2月のある日。約束通りの時間に電話が鳴った。長崎県内の80代女性が恐る恐る受話器を取る。「もしもし…」。警察官2人が隣で息を潜め、会話の内容をメモしていく。
 電話の相手は特殊詐欺の犯行グループ。女性はその時、「だまされたふり作戦」の最前線にいた。
 相手のうそを信じたかのように演じ、犯人と接触を図って摘発する捜査手法。長崎県警幹部は「特殊詐欺犯を現行犯逮捕できる可能性が高い」と説明する。
 なぜ、県警の捜査に協力したのか。女性は数日前、この詐欺グループに800万円をだまし取られる被害に遭っていた。
 数週間前。「あなたの名前が三つの会社にボランティア登録されている」。生活センター職員のヒロセを名乗る人物からの電話が始まりだった。ヒロセから名義代理人を紹介され、その場は解決したかに思えた。だがそうではなかった。
 数日後。「アイテック東北」という会社のタチバナ、トウジョウを名乗る人物から電話があった。「代理人のマツモトさんが名義の登録書き換え前に車いすを20台購入した。名義貸しで法律違反となり、裁判になります」
 状況は理解できなかったが、「裁判」の言葉に女性はひるんだ。電話の相手から「解決には裁判所へ800万円の積み立てが必要」と言われた。後日、今度は代理人のマツモトから電話がかかってきた。
 マツモトは電話口で「自分のせいで…」と謝罪の言葉を口にした。女性は騒動に巻き込まれた同じ被害者だとマツモトに同情し、えたいの知れない不安を早く振り払いたい衝動に駆られた。
 女性は電話相手の指示通り、引き出した現金800万円を段ボール箱に詰めて、指定された愛媛県内の住所に郵送した。
 安心したのもつかの間、翌日、相手はさらに2400万円を要求してきた。もう1人では抱えきれなかった。初めて事情を打ち明けると、息子はこう言った。「それは詐欺ばい」
 息子が110番し、詐欺事件として警察の捜査が始まった。

◎逮捕まで緊張のやりとり

 「このままじゃ歯がゆいけん、捜査の協力をさせてくれんですか」
 女性は自宅で捜査員に経緯を説明しているうち、犯人への怒りがふつふつと湧いてきて、捜査協力の依頼に即答した。
 県警によると、捜査への協力を求められ「もう声も聞きたくない」と断る被害者も少なくない。女性宅で早速、「作戦」の打ち合わせが始まった。
 捜査員は、犯人からの質問に対する回答例などを事前に指導。大前提は「全て犯人たちの指示通りに動くこと」だった。
 犯行グループからの電話は午前10時と午後6時の1日2回。通話時間はそれぞれ約5分。毎日、所定の時間に警察官2人が訪れ、居間にスタンバイした。自宅は対策本部と化した。
 女性は緊張感を抱えたまま、相手と電話でやりとりを重ねた。しかし、警戒心をにじませてこう尋ねられる時があった。「誰にも言ってないか」「周りに誰かいるんじゃないか」。女性は「そんなことない」と自然体でかわした。捜査員の一人は「たいしたものだな」と舌を巻いた。
 最初の800万円の被害の時と同様、犯行グループは2400万円を指定の住所に郵送するよう指示してきた。「資産整理と終活と説明すれば、銀行も引き出してくれる」。女性はつい作戦のことを忘れ、相手を罵倒したい気持ちになったが、何とかこらえた。
 県警はすぐに大量の模擬紙幣を用意。捜査員が2400万円分の束を女性の前で積み立てて見せ、大きさや重さを把握させた。段ボール箱の送り状には「日用品(タオル)」と記入。作戦開始から約1週間後、指定された愛媛県内の住所地に発送した。
 送り先の周辺には県警の捜査員数人が先回りしていた。女性は捜査員と自宅で、宅配会社の荷物追跡サービスを利用しながら、固唾(かたず)をのんで状況を見守った。「犯人を確保」。現地からの報告に女性は胸をなで下ろした。逮捕されたのは「受け子」の18歳少年だった。
 約1週間に及ぶ作戦が終わり、犯行グループからの電話は途絶えた。事件から約9カ月。受け子は上層部の連絡先を知らず、その後の捜査は難航。他の共謀者は捕まっていない。だが、女性が放った“一矢”は犯行グループを確実にうろたえさせた。女性は「少しは報われたのかな」と振り返る。
 しかし、被害に遭った800万円は戻ってこない。思い出すたびに自己嫌悪に陥る。夫に先立たれて10年。独居生活が長く、気が付けば、周りに悩みを相談できる相手もいなくなっていた。
 捜査関係者は事件後、定期的に自宅を訪問してくれるようになった。共に作戦を遂行した「戦友」のような存在。近くの交番の警察官も時々、巡回をかねて顔を見せてくれる。もしまたトラブルに巻き込まれても、今度は大丈夫−女性は今はそう思っている。