○ しかし日本は息苦しい?

同じ『ニューヨーク・タイムズ』ではノーベル経済学賞受賞者でプリンストン大学教授で名物コラムニストのポール・クルーグマン氏がフィングルトン氏の主張に対し、「日本が衰退しているというありがちな指摘は大げさすぎる、というのはその通りだ」とした上で、「日本の経済成長が停滞している最大の原因は人口減だ」と。そして労働者ひとりあたりのGDPで日米を比較すると、1990-2000年にかけては本当に日本の労働者の生産性はアメリカに比べて下落していたが、2000年以降は持ち直しているのだと指摘します(もっとも日本の労働者の生産性がアメリカのそれに常に満たないというのが、私には驚きでしたが)。

日本経済はひたすら悪化し続けているという一般イメージは間違っているし、日本は確かに1990-2000年に経済停滞を経験したが、その最中にあっても「アメリカがいま経験しているほどのすさまじい苦しみ、人的被害(human disaster)を日本は免れた」ともクルーグマン教授は言います。

「(経済危機に直面するアメリカは)日本と同じくらいひどい対応をする羽目になるのかと質問されるたびに、最早それどころではないと僕は答えている。アメリカは実を言えば、日本が経験していないほどひどい状態にある」とクルーグマン教授は結んでいます。

そして英BBCニュースも「日本は本当に停滞しているのか?」という特派員リポートと併せて、トーク番組でフィングルトン氏の主張を取り上げていました。深刻な経済危機を目の前に「日本のようになってはならない」というのが通説だが、フィングルトン氏は真逆のことを言っていると。

まずローランド・バーク東京特派員は、「日本は20年も停滞していたようには見えない。往来は活気に溢れ、女性の半数はルイ・ヴィトンやその他のブランドものバッグをもっている。ミシュランの星がついたレストランの数はパリより多い」とリポート(ミシュラン云々のくだりで映ってるお店がドトールだというのが苦笑ものですが)。「(経済危機に直面する)欧米は日本のようになるのを恐れるのではなく、日本のようになろうとお手本にすべきなのでしょうか」と問題提起し、そして輸出用精密機械の基盤を作る日本企業を紹介しています。この会社は円高による苦境を乗り切るのに、従業員を削減するのではなく、なんと全員の給与を下げたのだと。「なぜそんなことができるのですか」と尋ねるバーク記者に、日本人マネージャーが「だって、クビにするべき人はひとりもいませんから」と答える姿が映し出されます。

そしてこれについて番組では、『フィナンシャル・タイムズ』のアメリカ編集長で元東京支局長のジリアン・テット氏(サブプライム危機を予測した記者として有名)が、日本のGDPや経済成長も確かに再評価されるべきだと認めた上で、何より特に注目すべきはこうやって従業員をクビにするよりは全員で給与カットを受け入れようという日本社会の発想だと指摘。この事例からも明らかなように、日本社会において特に大事なのは「social cohesion」、社会の一体性、団結力なのだと話していました。注目すべきは「日本社会の、みんなで痛みを共有できる力、みんなでがんばれる力です」と。

「経営が厳しい時に従業員の給与をカットして辛い時期を乗り切ることができるというのは、経済に柔軟性を与え、社会に団結力を与えます」とも。加えて、日本の巨額な公的債務も問題視されているが、これも欧米とは事情が違うと。なぜなら日本の国債の大半を保有するのは外国人投資家ではなく日本人なので。ゆえに日本の財政健全化のために日本人投資家がヘアカット(債務元本の削減)を受け入れるのはあり得る話で、それが海外投資家に債務の半分を所有されている欧米の財務危機とは事情が違うと。

ただし、とテット記者は付け足します。一致団結を重視する日本社会の負の側面、つまり「conform(順応・同化)」しなければならない社会だという面を、アメリカ人やイギリス人が好んで受け入れるとは思えないと。

「合意をベースにした社会システムはある意味で、順応を強制させられる息の詰まる社会なので、ほとんどのアメリカ人やイギリス人にとって、受け入れるのは大変だと思う。結婚したり子供が生まれたら多くの女性が仕事を辞める、それが現代日本の現実なので」とも。つまりみんなで痛みを分かち合うことのできる社会とは裏を返せば、「みんな」に同化できなければ息苦しい社会だと。そういう「trade off(交換、相殺)」があるのだと。

「みんな」にどれだけ助けてもらえるか、それは確かに「みんな」にどれだけ同化ないしは参加しているかによる。それは日本の大きな特徴だと思います。ただアメリカにもそれなりに、ましてやイギリスにはかなり、自分が属する集団・組織や社会グループ内での同調圧力はあって、それに同調しておけばいざという時に助けてもらえる仕組みは両国にもあると思います。同調圧力に逆らうことで失うものは、アメリカにだってイギリスにだってあるでしょう。ただし同調圧力が日本と比べて強いか弱いかの違いはあるだろうし、「いざとなっても誰にも助けてもらえない」絶望感がより強い人たちの間で、激しいデモや暴動が発生するのだろうかとも思います。