて優しさゆえに信長と心がすれ違って、主君と距離を置くようになっていった。

強烈な印象を残したのが「利家とまつ 加賀百万石物語」(2002年放送)の萩原健一。萩原の光秀は狂気の策士という雰囲気で、最後は取りつかれたように反町隆史演じる信長を本能寺へ討ちに行く。「江 〜姫たちの戦国〜」(2011年放送)における市村正親の重厚な光秀も注目を浴びたが、なんと言っても光秀を主役に据えた「麒麟がくる」(2020〜21年放送)の長谷川博己が、近年における光秀のイメージを決めた。誠実で知的、しかし自分の意見をはっきりと言う豪胆さも併せ持つその光秀像は、裏切り者の逆賊というかつてのイメージを完全に払拭した。

■信長が好きすぎる『レジェバタ』光秀と卑屈で小物な「どうする家康」光秀

ただ今年に入って、明智光秀の描き方には変化が起きている。木村拓哉が信長を演じた映画『レジェンド&バタフライ』(23)では、宮沢氷魚が光秀を熱演。実年齢を考えると彼のキャスティングは若すぎる感じだが、今作での光秀は“魔王”と化した狂気の信長に憧れを抱く熱烈なファンのように描かれていて、彼が本能寺の変を起こすのは、妻の濃姫によって人間性を取り戻した信長に幻滅を感じたからという解釈。自分にとってのカリスマを失った失望感を表現するという意味で、若い宮沢はここでの光秀にハマっていた。

この映画と同じく古沢良太が脚本を手掛けた松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(放送中)で光秀を演じたのは、酒向芳。彼の光秀は周りの人間を鋭く観察しながら主君の信長にこびへつらう、かなり卑屈で嫌な人物。同じ脚本家でこうも違ったキャラクターに描くかと思えるほど、『レジェンド&バタフライ』の光秀とは別物の人物になっている。結局、実行犯として信長を討つことになるのだが、その人間的な“小物”の感じが作品と合っていた。


本能寺の変など、起きた事実を歴史は教えてくれるが、その時代を生きた人間の真実までは伝えてはくれない。それは後世に残された書物の多くが、戦いに勝った人物の側から書かれたもので、敗れて消えた者たちの本質は闇に葬り去られるからである。しかしだからこそ、様々なイメージを掻き立てられるのも事実。明智光秀は高潔で知的な正義漢だったのか、それとも卑屈な小物だったのか。作品の作り手によって見方は分かれるが、それが永遠の謎であるゆえに、我々は“劇”として様々な歴史を楽しむことができる。『首』もまた、光秀のミステリアスな人物像に新たな色を加えた、斬新な作品として多くの人に観てほしい1本だ。

文/金澤誠