この中でボブ・ディランの才能にいち早く注目し、彼の活動を後押ししたのが、フォーク・シンガーのピート・シーガー。劇中ではエドワード・ノートンがシーガーを演じ、高い演技力でアカデミー賞の助演男優賞にもノミネートされている。そのシーガーの妻トシを演じたのが、俳優・初音映莉子。トシはボブ・ディランのミュージシャンとしての変化を、シーガーに連れ添って見つめていく重要なポジションの役柄だ。近年は活動の拠点をアメリカに置いている彼女が、映画の公開に合わせて来日。その独占インタビューをお届けする。まずはトシの役が決まった時の心境から、話を始めよう。
■「お話をいただいた時、最初は戸惑って『できません』と言ったんです」

「私はここ数年、コロナ禍の影響もあって俳優の仕事から離れていました。ですから監督のジム(ジェームズ・マンゴールド)からお話をいただいた時、最初は戸惑って『できません』と言ったんです。私は普段控えめな感じに見られますが、実はものすごく頑固なんですよ。ジムはそんな私の性格をよくわかっているので、私の中に眠っているタフさや強さをトシに求めていたようです。でも私が断ったので、ほかの候補者も探したようですが、思うような人が見つからず、再び出演のオファーをいただきました。その返事を渋っていたら『映莉子、今日はスタジオに返事をする最後の日なんだ。心を決めてくれ』とジムが言うので、『やります』と答えました」。

出演を決めたものの、演じることの不安が彼女の中にはあった。「しばらく芝居から離れていたこともありますし、トシは日本人の父親とアメリカ人の母親との間に生まれた女性で、セリフが全編英語ですからね。演じるにあたって、コーチを頼んで英語の発音のトレーニングには時間をかけました。やはり英語でセリフを言うのは、とても緊張しましたね」。
実在の人物を演じるのは初めてで、ピート・シーガーとトシの夫婦に関する文献や資料をかなり読み込んだという。「それとピート・シーガーの曲をずっと聴いていました。トシがどういう生い立ちで、どんな環境の中で育ったのかは勿論ですが、彼女がピートのどういったところに惹かれたのかに興味があったんです。それには彼らがどんな景色を見て、どういう生活をしていたかを知るべきだと感じて、ニューヨークでピートとトシが最初に住んだ家を見に行きました。そこはいま、ラザニアがおいしいカフェになっているんですが、店の壁を観て『二人もこの壁を観ていたのかな』と想像しました。またハドソン川沿いの、二人がよく散歩した公園にも足を運び、時代は変わってもその土地に染みついている、彼らの息遣いを感じ取るようにしました」。

そういうリサーチを経て、彼女がイメージしたトシの女性像とは?「トシはピートの妻であり、母親でもあり、同時にマネージャーでプロデューサーでもあった。また彼女自身もドキュメンタリーを監督していて、すごく行動力を持った女性です。夫を影で支えているというだけではなく、家族の幸せのために仕事としてやりこなす力強さがある。そんな彼女を、ピートは心の支えにしていて、女神(ミューズ)のように思っていたと思うんです。ピートは夢を追い続ける人ですけれど、トシは現実をしっかり見つめている人で、トシはピートにとって人生という航海をどう進めばいいのか示してくれる女神だったと思いますね」。
■「エドワードはユーモアがあって、とても優しい人間性を持った方」

その人生の伴侶ピートを演じたエドワード・ノートンとの共演は、最初かなり緊張したようだ。相手が大スターということもあるが、初音映莉子自身が人見知りで、他人と打ち解けるのに時間がかかるタイプだからだ。「あのエドワード・ノートンが相手ですからね。最初にお会いしたのはカメラテストの現場で、私は衣裳を着てヘアメイクもして、一人で待っていました。どこか居心地が悪くて、その場の隅のほうに行っていたらエドワードが現れて『映莉子はどこ?』というので、私が『初めまして』と英語で言ったら、彼は『初めまして。よろしくお願いします。大丈夫?』と日本語で返してくれたんです。あとで聞いたんですが、彼は若いころに大阪で4か月ほど過ごしたことがあって、その時日本語も勉強していたんです。その時は少し日本語が話せるんだと思って、すごく安心して『この人となら、大丈夫だ』と感じました。実際のピートは陽気な人だったようですが、エドワードもユーモアがあって、とても優しい人間性を持った方なんです。ピートはトシがいろいろ言っても、いつもにこにこしていたそうで、二人には愛で結ばれた信頼関係があったんですね。その雰囲気を、エドワードとなら自然に作れる感じがしました」。

劇中のピートは最初、音楽界でのボブ・ディランの後見人的な役割を果たすが、やがて2人は目指す音楽の方向性が違ってきて、すれ違いが生じる。そんな2人の関係性の変化をトシは敏感に感じ取り、最初は好意的に見ていたボブ・ディランに、後半では強い批判の目線を向ける。「皆さん、後半の1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルに向けて、トシの表情がどんどん変わっていくとおっしゃるんですが、私は前半と後半で表情を変えていこうという計算は、まったくなかったです。役を演じているうちに、心が自然にそうなったから表情が変化していった。もちろん事前にいろいろ考えるんですが、結局は現場で感じたことがすべてなんですね。現場のエネルギーを自分がどれだけ吸い込んで、それによってどれだけパワーをもらえるか。それがすべてだと思って演じていました」。

そういう意味では、現場で彼女にパワーを与えた一人が、ボブ・ディランを演じたティモシー・シャラメだった。「ティモシーはこの役を演じるために5年間、人生のすべてをかけてきたんです。初めて現場で会ったのは、ピートとトシの家に彼が来て『北国の少女』を弾き語りで歌う場面ですけれど、いい意味でとても近寄りがたい雰囲気がありました。ティモシーはカメラの前で最高のパフォーマンスをすることだけに集中していて、彼の歌声を聴いた時には、言葉が失われるような衝撃があって、鳥肌が立ちました。美しい感動に出会ったという記憶があります。この映画の現場ではティモシーだけではなく、ほかの出演者の皆さんもパワフルで、その人間がもたらすパワーの中に自分がいられたことが、とても幸せな時間でした」。

初音映莉子は2012年の『終戦のエンペラー』でハリウッド映画デビューしているが、今回の映画は彼女のキャリアの中でも大きなステップになるのではないか。「これまでもハリウッド映画に出たいと思って仕事をしたことは一切ないですし、いま活動の拠点がアメリカなのもたまたまそうなっただけなんです。私にとって大事なのは、ハリウッド映画でも日本の映画でも、どんな役と出会えるかということですし、それが自分の人生を決めると思っています。自分がその役に感動したり、惹きつけられたら、どこの国の映画でも飛び込んでいこうと思いますね」。
今後の活動に関しては。ボブ・ディランの名曲ではないが、風の流れに身を任せてノープランだとか。実は彼女には、映画デビュー作『うずまき』(00)の時にインタビューしているが、その素直でありながら自分の意見を言う、どこか芸能人らしくないナチュラルな個性が印象的だった。それから四半世紀、初音映莉子に再会してみて『いい俳優になったな』とうれしく思った。どこの国の映画でもいい。彼女にしかできない役を演じる表現者として、今後も活躍していってほしい。
取材・文/金澤 誠


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