英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今週も「JAPAN」なニュースはメディアに溢れかえっています。先週は「外国メディアだからといって全て正しいわけではない」と言いたいがために「ちょっとどうなのよ」という問題報道に多くのスポットライトをあてましたが、先週も触れたように外国メディアには優れた震災報道がたくさんあります。日本をよく知る記者たちが、被災者に寄り添い支える記事。そしてリスクを過小評価しておきながら今になって「想定外」だったという日本の原発運営を厳しく非難する記事。日本メディアが十把一絡げに良い悪いではないのと同じように、外国メディアだから良い悪いではなく、バランスのとれた視点で日本を見つめている外国メディアは複数あるのです。(gooニュース 加藤祐子)

○外国紙の記者も被災地に深く

震災発生から2週間以上たつのに事態好転の兆しが見えない、東京でも桜はそろそろ咲き始めているのに……。私自身もクラクラ揺れ続けている感覚が一向にとれませんが、都内に住む自分は何をか不平を言わんや。被災した方たち、福島第一原発の周辺から避難している方たち、避難すべきかどうか不安に過ごされている方たちに、及ばずながらの思いを寄せるしかありません。こういう心情を、英語では「I stand by you」とか「My heart goes out to you」とか「My thoughts are with you」と言います。

先週のコラムには分不相応な反響をいただき、恐縮しています。私も含めていかに多くの人が混乱し当惑した10日間だったかと、改めて痛感しました。事態が予断を許さない状況であることは、残念ながら震災から2週間たった今でも変わりません。そして先週書いたように「外国メディアだからといって正しいわけではない」ことも、今でも変わりはありません。その一方で先週も書きましたが、「外国メディアの全てが間違っているわけでもない」のです。当たり前のことですが。今週はそういう冷静で真当な記事をいくつかご紹介します。ただし、本当なら被災者・被災地の悲しみと奮闘に意識を向けたいのに、どうしても原発のことが気になってならない、原発に関する記事ばかり追ってしまう。(高校の時点で物理の学習を諦めた)私自身がそういう状態にあることを、前もってお詫びします。被災された方々を決して忘れているわけではありません。

第一のトップニュースはリビア情勢に移ったとはいえ、英語メディアも原発事故に注視しつつ、被災地を決して忘れていません。むしろ日本に詳しい、日本をかねてから取材している記者たちはそれぞれの思いを胸に、被災地に深く入っています。

英『フィナンシャル・タイムズ(FT)』のミュア・ディッキー東京支局長は岩手県の大槌町を取材。「誰もが信じていた堤防は、想像もつかない波に破壊されてしまった」とリポートしました。同紙のデビッド・ピリング前東京支局長(現アジア編集長)は被災地取材の為に来日し、岩手県の大船渡市を取材。「まるで地球が、ふだん隠しているものを吐き出したみたい」な光景の中で、「がんばります」と言いながら黙々と、失われたものを瓦礫の中に探す人たちの姿を伝えています。

米『ニューヨーク・タイムズ』のマイケル・ワインズ記者(ふだんは中国を取材)も、宮城県の気仙沼市や東松島市、岩手県の陸前高田市と被災地を次々に取材。すでに死者680人が確認され500人近くが行方不明となっている東松島市については24日付で、「日本では死者の土葬は、ましてやこうして何十人も、横一列に掘った穴に集団で埋葬するなどは、普通のことではない。日本では火葬が広く一般的で、仏教の伝統からしても手の込んだ葬式は大事な儀式」なのだが、被災地では「数字の上での現実が、伝統と衝突」してしまっていると、痛ましい現状を伝えています。30数人が一緒に埋葬される葬儀を取材し、なじみのない集団土葬を受け入れるしかなかったご家族の悲しみを厳粛に、丁寧に描き出しています。

同じ記者は26日付で、避難所となっている陸前高田市の中学校を記事にしています。「ここは決してウォルドーフ・ホテルとは言いがたいが」、避難生活を送る人々は犬を散歩し、「日本の生活では絶対不可欠な」お風呂に入り、お互いに遠慮し気遣いしあいながら、皆が親しんできた「整理整頓されて効率よく回る日本」の縮小版を避難所にも再現していると。皆がそれぞれに深い喪失の悲しみや経済的な破綻などの苦しみを抱え、互いの体臭や断水や寒い屋外トイレや赤の他人との雑魚寝に耐えながらも、「秩序や礼儀は大事なことだと誰もが強く深く確信しているがゆえに、ここで赤の他人1000人の間に渦巻くカオスと絶望は、まるで読書クラブの定例会なみの混乱にとどまっている」と描写しています。

同紙のマーティン・ファクラー東京特派員は24日付で、「世界から孤絶してしまった村」として宮城県の南三陸町戸倉波伝谷(はでんや)地区から住民の様子を伝えました。波伝谷の人たちが「住民同士の緊密なつながりと、やるべきことを黙々とこなしていく姿勢」によって、救援の自衛隊がたどりつくまでの12日間を耐え抜いた様子を書いています。まったく恥ずかしいことながら私はこの記事を読んだとき、「Hadenya」という地名の読み方さえ知りませんでした。橋も道路も電話も寸断されて孤立してしまったそういう被災地に、外国新聞の特派員がたどり着いたことに、少なからず感動しました。

記事によると、被災して完全に孤立してしまった波伝谷の人たちは、「もとからそうしていたようにリーダーを選び、お互いに役割を分担し、子供や体の弱い人たちを助け合って」、自衛隊が来るまでの12日間を生き抜いたのだとのこと。津波が引くや否や、女たちはお湯を沸かし食事の用意をし、男たちは薪やガソリンを探しに行った。そして意思決定プロセスと労働分担の仕組みが整った共同体をたちまち作り上げたのだと。波伝谷の人たちがそうやって結束することで生き抜いたのは「みんなで協力し合って集団をうまく動かす」という、実に日本らしいやり方のおかげで、そういう団結力は被災地の各地で連日繰り広げられているのだとファクラー記者は書いています。

記事によると波伝谷の避難所では、入り口にその日の仕事内容が書き出され、物資の箱は廊下に整然と並べられ、トイレも清潔そのものなのだとか。近くの沼から水を汲んできていると書いてありますが、それにしてもトイレがきれいだというのはすごいことです。そして大事なことです。