英語メディアが伝える「JAPAN」をご紹介するこのコラム、今週も被災地の話と原発の話です。復興に向けて静かに動き出す東北の人たち、復興のために仙台空港を修復して、静かに去って行った米軍部隊。そして「レベル7」の意味を静かに冷静に語る科学記者たち。とりとめもなく、そういう静かな人たちの話題を拾いだしました。(gooニュース 加藤祐子)

○さらに200年続けるために

先週のコラムで、原発事故に注目するあまり被災した人たちを忘れてはならないという英紙記者の記事を紹介しました。日本のメディアはもちろんそうですが、英語メディアも決して被災者を忘れていません。震災発生から1カ月が過ぎて、各社サイトのトップに記事や写真が大きく載ることは少なくなりましたが、被災地の様子を伝える報道は続いています。たとえば英紙『ガーディアン』のジャスティン・マッカリー記者は、200年以上前から続く岩手県陸前高田市の醤油老舗「八木澤商店」を取材。蔵や製造工場のすべてが津波にのまれたこの八木澤商店のことは日本メディアも震災直後からたびたび取り上げてきました。

マッカリー記者は「午後のそよ風に、醤油の香りをかすかに感じる」工場跡を訪れ、「通常の基準でいうならもう存在しないと言える」同社の、9代目社長となったばかりの河野通洋氏を取材。37歳の河野氏が「今後さらに200年続けるための今はターニングポイント」と再生への決意を語る様子が、記事中のビデオで観られます。河野氏が語る部分は日本語なので、ぜひご覧下さい。

マッカリー記者はほかにも、「恐ろしい数分間で人生が一変してしまった」被災地の人たちを取材。この記事が紹介するのは、家族を失った子供たちを保護して、「だって当たり前のことでしょう。なんで特別なことのように言われるのか分からない」と話す、陸前高田市の踊りの先生(日本語の文言は私が、英語から日本語に翻訳)。あるいは、まだなかなか海を正視できないが、残った船を修理して必ずまた漁に出かけるつもりだと話す大船渡市の漁師。水産加工業を再開するため、新しい本部に使う被災建物の修復に取り組む同市の実業家。一時避難から南相馬市に戻って診療を続ける医師。自ら津波で家を失いながら、釜石市の避難所で食事の用意を続ける姉妹……。上述した河野社長の表情や声と合わせて、静かにたたずむこの人たちの表情や目線が、日本人の心意気のようなものを静かに、そして雄弁に、英語読者に伝えてくれる気がします。

○「我々はいなかったことに」

これまでもご紹介しているようにずっと被災地を取材している米紙『ニューヨーク・タイムズ』のマーティン・ファクラー東京支局長の最新記事は、仙台空港の再開に取り組んだ米軍に目を移しています。「破壊された日本の空港を米空軍兵たちが静かに再開」という13日付記事は、米軍の支援活動「トモダチ作戦」の輸送拠点とするために、津波で水没した仙台空港の修復に米軍が取り組んだ様子を紹介。米空軍第353特殊作戦群(沖縄・嘉手納基地所属)の約20人と海兵隊・陸軍260人がイラクやアフガニスタンなどの戦場で培った技術を駆使して、まず(瓦礫と泥と自動車で覆われた)滑走路の確保から着手していった様子を説明しています。壊れた管制塔の代わりに無線機を背負って管制指示を出していた第353特殊作戦群のトラクスラー少佐は、「災害の時はいつもそうだ。まず滑走路を確保する」、「しかし戦場でもこれほどのひどい破壊は見たことがない」と話していたと。そうこうして民間航空の使用は4月13日に再開したが、その時には修復に協力した米軍部隊はもう現場を離れていたことも。

「米軍は日本で過去最大級の支援活動を展開したが、米軍を受け入れた当の日本当局より目立つことのないよう、慎重に行動していた」、米軍部隊が仙台空港の現場をさっさと離れたのもそのためだと、ファクラー記者は書きます。前述のトラクスラー少佐は、記者に「我々がここにいたことさえ気づかれないようにすること。それが我々の目的だ」と話しています。

記事はさらに、米兵1万8000人、20艦船が参加した「トモダチ作戦」について、米軍はもちろんPRを怠っていないが、日本は「アメリカの存在に神経質になることもある、誇り高い国」なので、米軍指揮官たちは「仙台空港修復のように中心的な役割を演じた現場でも、自分たちはあくまでも支援する側だったと強調」している、と書きます。現場の海兵隊指揮官は「途上国での災害支援と違い、ここではあくまでも主導権は日本政府と自衛隊にある」と話していた、とも。

ちなみに、この支援部隊に向かって日本の人が「ARIGATO」と砂浜に書いたこと、それに第353作戦群司令官のロバート・トス大佐が感動したということは日本語メディアで複数報道されています(英語メディアでは未発見)。

これには続きがあって、米軍のこちらのリリース(日本語)では、そのトス大佐が「『ありがとう』などもったいない」、「我々の支援など日本の人々の労力に比べたら、何でもない」とコメントしているのです。

在日米軍の存在について、日本人には色々な意見があります。去年の今ごろ、普天間基地の移設が議論の中心になっていたとき、私もいくつかコラムを書きました。東京に住む人間として、沖縄に多大な負担を押し付けるのはおかしいという思いは変わりません(ちなみに去年のコラムでは奇しくも、東京に原発がないことの矛盾にちらっと触れていて、いま読み返して自分で驚きました)。米軍がすべて素晴らしいなどと言うつもりもありません(というか、私は基本的に「○○はすべて▽▽だ」などと断言できないタチなのです)。

けれども、黙々と働いて静かに去り、「ありがとう」と言われたら「いやいや、そんなもったいない」と謙遜するのは、いかにも「美しいアメリカ人」のひとつの理想像です。もちろん、「美しい日本人」のひとつの理想像でもあります。