今回のテーマは「アディティブ・マニュファクチャリング」だ。この、一度たりともまともに言える気がしない言葉、おそらく覚える前に存在自体を忘れること必至だ。

言えもしない言葉の意味がわかるわけがないので、早々に正解を言うが、3Dプリンタを使用した製造のことを言うらしい。産業分野では鉄などの素材を「切る」「削る」ことで部品を作るのが主流だが、どうしても端材が出るのは避けられない。だから、これからは3Dプリンタのような「積み重ねる」方法で、部品作りをムダなくやっていこうぜ、というような文脈でよく使われるのだという。日本語で言うと「積層造形」だ。

では「積層造形」と「アディティブ・マニュファクチャリング」がどう違うかというと、担当によれば、最近は後者の言葉を好んで使っている企業が多いと言う。

好みの問題かよ。

では、3Dプリンタの回と全く同じことを言うしかないのでは、と思ったが、それ以前に私は3Dプリンタのことを知らなすぎる。というか、実際に3Dプリンタでものができるところすら見たことがない。

逆に、「貴様は前の3Dプリンタの記事をどういう神経で書いたのだ」と言われそうな気がしてきた。これでは、Amazonのレビューで見てもいない映画に「漫画の実写映画化は全部クソ」と☆1をつけたり、逆に「使ってないけど高評価レビューするとポイントもらえるので☆5です!」とやったりしているのとなんら変わりない。

○技術を習得した人に訪れる「冗談ではねえ」事態

というわけで、急ぎ3Dプリンタの動画を見てきた。

自分の持つ3Dプリンタのイメージとしては、溶けたプラスチック的な物が噴射され、立体物ができる。そして完成した物はプラスチックの質感丸出しで、色は素材そのまま、つまり、騒ぐほどではなかった、という印象だった。

だがそれは、外国人が、日本にはいまだに忍者がいて、毎日寿司を食ってるんでしょ、と思っているのと同じだ。もちろん現代日本に忍者はいないし、せいぜい警察署の前でなぜかみんな忍び足になってしまうぐらいだし、寿司は経済的な理由で毎日は食えない。それと同じように、3Dプリンタも自分が抱いていたイメージより確実に進化していたのだ。進化と感じたが、どうも今までイメージしていた3Dプリンタは家庭用の安価な物で、今回動画で見た物は業務用のウン千万円する3Dプリンタを使ったものだったらしい。

私が見た動画は「3Dプリンタで自分そっくりのフィギュアが作れる」というものだった。まず、動画のチョイスを若干ミスった気がした。技術はすごくても、「俺そっくりのフィギュア作りてえー!」とは思わないからだ。

では3Dプリンタで何が作れれば魅力を感じるか、と言われると「福沢諭吉」だろうか。もちろん、諭吉のリアルフィギュアが欲しいという意味ではない。しかし、期待している意味で作ると法律に反するため、やはり3Dプリンタのすごさを知るにはフィギュアが一番わかりやすいのだろう。

まず専用のスキャナで、人物の造形を読み取る、この作業のために、モデルは数十分もの間微動だにしてはダメだそうだが、これも自分クリソツのフィギュアを作るだと思えば我慢できる。と言いたいが、一秒たりともジッとしていたくないし、むしろ逃げ出したい。担当が言うには、最近はカメラを何十台も使うことで、普通の写真撮影のごとく一瞬で終わるタイプもあるらしいが、逃げ出したいというのは時間の問題だけではないのだ。

そしてそのデータを元に、3Dプリンタで出力していくわけだが、そのプリントの仕方が予想していたのと少し違った。原料(私が見たのは石膏パウダー)を一層ずつ重ねていき、立体物を作るのだが、フィギュア部分だけが作られるわけではなく、周りの部分も重ねられていく。つまり完成時は石膏の塊状態で、そこからレーザーを当てるなどして固められたフィギュア部分を掘り起こすというわけだ。

そして、それが本当に精巧なのだ。完全に着色された状態だし、服の柄まで再現されている。ちなみに、その動画のモデルは一般の中年女性だった。モデルが悪いのではない、その動画を選んだ私が悪いのだ。

とにかく、知らない間にすごいことになっていた、というわけだ。もちろん自分のフィギュアを作ろうとは思わないが、例えば刀剣乱舞のへし切長谷部が実在していれば、長谷部のリアルフィギュアが簡単にできるというわけだ、長谷部を実在させる方が難易度が高い気がしなくもないが、それは卵が先かニワトリが先かみたいな話である。

フィギュアを手作りしようと思ったら相当な技術がいるが、この3Dプリンタなら、モデルが数十分逃げ出さなければ、技術がなくても精巧なフィギュアができるというわけである。仮にモデルが逃げたとしても、捕まえて荒縄で縛っておくなどすれば、荒縄で縛られたフィギュア、というさらにマニアックな物ができるので、ウィンウィンだ。

技術がなくてもできる、というのは良いことだが、技術者側からすれば恐ろしいことである。漫画だって、いつ、全く絵が描けなくても、思い通りの漫画が制作できるツールが誕生するかわからない。それも時間とコストをかけずに、だ。

時間をかけて技術を習得してきた者にとっては冗談ではねえ話だが、今までもそういう冗談ではねえことが何回も起こっているし、そうやって社会は進化してきたのだ。

幸い、私は絵の技術がないため、そういうツールが出てきても「今までの苦労は一体」のようにはならないだろう。

むしろそのツールを率先して使うつもりである。

<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年〜)、コラム集「ブス図鑑」(2016年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。本連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より絶賛発売中。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2017年7月25日(火)掲載予定です。