「道路交通情報センターの太田さん」キャスター人生に幕…ラジオで渋滞情報を発信、運転者に寄り添い45年 長崎
「道路交通情報センターの、太田さーん」
番組パーソナリティーが呼びかけると、県警内のスタジオにマイクが切り替わり、太田さんの仕事が始まる。県内の交通情報がリアルタイムで分かる大きな管制モニターを確認しながら、朝夕の渋滞情報を簡潔に発信。「シートベルトはねじれていませんか」「前方に歩行者の姿は見えませんか」。明瞭に、そしてドライバーの隣で語りかけるように言葉をつないで地域の交通安全に貢献してきた。
高速道路や警察、県庁など関係先から事故・災害、工事に関する情報を取材し、放送内容を構成、オンエアするのが道路交通情報センターの業務だった。
地元のラジオ3局を担当し、平日は午前5本、午後7本。最長2分未満の限られた放送時間内で必要な情報を過不足なく伝える緊張感と向きあいながら、年間約千本を放送してきた。3月ごろから後任の新人2人への引き継ぎ業務に当たり、5月半ばに最後の放送を終えた。
大村市出身の太田さんは小学生の頃、学校行事で放送の世界に興味を持った。高校、短大と課外活動で放送に携わり、卒業後の1980年、20歳で同センターに就職した。
イントネーションは独学。アナウンスや電話応対の検定を受検して能力を磨き、休日は県内のイベントに足を運んで渋滞発生状況を自分の目で確認するなど「常にアンテナを張っていた」という。
印象深いのは入社2年後の1982年7月に起きた長崎大水害。職場に寝泊まりし、道路の交通規制情報などを昼夜伝えた。「雨水が滝のように流れる道を職場まで歩いたのは怖かったけれど、災害時の放送は人命を左右するから最重要」と使命感を持つ。両親や2人の子どもの理解、そしてリスナーからの温かいメッセージや差し入れに「何より励まされてきた」
5月29日、最後の出勤日には長年お世話になった県警本部で、同じタイミングで同センターのラジオ放送を卒業する県警OBの西野智祐さん(66)と共に花束を贈られた。最後の放送では、太田さんをねぎらうメッセージが何通もリスナーから届き「とても驚いた。自分が一生懸命伝えてきたことがしっかり届いていたんだと思うとありがたい」と涙が込み上げてきた。
入社当初、ラジオは人々の生活に欠かせないツールだった。スマートフォンの普及などで当時に比べるとラジオを聞く人は随分減ったが、ラジオは今後も必要なものだと太田さんは信じている。「人工知能(AI)を活用したアナウンスが増えているけれど、やはり人の声の方が、人の気持ちに寄り添えると思う」。キャスターからリスナーへと変わっても、ラジオを愛する気持ちは変わらない。


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