「松根城」というお城を聞いたことがあるでしょうか。
金沢市内にあった城なんですが、金沢市が復元整備の方針を示した「松根城の魅力」についてご紹介します。

金沢市埋蔵文化財センター 谷口宗治所長
「こちらをご覧ください。斜面がありますね。これもともと人工に掘り下げた堀になります」

金沢市埋蔵文化財センター谷口宗治所長

石川県と富山県の境目、金沢市松根町にある国史跡、「松根城跡」。

戦国時代 加越国境の“最前線”に

松根城は、越中を治めていた佐々成政の山城で、1584年、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉と織田信雄、徳川家康連合軍の間で行われた「小牧・長久手の戦い」以降、北陸でも緊張感が高まる中、加越国境の最前線の場所となりました。

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MRO 兵藤遥陽アナ
「この辺りにお城があったんですね。すごい」

東西におよそ140メートル、南北におよそ440メートルの規模で、これまでの調査で門の跡や道の跡などが発見されています。

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金沢市埋蔵文化財センター 谷口宗治所長
「一般的にお城と言いますと金沢城ですとか平城を想像されると思うが山の中には石垣とか天守閣を持たない戦闘に向いた砦のようなものが各地に多く点在している」

春風亭昇太さんも絶賛の理由

金沢市公式YouTubeチャンネルで「お城の研究家」としても知られる落語家・春風亭昇太さんがこの松根城について紹介しています。その理由というのが…

金沢市埋蔵文化財センター 谷口宗治所長
「一段せり上がってますよね。土塁の名残です。ここから下を見て下さい。高いですよね。これだけの高低差がありますと攻め手はなかなか簡単に城の中に入ることができない。当時の山城の機能を今日まで良く残していることが大きな特徴の一つです」

松根城の佐々成政の相手は、加賀藩藩主の前田利家。利家の山城は切山城といい、ここからおよそ7キロ離れた金沢市桐山町にありました。

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この2つの山城を尾根上に結んでいた街道があり、「小原越」と呼ばれていました。

金沢市埋蔵文化財センター 谷口宗治所長
「お城の中でももっとも重要な構造だと言われているのが大堀切です。向こうの高台とこちらの高台は、ずっと繋がってました(小原越)。それを人の手によって大きくくぼませて街道(小原越)を遮断する、お互いに簡単に行ったり来たりできないようにする。そういう目的で道をぶった斬る。大規模な山城を作るときに廓だけでなくこれだけ大きな工事、はっきりと見ることができるお城というのは非常に価値が高いと言われています」

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金沢市埋蔵文化財センター 谷口宗治所長
「ここからのロケーションが最高なんです。砺波平野が見えるんです。一番標高が高いんですよね。ということでこのお城が築かれたと言われています。こちらが越中側、向こうが加賀側で、金沢平野から日本海まで一望に眺望することができます」
兵藤遥陽アナ
「金沢城はどこに見えますか」
金沢市埋蔵文化財センター 谷口宗治所長
「金沢城は、もっとこっち側。今は木で見えませんが、当時もしかすると城の周りの木を伐採して見晴らしをよくしていたとも考えられるので、その場合は見えていた可能性があります」

金沢市 村山卓市長
「VRの技術を使ってどのように攻めてきたらどのように追い返すかとかを現地で見ることができれば非常にリアルでわかりやすく幅広い世代にも実感していただけるような史跡になるのではと思っています」

金沢市 村山卓市長

今後、金沢市の復元整備が期待されます。