幕末の1864年に建った国内に残る最古の教会で、国宝の大浦天主堂(長崎市南山手町)のステンドグラスとされる古いガラス板を、熊本県天草市の旧家が保存している。天主堂創建時の記録にある「色ガラス」とみられ、専門家は「非常に貴重」と評価している。  ガラス板は赤(縦61センチ、横46センチ)と透明(縦51センチ、横46センチ)の2枚。幕末に長崎・大浦海岸を埋め立てて外国人居留地を造成した天草の赤崎村庄屋を務めた北野織部の子孫、北野鋼一さん(73)=天草市有明町赤崎=が自宅で保管している。  北野織部は、大浦天主堂の建築工事を請け負った天草の大工棟梁(とうりょう)、小山秀之進の実兄。鋼一さんによると、ガラス板は「大浦天主堂のステンドグラスの残り物」と伝わっている。小山は長崎で事業に失敗して織部を頼った。鋼一さんは「小山は織部にガラス板を譲り渡したのではないか」と話す。  大浦天主堂を建立したパリ外国宣教会のプティジャン神父は1864年に書いた手紙で、「色ガラス」を窓に施す計画を記し、窓のイラストを描いて説明している。「私は色ガラスも求めました。六十弗(ドル)かかりました」と実際に購入したことも報告している。  教会建築に詳しい長崎総合科学大の林一馬名誉教授によると、創建時の大浦天主堂は、色ガラスを組み合わせたステンドグラスを正面や側面の窓に施していたとみられる。「当時の日本にガラス板を製造する技術はなかった。北野家に残るガラス板は外国から取り寄せたもので、工事で使用した残りを小山が大切に持っていたのではないか」とみている。  鋼一さんは長年、ガラス板を天草市立天草キリシタン館に寄託していたが、展示される機会がなく、今年5月に返還された。「家の宝物なので手元に置いておきたいが、長崎の人に見てほしい気持ちもある」と話している。  大浦天主堂は1865年3月、プティジャン神父と長崎・浦上村の潜伏キリシタンが出会った「信徒発見」の舞台。来年夏の世界文化遺産登録を目指す「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(本県、熊本県の12資産)の構成資産になっている。