<英ロイヤル・バレエ団史上最年少で頂点に立ったセルゲイ・ポルーニンの挫折と新たな挑戦がドキュメンタリー映画に>

真っ白い倉庫風の建物で、優雅に回転したかと思えば、驚異的な跳躍を見せ、床に倒れ込み、身をよじって苦悶する肉体。バレエ・ダンサーのセルゲイ・ポルーニン(27)が踊るこの動画は、15年2月にYouTubeで公開されて以来、これまでに2000万回以上視聴されてきた。

全身全霊を込めて踊るポルーニンの上半身にはいくつものタトゥーが彫られていて、激しい呼吸とともに、膨らんだり縮んだりする。その卓越したテクニックと、恐ろしく軽々とした跳躍、そしてどこか粗削りな迫力は素人が見ても明らかで、約4分間目を離すことができない。

ホージアのヒット曲「テイク・ミー・トゥ・チャーチ」に合わせたその踊りは、なぜこんなに見る者の胸をキリキリ締め付けるのか。ドキュメンタリー映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』(日本公開中)は、そんな疑問に答えてくれる。

ウクライナ南部の町ヘルソンに生まれたポルーニンが、踊りを始めたのは8歳のときのこと。やがて首都キエフの国立バレエ学校に移り、さらに13歳で英ロンドンのロイヤル・バレエ学校に入学。卒業とともにロイヤル・バレエ団に入団し、瞬く間にソリスト、さらにはファースト・ソリストに昇格した。

最高位のプリンシパルに就いたのは19歳のとき。ロイヤル・バレエ史上最年少での昇格だった。だが、わずか2シーズン踊った12年1月、ポルーニンは突然退団の意向を表明した。

映画では、子供のときの練習風景からプロダンサーとしての活躍まで、ポルーニンの踊りをたっぷり堪能できる。だが、このドキュメンタリーの中核を成すのは、天才ダンサーゆえに彼が払ってきた犠牲と苦悩だ。

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孤独とプレッシャーの中で

バレエ学校の学費を払うためポルーニンの父親はポルトガルへ、祖母はギリシャへ出稼ぎに行き、家族はバラバラになってしまった。

13歳で言葉も分からない外国の学校に入ったポルーニンは踊りへの情熱を燃やすよりも、孤独と重圧に苦しんだ。成功しても心は空っぽだった。

「踊っているときは心が無になる」と、ポルーニンは語る。「ジャンプして宙に浮いている数秒だけは踊る喜びを感じる」



苦悩の中で才能を開花させたポルーニン ©BRITISH BROADCASTING CORPORATION AND POLUNIN LTD. / 2016

だが、そんな至福の時はごくわずかだ。「舞台に立つのはいつも闘いだ。自分の感情との闘い、疲れとの闘い、怒りやいら立ちとの闘い」と、ポルーニンは語る。「私がバレエを選んだわけじゃない。母親だ。ケガをしたらもう踊らなくていいのにと、いつも思っていた」

ポルーニンが大きな苦悩を抱くようになったのはロンドンに来てすぐ、両親が離婚したことを知ったときだった。「彼の頭の中で、全てが砕け始めた」と、バレエ学校時代からの友人で、ロイヤル・バレエのファースト・ソリストであるバレンティノ・ズケッティは言う。

バレエで成功すれば、家族がまた一緒になれると、若きポルーニンは信じていた。「でも、そうはならなかった」と彼は言う。「とても傷ついた。......思い出なんて全部捨てたかった」

ポルーニンの生活は荒れた。練習は続けたが、友達と遊び歩くようになりドラッグにも手を出した。パーティーに行くと、最初の20分間に「とんでもない量の酒をあおり」、10分ほど大騒ぎしてから気絶するのが常だったと、ズケッティは当時を振り返る。だが、観客はポルーニンを愛した。メディアも彼の才能と気性に魅了された。

父親が会いに来ようとしたが、イギリスのビザがなかなか取れなかった。母親には会いに来ないでほしいと、ポルーニン自身が頼んだ。だから家族は、彼がロイヤル・バレエで踊っているのを見たことがない。

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ある日、ポルーニンはリハーサルの最中に突然、ロイヤル・バレエを辞めると宣言した。その直後に撮影されたとおぼしきビデオには、雪が積もった路上で服を脱ぎ捨て、踊り始める姿が収められている。まるで初めて自由を謳歌するかのように。

ほかの場所で踊るのもいいかもしれない。例えばアメリカとか――。ポルーニンはそうつぶやく。だがすぐに、自分のような異端児はどこのバレエ団も受け入れてくれないだろうと語る。どうにかモスクワ音楽劇場バレエ団に居場所を見つけるが、やはりある日突然辞めてしまう。

「もうバレエをやめたいから、最後の作品の振り付けをしてほしいと頼まれた」と、ポルーニンと親しいジェイド・へールクリストフィは言う。こうして「テイク・ミー・トゥ・チャーチ」のプロジェクトが始まった。

「(この作品を通じて)セルゲイのファンに物語を聞かせたい」と、へールクリストフィは映画の中で語っている。「あまりあからさまな振り付けにはしたくないが、この作品を見れば、彼が懸命に努力していること、そして苦悩を抱えていることを分かってもらえるはずだ」

「ダンサーが求めるものを全て手に入れた。もう普通の生活をしたかった」と、ポルーニンは語る。「だったらやめればいい。簡単なことだと思った」

だが2カ月後、ポルーニンは再び舞台に戻り、バレエを踊り始めた。その観客席には、両親と祖母がいた。「踊りを愛していないと言ったら嘘になる」



バレエへの愛を再発見

なぜすぐに舞台に戻る気になったのか、『ダンサー』は明確な答えを示していない。だが映画の製作後、ポルーニンはロイヤル・バレエの女性プリンシパル、ナタリア・オシポワと出会い、恋に落ち、踊りへの情熱を新たにしたようだ。

「これまでになくバレエのことを考え、バレエのことを話している。別人になった気分だ」と、ポルーニンは昨年5月に英ガーディアン紙に語っている。

今や「フリーランス」のプリンシパルとなった彼は、自分と同じような立場のダンサーのためにマネジメント事務所を立ち上げ、もっとバレエとクリエーティブな関係を築きたいと言う。その構想に「プロジェクト・ポルーニン」と名前を付け、オシポワの助けを借りて、今年3月にはロンドン公演もした。

モダンバレエの演目を並べたその公演は、残念ながら酷評を浴びた。それでもファンは喜んでいるに違いない。「テイク・ミー・トゥ・チャーチ」が、ポルーニンの最後の踊りにならなかったのだから。

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スタブ・ジブ