国際ニュースの話題をご紹介するこのコラム、今回もアメリカ中間選挙についてです。ご承知のように、民主党が予想通り大敗したわけですが、失業率が10%近いときに現職や与党に批判票が集まるのは当然ですし、それを思えば英語でいうところの「It could have been worse(もっとひどい結果もあり得た)」です。民主党にとっては。上院の過半数はギリギリ死守したので。なにより、「いくらなんでもひどすぎるだろう」と大勢に思われていた両党候補の多くは、落選しましたし。アメリカはまだまだ「正気」でまともな国だと安心しました。今後の問題は、オバマ大統領が変われるかどうかです。(gooニュース 加藤祐子)

○許される過激にも限度はある

「中間選挙で注目されるのは民主党がどの程度負けるかであって、民主党が大勝するとは誰も思っていない」と先月末に書いたとき、下院はもちろんだが民主党は上院でも少数党になるのではないかと思っていました。なにせアメリカの有権者は2006年、2008年、そして今回と3回続けて、与党をゴッソリ追い出しているので。2006年には上院と下院の多数党が入れ替わり、08年にはホワイトハウスが入れ替わり、今回はまた下院が入れ替わりました。それだけに、政界の大ベテラン、ハリー・リード上院院内総務も、茶会運動の過激な女性候補に負けてしまうのではないかと懸念していました(別にリード議員のファンではありませんが、対立候補がひどすぎた)。

今回の中間選挙では、共和党と茶会運動が民主党から下院で60議席、上院でも6議席も奪還しました(まだ未確定の議席もあるので、共和党の獲得議席数はさらに増えるかもしれません)。その大潮流があったにもかかわらず、(1) 茶会運動から出馬した「若い頃に魔術を少々」のクリスティーン・オドネル氏や、(2)「いざとなれば(武器の所持権を認める)憲法修正第2条で政府をなんとかするしかない」などと言い、ヒスパニック系やアラブ系を侮辱しまくり、リード上院院内総務に「もっと男らしくしなさいよ」など暴言を吐きまくっていたシャロン・アングル氏、(3) 「貧乏人には清潔な生活習慣を教えるべきだ」とか「ゲイは神の意志に反する」など言いたい放題して、自分に不利な情報を書いた記者を「消してやる」と脅すなどしていたカール・パラディーノ氏らが落選したことは、アメリカ人の「正気」の表れではないかと思いました。対立候補の発言を悪意をもって切り貼りして発言をねつ造し、「タリバン」呼ばわりした民主党のアラン・グレイソン候補が落選したこともまた、アメリカ人の「正気」の表れではないかと。

『ニューズウィーク』誌はこの点について、「候補者が有権者に拒絶されずにどこまで過激になれるか。さすがに限度がある(there are limits)ということだろう」と書いています。あるいは(私が10月30日の集会で実感したように)もともと大多数のアメリカは、怒鳴らず落ち着いて対話することを大事にする、理性ある中庸な人々なのだという証かもしれません。カリフォルニア州で、大麻の娯楽使用を合法化しようという条例改正案第19号(Proposition 19)が否決されたことも、見方によっては、アメリカ人の理性や中庸の表れだったのかもしれません。

医療保険改革をめぐるアメリカ国内の騒ぎを見て「クレージーだ」と思ったのが去年の夏です。それが今年の夏〜秋になると、無知なのか粗雑なのか大胆なのか分からないけれども「なんだこりゃ」としか思えない候補たちが次々と注目され、ついに「正気を取り戻そう」という集会が選挙目前になって開かれる事態に。世界唯一の超大国の国政をめぐるキーワードが「クレージー」とか「無知」とか「正気」とか、そんなことでいいのかと私は当惑していました。そのこと自体がまったくクレージーではないかと。

そう思いながら「正気を回復するための集会」に参加してアメリカ人の正気を再確認し、そして選挙結果でもこの正気を確認してホッとしていたところ、オバマ大統領は「civility(礼儀、礼節)」という単語を使いました。選挙大敗の責任は自分にあると認めた「敗戦の弁」の記者会見で。選挙中にバージニア州で開いたタウンホール集会で、小さな会社の経営者だという男性から尋ねられたというのです。「この国の対話に礼節を復活させることはできるだろうか、健全な立法手続きの復活は期待できるのだろうか」とその男性は、大統領に問いかけたのだそうです。

英語うんちくを語ると、「civility」とは「civil」という形容詞から派生した名詞で、ともにラテン語の「civilis=市民に関すること」からきています(「市民」を意味するラテン語はcivis)。「civilization=文明」と同じ語源です。つまり共和政ローマの人たちにとっては「市民」であること、ローマ市民らしくふるまうことは「礼儀正しく、礼節をもっていること」と同義だったわけです(マンガ「テルマエ・ロマエ」を連想します)。ついでに言えば「civil law=民法」、「civics=公民」。アメリカ政治に必要だと言われているのは、「civil discourse=礼儀正しい対話」です。

話がそれました。オバマ氏は会見でこの「civility」という言葉を使って、国民や共和党の「礼節に期待できると強く思う」と言いました。しかし私に言わせれば、大統領はむしろアメリカ国民の礼節や、もっといえば真当なバランス感覚に救われたのだと思います。It could have been much worse(もっとひどい展開もあり得た)ので。大統領自身は、国民から「shellacking」をくらったのだと言っていましたが。日頃めったに使わないし見ないこの「shellacking」という言葉は「完敗」や「殴打」とかいう意味の俗語なので、「国民からぶっとばされた」とでも訳しましょうか。大統領選前から今に至るまで、自分と国民との関係は進化し成長し続けているのだと、大統領は言ったわけです。今回こうやって「ぶっとばされた」のは、その成長過程の一環なのだと。

○もっと分かりやすく語らなくては

『ニューヨーク・タイムズ』紙も選挙翌朝の社説で、大統領をぶっ飛ばすというか、ぴしゃりと叱っています。

「オバマ氏と民主党は、自分たちのビジョンや政策をもっとずっと上手に説明しなくてはならない。オバマ氏は支持基盤を無視して傍観を決め込み、議論の方向性を他人に決めさせるというこれまでのやり方を、止めなくてはならない。政権はこれまでとても厳しい状況下で本物の進歩を実現してきたと、本当なら国民にそう認識されていて然るべきだ。歴史的な医療保険改革にしろ、今よりはるかにひどい景気後退を防いだ景気刺激策にしろ、金融危機の再来を防ぐ金融改革にしろ。どれも本物の成果なのに、政敵たちはいとも簡単に意味をねじ曲げて広めたし、大統領はそれを座視していた」

要は、大統領のコミュニケーション能力の問題だったというわけです(大統領は一般に言われているよりもはるかに大きな成果を挙げている、と擁護するのは、『ワシントン・ポスト』紙の社説も同様)。

崩壊の瀬戸際にあった金融システムや自動車産業を立ち直らせたオバマ政権初期の一大成果が、選挙前には「増税、税金の無駄遣い」という文脈にすり替わってしまっていたのが、何よりも大問題でした。大統領や民主党幹部たちは投票日が近づくにつれて、(1)巨額赤字と大恐慌に陥る寸前の経済を自分たちは前政権から引き継いだし、(2)医療保険改革の成果や、(3)大恐慌の再来を防いだ——ことなどをさかんに強調するようになっていました。けれども、英語で言うところの「too little, too late(少なすぎるし遅すぎる)」でした。

象徴的な発言が、こちらでご紹介した10月27日夜の『デイリー・ショウ』出演の中でありました(ビデオ開始から5分19秒のところです)。大統領はジョン・スチュワートに、政府はいろいろと成果を挙げて来たと説明する中で、「We have done some things that people don’t even know about(みんなが知らないようなことまでやってきた)」と言いました。