米国で女性が参政権を得てから100年。カマラ・ハリス上院議員が女性として初めて米国副大統領に就任することが決まった。黒人系、アジア系としても初ということになる。

 だが、その地位を目指した女性はハリス氏が初めてではない。女性たちは投票ができるようになる以前から出馬していた。

 1872年、立ち上げられたばかりの平等党において、女性初の大統領候補に選出されたのがビクトリア・ウッドハルだ。彼女は、ニューヨーク州で新聞社を創立した女性参政権論者で、妹ともども女性初の株式仲買人でもあった。

 ウッドハルが実際に選挙活動を行ったのかは明らかでない。当時まだ33歳だったため、大統領に就任する資格もなかった(奴隷制度廃止論者のフレデリック・ダグラスが副大統領候補とされたが、彼自身は候補者名簿に載ることを聞かされておらず、最後まで出馬を認めなかった)。

 大統領選挙の日、ウッドハルはわいせつ罪容疑で拘置所にいた。ある宗教的指導者の不倫にまつわる事柄を新聞に掲載したとのことだった。名を知られていたにも関わらず、彼女が大統領選で票を獲得したという記録は残っていない。

 ウッドハルは選挙に勝つつもりがなかったようだが、ハリス氏を含め、その後に登場した女性候補者たちは決してそうではなかった。米ラトガーズ大学のアメリカ女性と政治センター(CAWP)によれば、これまでに少なくとも11人の女性が米国副大統領候補となっている。その中には複数のアフリカ系女性と、1人のアジア系女性もいた(CAWPのリストには、何らかの点で史上初となった候補者や、一般投票において少なくとも1%の票を獲得した候補者、主要政党の大統領候補指名大会で100票以上を獲得した候補者のみが含まれているため、出馬した女性は実際にはもっと多い可能性がある)。

 初期の候補者たちの多くは二大政党以外の政党に所属していた。特定の問題に目を向けさせるため、あるいは何らかの主張の正しさを証明するため、彼女たちは立候補した。あるいは、男性候補者の選挙戦を有利にするためリクルートされる場合もあった。実際に有力候補となった女性はわずかだ。いかに狭き門だろうと、米国で2番目の高位に就くべく闘った女性たちを紹介しよう。

マリエッタ・ストウ

 1884年、カリフォルニア州の新聞社のオーナーだったマリエッタ・ストウは、急ごしらえで立ち上げた国民平等党(ウッドハルの平等党とは別)において、女性弁護士のベルバ・ロックウッドを大統領候補に推薦した。女性はまだ投票できなかったが「投票されることを遮る法律はない」とロックウッドが指摘したことがストウに響いた。ストウは自ら米国初の女性副大統領候補となり、力の入った選挙活動の結果、男性のみによる投票において二人は約1000万票中5000票を獲得した。

リナ・スプリングス

 サウスカロライナ州で女性参政権運動を率いていたリナ・スプリングスは、1920年に女性の参政権が認められて以降、民主党で政治活動をするようになった。1924年の民主党全国大会で資格審査委員会の議長を務めた彼女は、主要政党初の女性副大統領候補に推薦された。

「とても信じられないことですが、よき友人たちが、私をそのようなことに値すると考えてくれているのはうれしいことです」と彼女は語っている。スプリングスの得票数は少なくなかったが、最終的に指名されたのはネブラスカ州知事のチャールズ・ブライアンだった。

シャーロッタ・ベース

 1952年、黒人女性初の副大統領候補となったシャーロッタ・ベースは、西海岸で最大のアフリカ系米国人のための新聞「カリフォルニア・イーグル」のオーナーとしてすでに名を馳せていた。黒人の権利も女性の権利も無視する二大政党に愛想を尽かしていた彼女は、進歩党という政党からビンセント・ハリナン大統領候補と共に出馬した。ベースとハリナンは14万票を獲得したものの、ドワイト・D・アイゼンハワーとリチャード・ニクソンが大勝した。

次ページ:初の先住民女性副大統領候補も