<20世紀にトルコ系民族を東西に引き裂いたソ連化のくびき。カザフ語のローマ字化で進むユーラシアのロシア離れ>

中央アジアの大国カザフスタンはカザフ語のロシア文字表記をやめて、欧米で幅広く用いられるローマ字表記に移行を始めた。この動きは、ロシア文字で自国語を表記してきた旧ソ連諸国から注目されている。

早くも06年に「ローマ字は情報通信の世界を席巻している」と述べていたカザフスタンのナザルバエフ大統領は、今年月に国営メディアを通して論文を発表。25年にローマ字に完全移行するスケジュールまで示した。

カザフ人はユーラシアに広がるトルコ系諸民族の一員だ。イスラム教を信奉するこうした諸民族は、古くは自分たちのトルコ系諸言語をアラビア文字で表記してきた。当時はアラビア文字とトルコ語の知識が少しあれば、西はオスマン帝国からクリミア半島のタタール人、そして東のウイグル人やカザフ人に至るまで、ユーラシアを横断して意思疎通ができた。

そのため20世紀初頭には、「トルコ系諸民族は一つの家族」との広く緩やかな連帯意識が形成される一方、列強によるユーラシア分割が進んでいた。22年にはオスマン帝国崩壊と相前後してソ連が誕生。西のトルコ人はアラビア文字からローマ字に移行して近代化を進める一方、東のカザフ人は帝政ロシアの支配から「解放」されて「ソ連人民」となった。

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「日本のスパイ」と因縁

40年にカザフ・ソビエト社会主義共和国は「晴れてロシア文字に基づく新しいアルファベットへの移行」を決定した、とソ連共産党機関紙のプラウダは当時報じている。「教育人民委員部は小学校と非識字者教育のために31の教科書を作成。科学アカデミーのカザフ支部はカザフ語のロシア文字表記辞典を編纂した」。こうして41年から公的機関や新聞・雑誌はカザフ語をロシア文字で表記することとなった。

「ソ連人民」を創出しようと、ソ連がロシア文字を強制した民族はカザフ人だけではない。モンゴル高原の北に連なるバイカル湖周辺からシベリア南部にかけては、太古よりモンゴル人の一集団、ブリャート族が暮らしてきた。ブリャート族の土地は17世紀から帝政ロシアに支配され、ソ連成立の翌年にはブリャート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国が産声を上げた。

ただ新生共和国の教育行政を担ったブリャート人バザル・バラーディンは、ユーラシアに広がるモンゴル民族との文化的・言語的一体性を唱え、同民族同士の交流促進を図った。それまでロシア文字やモンゴル文字、チベット文字などを部族ごとに用い、表記法を統一してこなかったモンゴル民族が共用できるローマ字化を提案した。



バラーディンはソ連から「大モンゴル主義者」として批判され、長期にわたる暴力を受けた揚げ句、37年に拘束。大モンゴル主義を裏から操る「日本のスパイ」と因縁を付けられて処刑された。日露戦争に勝利した近代日本への恐怖と、13世紀のモンゴル帝国への恐怖とがソ連の政策に影響を与えていたようだ。

こうしたソ連の負の歴史を乗り越えて、ロシア文字表記の廃止を決定したカザフ政府に対し、ロシア側は早速「ロシア系住民への圧力」と反発。カザフ人口の約2割を占めるロシア人がロシアに移住を余儀なくされると懸念を示した。これに対しナザルバエフ政権は、国語のカザフ語と共にロシア語も公用語として使用できるという従来の方針に変化はないと応じた。

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旧ソ連圏諸国の街はロシア文字の看板だらけでローマ字の余地がない、ということなら、ロシアは帝国復活の淡い希望を抱けるかもしれない。しかしロシア文字にとって致命的なのは、ソーシャルメディアに慣れ親しむ若者に不人気なことだ。かつて「大モンゴル主義」を封殺するほど猛威を振るったロシア文字は、今や確実にローカル化している。

ユーラシアにトルコ系諸民族の大家族を再び、という壮大な理想を阻止する力はもはやないだろう。


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[2017.8. 1号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)