<エルサレムで21日、イスラエル兵士とパレスチナ人の衝突が発生した。比較的平穏が続いていたエルサレムで、こうした事態が起きたのはなぜか、また今後はどこまで拡大していくのか>

エルサレムが騒乱状態に陥っている。7月21日の金曜日の昼過ぎ、普段は観光地としてもにぎわう旧市街のダマスカス門付近は、路上で礼拝するイスラーム教徒のパレスチナ人であふれた。警戒態勢で配備されていたイスラエル兵士との間では衝突が起き、通りには催涙ガスが充満し、銃声が鳴り響いた。

同様の衝突はエルサレム各地で起こり、合わせて3人のパレスチナ人が命を落とした。いずれも10代の青年だ。パレスチナ赤新月社の医療関係者によると、一連の衝突で390人以上のパレスチナ人が負傷し、病院に搬送されている。大半は催涙ガスを吸ったためだが、発砲による負傷者も100人近くに上るという。東エルサレムとパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区では、これらの衝突から計29人がイスラエル警察に拘束された。

最近では大きな衝突も起こらず、比較的平穏が続いていたエルサレムで、こうした事態が起きたのはなぜか、また今後はどこまで拡大していくのか。

銃撃事件の衝撃

発端となったのは、1週間前の金曜日の朝にエルサレムの旧市街で起きた事件だ。旧市街の東側にあるライオン門付近で、警備のイスラエル兵士2人が突然、銃で撃たれて命を落とした。銃撃の瞬間や、逃げる犯人の一人を追ってイスラエル兵が射殺する様子は、スマートフォンで撮影され、動画ニュースやSNSですぐに配信された。

イスラエル側によるセキュリティ・チェックの強化された近年では、パレスチナ人による銃火器を用いた事件は珍しい。今回の犯人は、パレスチナ自治区の住民ではなく、イスラエル国籍をもつパレスチナ人青年3人によって起こされたものだった。彼らの出身地であるウンム・アル=ファヘムはイスラエル中北部のいわゆる「三角地帯」と呼ばれ、近年ではイスラエル国籍のパレスチナ人が組織するイスラーム主義運動の拠点としても知られる。だがこの3人は、特にそうした組織に所属していたわけではない。

構図からすれば、これは本来あまり拡大する可能性は高くない事件のはずだった。

パレスチナ自治区に住むパレスチナ人の側から、イスラエル国籍のパレスチナ人に対して抱く共感は一般的に弱い。今回の事件に対しても、東エルサレムや自治区の住民の間では、賛同というよりも、今後の警備の強化が直接的に生活に与える影響に対する不安の方が高かったと推測される。事件直後にハマースは支持を表明したが、あくまで結果に対する賛辞であり、組織的に関わっていたわけではない。

また襲撃されて命を落とした2人のイスラエル兵士は、いずれもドゥルーズだった。ユダヤ教徒ではない彼らは、兵役義務は課されるものの、イスラエル社会内では下層に位置づけられる。アラビア語を母語とするため、パレスチナ人との意思疎通にエルサレムの旧市街やヘブロンには必ず数人配備される。自治区のパレスチナ人からは嫌悪されており、衝突の犠牲となることも多いが、イスラエル国内の世論としては、彼らへの同情はあまり聞かれない。

今回も、この事件を利用してエルサレムの聖地管理の現状を変えようと訴える一部の右派を除けば、イスラエル社会からの反応は鈍く、ネタニヤフ政権による対応も抑制的だった。



エルサレムで礼拝する権利をめぐる闘争

だが、こうした事件の再発を防ぐため取られた治安措置が、対立の拡大を招くこととなる。

銃撃事件が起きたのは金曜礼拝の日だったが、各地から集団礼拝のために集まるイスラーム教徒が、アル=アクサー・モスクと黄金のドームを含む旧市街の聖地(パレスチナ側は「ハラム・アッシャリーフ」、イスラエル側は「神殿の丘」と呼ぶ)に入ることは、その日は全面的に禁止された。これは1969年以来の規制であるとして、アラブ系のメディアでは大きく報じられ、非難が国際的にも広まっていった。

さらにイスラエル政府は、ハラム・アッシャリーフに入る数箇所の入口に金属探知機を設置した。強く反発した人々は、イスラエルによる一方的な強制措置に抗議して、各地でデモや衝突が起きるようになる。ハラム・アッシャリーフを中心とする聖地エルサレムは、世界の全イスラーム教徒にとって、メッカとメディナに次ぐ第三の聖地だからだ。

その聖地への出入りが、異教徒で占領者であるイスラエル政府によって管理されることは怒りを招き、エルサレムの聖地管理の現状変更への強い懸念が表明された。パレスチナ側の関係諸組織は、金属探知機が撤去されるまでハラム・アッシャリーフ内に入ってはならないと、抗議行動を呼びかけた。一連の事件を報じるアラビア語の記事では、これらの抗議行動についてアル=アクサーの「防衛」という言葉が用いられている。

震源地としてのアル=アクサー・モスク

アル=アクサー・モスクを含むエルサレムの聖地は、パレスチナにおける紛争の震源地だ。2000年にはオスロ合意による和平プロセスの決裂を受けて、ここから第二次インティファーダが始まった。今週金曜日に起きた衝突では、既にそのとき以上の負傷者が出ている。

衝突はエルサレム以外にも拡大している。ラーマッラーやベツレヘム、ヘブロンの検問所周辺では、集まった数百人規模のパレスチナ人が投石するのに対して、イスラエル兵士が催涙ガスや発砲などで応じ、負傷者や逮捕者が出ている。イスラエル軍の発表によると、金曜日の衝突には合計3千人以上のパレスチナが加わったという。もはや第三次インティファーダを思わせる様相だ。

イスラーム教徒の聖地をめぐる対立とあって、今回の騒動はエルサレムやパレスチナ自治区ばかりでなく、世界各地にも連帯行動を呼んでいる。既に報じられているところでは、ヨルダンやトルコ、イエメン、またスウェーデンなどでも抗議デモが起きた。

デモにとどまらず、21日の金曜日の夜にはラーマッラー近郊の入植地で、自治区のパレスチナ人がユダヤ人入植者の家に侵入し、家族3人をナイフで殺傷するという事件も起きた。一見、散発的にも見えるこれらの事件はすべてつながっており、今後は拡大する可能性もある。

錦田愛子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授)