国際ニュースの英語をご紹介するこのコラム、今週もアメリカ中間選挙についてです。無知をよりどころにした民衆運動が国政を動かそうとしている、世界唯一の超大国についてです。憲法を聖書のようによりどころにしながら、憲法が政教分離を定めていることも知らず、知らないことを恥ずかしいとも思わない候補たちが、ワシントンを目指しています。いったい誰がその無知なる進撃を支えているのか。(gooニュース 加藤祐子)

○「無知がオシャレ」でいいのかアメリカ

火曜日のコラムで「権力者にいいように利用される無知なる民衆運動」というものを考えたのは、間接的には、アメリカの「茶会運動(Tea Party movement)」のことをここ1年以上ずっと考えているからです。各地でバラバラに展開される茶会運動に統一的な綱領はありませんが、おおむね共通しているのは、「連邦政府は国民生活の邪魔をするな」、「政府は小さい方がいい」、「オバマ医療保険改革を撤回せよ」、「オバマ増税を許さない」、「オバマの社会主義を許さない」、「不法移民を許すな」、そして「憲法を敬え」です。

アメリカの中間選挙は11月2日。あと2週間足らずに迫った今、アメリカの主要メディアには「ignorance(無知)」という言葉が踊っています。それは茶会運動や超保守派から「非国民エリート」と嫌悪される主要メディアの、切迫した危機感の表れに見えます。「本当にこういう連中に国政を任せて、それでいいんですか? アメリカ国民として、本当にそれでいいんですか?」という叫びが、記事の行間から響きわたるようです。

ここ数日、アメリカで政治ニュースに関心のある人たちの間で話題になっていたのが、『ニューヨーク・タイムズ』紙の著名コラムニスト、モーリーン・ダウド氏。代表的なリベラル論客のダウド氏はまず、オバマ政権や民主党議員たちを中傷するサラ・ペイリン氏とお仲間を「意地悪な女子高校生グループのよう」「ペイリンはその中の女王蜂」と痛烈非難。それに応えて当のペイリン氏が「モーリーン・オダウド? ダウド? 誰それ?」と笑い飛ばそうとした。アンサーとしてダウド氏が今度は、「Making Ignorance Chic(無知をオシャレに)」というコラムを発表したのです。

かいつまむと、かつて「世界一バカな金髪」と言われたマリリン・モンローは、確かにインテリではなかったけれども、「頭がいいのはカッコいい」と知っていたし、自分を高めようと努力して勉強もしていた。本も読んでいた。しかしサラ・ペイリンとそのお仲間たちは「無知こそオシャレ」と強気だ。尊敬しているという建国の父の名前を答えられないし、日頃どういう新聞・雑誌を読んでいるかと聞かれても答えられない。崇め奉る憲法が政教分離を定めていることも知らない。具体的にどの最高裁判決に反対なのか質問されても、答えられない。そういうことをいちいち知ってるアイビーリーグ大学出身のエリート(たとえばオバマ氏)は、意気地なしだと馬鹿にする。母国語の英語を間違えようが、ヒスパニックの生徒たちに向かって「あなたたちちょっとアジア人に見えるわね」と言おうが、何も気にしない。そういうのが「いい」とされる国に、アメリカはなってしまった——と、そういう内容のコラムでした。

ダウド氏は良くも悪くもくっきりはっきりリベラルな人なので、茶会運動の支持者が彼女のコラムを読んで「そういやそうだな」と支持候補を変えるわけもない。けれども、なんだかやる気がしなくて棄権してしまいそうな浮動票層には響くかもしれない。ダウド氏だけでなく、茶会運動の「無知」を取り上げる多くの記者やコラムニストが、「ぼやぼやしてたら大変なことになる!」と、自分たちの読者に警告しているかのようです。

○「憲法のどこに政教分離が」

学歴詐称や債務不履行のほかは「若い頃には魔術を少々」という以外にこれといった経歴のないまま、東部デラウェア州の共和党上院候補になった茶会運動のスター、クリスティーン・オドネル氏の最近の失言が、実に典型的です。民主党の対立候補との討論会でオドネル氏は、「いったい憲法のどこに、政教分離が書いてあるんですか?」と詰問。討論会の聴衆は地元大学ロースクールの学生たちだったので、オドネル氏の質問に失笑したのだけど、オドネル氏は自分を応援する笑い声だと勘違いした様子。弁護士でもある対立候補が「修正第1条ですよ」と指摘すると、懲りない彼女は「修正第1条? 修正第1条に『政教分離』って表現があるっていうんですか?」と。

このやりとりがアメリカで大ニュースになりました。確かに、合衆国憲法の修正第1条に「政教分離(separation of church and state)」というそのものズバリの表現はありません。しかしだからといって「憲法のどこにそう書いてあるんですか?」と言い募るのは、「いつどこで何時何分何秒」的な小学生なみの屁理屈です。確かにその屁理屈解釈が、少数の憲法原典主義者のあいだではまかり通っているのですが、オドネル氏の場合はそれですらなさそう。彼女はただ単に、「連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律(中略)を制定してはならない」という修正第1条の規定を知らなかった様子です。まして、この規定について(よりによって彼女達が大好きな「建国の父」のひとりの)トマス・ジェファーソンが「政教分離」を意味するものだと注釈していることも、知らなかった様子です。

日本人がこのことを知らなくてもまったく無知ではありません。けれども(トマス・ジェファーソンのくだりは別にして)、修正第1条が政教分離を定めているというのはアメリカでは早ければ小学校で、遅くても高校で習うことです。正確に何条に書いてあるのか覚えていなくても、憲法のどこかに政教分離が規定してあるはずだというのは覚えていてほしいし(上院議員候補なのですから)、まして自分からそれに異を唱えるなら調べておきましょうよという話だと思います。それにアメリカはそもそも、本国イギリスでの宗教迫害を逃れた清教徒たちによって植民された国です。つまり「政教分離」はアメリカという国の根幹のひとつといえる。

にもかかわらず、憲法を聖書のように崇め奉り、「建国の父」たちを聖人のように崇め奉る「茶会運動」の上院議員候補が、そのことを知らず、公開討論会で無知をさらけ出したわけです(その後マスコミに「どういうことですか?」と問い質された当人は、「憲法は、政府に一切の宗教活動を禁止しているわけではないという、私の憲法理解の方が正しい」と微妙に言い分を変えていて、そして相変わらず強気ですが)。

ちなみに日本国憲法で政教分離を定める第20条にも「政教分離」の表現はありません。それをもってして「憲法のどこに政教分離が定めてあるんですか?」と何度も繰り返す候補を、国会議員にしていいのだろうか——という話です。「政教分離なんて憲法に書いてないじゃないですか? だったら進化論と平行して創造論(天地創造説)を理科の授業で教えるべきです」と主張する人を。

彼女に限らず、こういう人たちが国政を目指していることに、アメリカの一部メディアは強い危機感を抱いています。オドネル氏のこの発言のおかげで修正第1条に何が書いてあるか広く報道され、多くの人に知られるようになったのは、とても良いことですが。

英語には、「悪魔でさえ自らの目的のために、聖書を引用できる(The devil can cite Scripture for his purpose.)」という表現があります。ペイリン氏やフォックス・ニュースのグレン・ベック氏らアメリカの超保守論客たちが何かと「神」や「聖書」を持ち出すときに、私はいつもこの言葉を思い浮かべます。彼らにこれを言ったら、怒るだろうなあ、と。しかも、実はこれはシェイクスピアの『ヴェニスの商人』の台詞なので、ますます「インテリぶりやがって」と怒るだろうなあ……と。