新型コロナウイルス感染症によるパンデミックを受け、延期が決まった2020年東京オリンピック。

 五輪がこれほどの大混乱に陥るのは戦後初めてだが、歴史を振り返ればボイコットや参加禁止、火山の噴火など、多くの混乱や危機に見舞われてきた。

ローマからロンドンへ

 ローマは1904年、ベルリン、トリノなどを抑えて1908年五輪の開催都市に決まった。ところが、準備開始から2年後にベスビオ山が噴火、麓の街が破壊され、ナポリは都市機能が麻痺した。復興に多額の費用がかかることから、イタリアはローマ五輪の開催を断念した。

 それでも、五輪が中止されることはなかった。国際オリンピック委員会(IOC)は開催都市をロンドンに変更。準備期間は10カ月しかなかった。英国オリンピック委員会は残された時間を最大限に活用し、真新しいスタジアムまで建設した。五輪専用の施設がつくられたのはこれが初めてだった。

ヨーロッパが戦争に突入

 1914年7月、第1次世界大戦が勃発したとき、ベルリンはすでに1916年五輪の準備を進めていた。新しいスタジアムも建設され、ドイツ皇帝兼プロイセン国王ヴィルヘルム2世の面前で落成式のパレードが行われた。

 ヨーロッパの大部分が戦争に突入していたため、当時まだ戦争に加わっていなかった米国など、中立的な地域への変更も検討された。しかし、問題は開催地だけではない。十分な数の選手を集められるかどうかもわからなかった。米ニューヨーク・タイムズ紙は1914年12月、「戦争により、(五輪は)おそらく中止せざるを得ないだろう」と予想した。結局、1916年五輪は中止になった。

 1920年、五輪はベルギーのアントワープで再開された。開会式では、平和の象徴としてハトが放たれ、初めて選手宣誓が行われた。その後、五輪は20年にわたって通常通り開催され、1924年には、冬季五輪も始まった。

ナチスに対するボイコットと第2次世界大戦

 IOCはベルリンに1936年五輪開催の栄誉を与えた。第1次世界大戦で敗北したドイツが国際社会に復帰したことを象徴するためだった。ところが、アドルフ・ヒトラーが台頭し、ユダヤ人選手の五輪参加を禁止したことで、多くの国が激怒した。そして、1936年五輪をボイコットする動きは米国、英国、フランス、スウェーデンなどへ広がった。

 人種差別的なプロパガンダで台無しにされたものの、ベルリン五輪は予定通りに開催された。その後、第2次世界大戦が勃発し、五輪は10年以上にわたって中断されることになった。

 日本は1940年、東京で夏季五輪、札幌で冬季五輪を開催する予定になっていた。しかし1937年、日中戦争が勃発して各国がボイコットを示唆、戦費の上昇などもあり、日本は五輪の開催権を返上した。

 IOCは再び、フィンランドとドイツを候補に開催地の変更を検討し、最終的にヘルシンキでの開催を決定した。ところが1940年までに、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻し、五輪は中止された。世界を巻き込む戦争は1945年まで続き、夏はロンドン、冬はイタリアで開催予定だった1944年五輪も中止を余儀なくされた。

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