英語メディアが伝える「JAPAN」のニュースをご紹介するこのコラム、今回は太平洋の向こう岸に届き始めた津波の漂着物についてです。アラスカに流れ着いたサッカーボールが広く注目を集めたのに続き、宮城ナンバーのオートバイがカナダの海岸で見つかりました。太平洋の対岸でこうして漂着物が発見されるたびに、地震や津波は一つの国や地域だけでなく地球全体に影響を与えるものだと、改めて思わされます。そして被害に遭った人もそうでない人も、海のこちら岸でも向こう岸でも、人は同じようにボールで遊び同じように乗り物に乗るものだということも。 (gooニュース 加藤祐子)

○ 宮城ナンバーのハーレーがカナダに浜辺に

4月29日のカナダCBCニュースによると、西岸ブリティッシュコロンビアの海岸で4月18日、軽トラック用の白いコンテナのようなものが漂着しているのが発見されました。コンテナの中に横たわっていたのは、オートバイ。ハンドルなどがさびてはいたけれども、「ハーレー・ダビッドソン」のエンブレムがはっきりと残っているバイクです。そしてナンバープレートにははっきりと「宮城」の文字も。

記事やニュースビデオによるとコンテナが流れ着いたこの岸辺は、ハイダグワイ諸島グレアム島。ひと気はなく、道路もない場所で、発見したピーター・マークさんはオフロードの車でたどりついたのだそうです。海岸に打ち上げられるものを探して回ることを英語で「beachcombing」、そうする人のことを「beachcomber」と言います。文字通り、浜辺(beach)に櫛をかける(comb)ようにして、漂着したものを探すという表現です。

記事などによるとマークさんは「beachcomb」するためにこの浜にやってきて、そこで打ち上げられた白いコンテナを発見。中を見てみると、コンテナ内にはハーレーのほか、ゴルフ用具やキャンプ用品も入っていたと。約1年をかけて太平洋を約5000キロ旅したコンテナは、マークさんが発見した時にはすでに開いていたということですから、元はほかにも色々なものが入っていたのかもしれません。

持ち主がわからない段階ではこのコンテナが本当に津波で流されたものとは断定できませんが、CBCニュースに対してマークさんはコンテナとその中身を見つけて真っ先に「この持ち主はどうしたんだろうと、それが本当に気になった」と話し、「無事だといいんだけど」と気にしています。「日本と(被災した)人たちがどういう目に遭ったか知ってるだけに、実際にこういうものに出くわすのは、ショックだった。何とも言えない気持ちになって、身に迫ってきた」と。

コメント欄には、「ゴミが流れ着いてるって文句を言う連中もいるけど、流れ着いてるのはこの人たちの生活なんだ」というコメントや、「ハーレーをもとの持ち主に返せるといいのに」というコメントが寄せられています。持ち主については、記事によるとバンクーバーの日本領事館がナンバープレートの番号を照会して、探しているそうです(1日夜追記:FNNなどによると、ハーレーの持ち主は宮城・山元町に住む横山育生さんだと判明。津波で自宅を流され、家族3人を亡くし、今は仮設住宅で暮らしているとのことです)。

津波被災地からは150万トンもの漂流物が流れ出し、太平洋を移動しているとされます。その多くは潮流の関係で、2013年から2014年ごろにアラスカやカナダのブリティッシュコロンビア沿岸にたどりつく見通しです。ブリティッシュコロンビアの海洋博物館は4月25日、漂着物を記録する「Tsunami Debris Project(津波瓦礫プロジェクト)」をフェイスブックに立ち上げて、発見した人に写真や映像など情報提供を求め始めました。

漂着物をできるだけ所有者に返したいという思いに加えて、震災と津波というこの「出来事についてほかの人たちが学べるよう記録を残し、博物館としての使命を果たしたい」というのが狙いだそうです。

○名も知られている遠き島より流れ寄る

今回報道されたこのハーレー・ダビッドソンの前には、米アラスカ州ミドルトン島の海岸で3月に発見されたサッカーボールの話が、日本だけでなく、英語圏でも広く報道されました。ボールには名前が書いてあり、それは確かに人のもので、しかもそれが岩手県陸前高田市の高校2年生、村上岬さんのものだと確認されたことで、ひとつの傷ついたボールはただの物体ではなくなったからでしょうか(サッカーボールと一緒に発見されたバレーボールは、岩手県田野畑村出身の会社員、佐藤詩織さんのものだと後に判明しました)。

サッカーボールを愛するサッカー少年や少女、元サッカー少年や少女は世界中にいるわけで、バレーボールを愛する少年少女や元少年少女も世界中にいるわけです。そしてバイクを、中でもハーレーを愛する人も、世界中にいます。津波に流され、もとの持ち主から奪い取られ、約5000キロもの波間を漂ったものは、ただのゴミではない、自分たちと同じように遊び喜び悲しみ生活する人間の大事な持ち物だということが、改めて響いたのではないでしょうか。