英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今週は実にげんなりさせられた経産相辞任騒ぎと、実に厳粛な気持ちにさせられた英記者の渾身の力作についてです。揚げ足取りのような失言報道も報道なら、真に日本や日本人のことを思って書かれた外国人記者の力作も報道。玉石混淆。人生色々。というかそもそも、前経産相が「人生いろいろ」で追及をかわせるような人だったら、こんな騒ぎにはならなかったのだろうなあとも思います。(gooニュース 加藤祐子)

○全ての閣僚失言は平等ならず

福島第一原発を視察した鉢呂吉雄経済産業相(当時)が原発周辺地域について「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」と発言し、さらに夜回り囲み取材で(正確なやりとりは未だ不明ながら)防災服をすりつけ「放射能をうつす」というような意味の発言をしたらしい。鉢呂氏はこれで、大臣を辞任しました。鉢呂氏は大臣になる前から福島を訪れ、放射性物質の除染や子供たちの年間線量引き下げに取り組んでいた人なのですが。

この展開を見ながら私は、政治家の失言を批判することと、その政治家を辞任に追い込むことは別次元の話ではないかと、げんなりしながら週末を過ごしました。まがりなりにも民主手続きで閣僚となった人について「閣僚としての資質に疑義」と一方的に審判を下す権限が、いつマスコミに信託されたのかと思いながら。まして、正確なやりとりが不明な発言が理由で……などとグルグル考えながら(報道の経緯については、13日付『朝日新聞』(東京本社版は37面)の「メディア・タイムズ」が検証。無料で読める電子版の抄録はこちら)。

本来なら、東日本大震災から半年、そして米同時多発テロから10年という重たい週末を、静かな追悼の中で過ごすつもりだったのに。

辞任についてほとんどの英語メディアは、一部の日本人が(たとえば私がTwitterでフォローしている人たちが)いかにマスコミの揚げ足取りに辟易としているか知らないのでしょう。もっぱら日本メディアの論調を見ながら書いている様子の記事がほとんどでした。たとえば米紙『ニューヨーク・タイムズ』では、「放射能に関する冗談が、国民の間で大騒ぎとなり(caused a public uproar)」、経産相が辞任したとして、発言内容と野田首相の反応を紹介し、そしてそもそも原発事故の責任の一端は経産省にあると批判されているのに、その役所の大臣がそんな発言をしたことが国民の怒りを買ったと書いています。

米紙『ワシントン・ポスト』はこの件についてはAP通信を使うのみでしたが、同紙が掲載したAP通信記事は、「被災した人たち、野党政治家、そして与党・民主党の議員さえもが、(鉢呂氏の)発言を強く批判した」と書いています。また辞任記者会見で鉢呂氏が「死の町」発言については、「国民の皆さん、福島の皆さんに不信の念を抱かせた」ことを謝罪した上で、「これこそまさにそういう表現しか見つからない。人っ子一人通らない。しかし町並みはきちっとある。あんな地域は全国に一つもない。その事を表現するのに私の言葉では、あれしか浮かばなかった」と説明したことも伝えています。放射能云々については、「非公式の記者の皆さんとの懇談ということでございまして、その一つひとつに定かな記憶がありません」と言明を避けたことも記事は説明しています(それにしてもこういう大事な会見の全文掲載、大手新聞がサイト上でやった方がいいのではないでしょうか? フリージャーナリストの人たちにお株を奪われていないで)。

鉢呂氏が記者に防護服をなすりつける仕草(本人はそんなことをしたか「私としては、否定的」と言う)をした際、果たして正確には何と言ったのか、まるで伝言ゲームのように各社記事でバラバラに伝えられている。その文言を、英紙『フィナンシャル・タイムズ』は、「Watch it - radiation(気をつけて、放射能だ)」と英訳して、「この出来事を日本メディアが報道するや、国民的非難(public outcry)を引き起こした」と書いています。これに先立ち鉢呂氏はすでに原発周辺地域を「死の町」と呼んで、「一部の福島の住民を不快にさせていた(caused offence)」とも。そして「鉢呂氏はあまり目立たない有名でない閣僚だったが、相次ぐ短命政権の連鎖を断ち切ろうとしている政権にとっては、恥ずかしい事態 (an embarrassment)だ」と。

これはFTではなく私の感想ですが、たとえば震災を「天罰」と呼ぶ(3月14日の石原慎太郎都知事)ほどの大失言ならともかく、今回の鉢呂氏の発言は、「また日本で大臣が辞めたよ」と海外から見下される「恥ずかしい事態」を作り出すに匹敵するほどのものだったか。「an embarrassment」と英語メディアに呼ばれる事態を、日本のマスコミが率先して作りだしたとも言えないでしょうか。

米誌『タイム』の記者ブログでは、中国支局長・東アジア特派員のハナ・ビーチ記者が、「日本は白黒はっきりしない微妙な色合いの言語表現に満ちあふれた国だが、その割には日本の閣僚たちはずいぶんと失言が多い」と切り出し、鉢呂氏の発言を「I will give you radiation(放射能あげる)」と訳し、そして「鉢呂氏は着任してわずか1週間余りだった。しかし、大変な思いをしている国民から日本の政治家がいかにかけはなれているかを示すには、十分だった」と書いています。

鉢呂氏が大臣になる前から議員として福島入りしていたことを、ほとんどの記者同様、おそらくビーチ記者も知らないのだと思います。鉢呂氏は辞任会見で、そのことに少し触れているのですが。

長く日本政治を取材してきたロイター通信のリンダ・シーグ記者はこれに対して、「日本において全ての閣僚失言は平等ではない(Not all ministerial gaffes are equal in Japan)」という、実に皮肉な見出しの解説記事を書いています。見出しは、米独立宣言のあまりに有名な「that all men are created equal(全ての人は平等に創られていると)」のもじりでしょうか。