ファナックの実質的創業者で名誉会長の稲葉清右衛門(いなば・せいうえもん)氏が2日、老衰のため死去した。95歳だった。「界を限って奥を限らず」。この技術者魂に加え、先見性とカリスマ性でファナックを世界的な優良企業へと育て上げた卓越した経営者・技術者だった。穏やかな語り口ながら、出会った人々の心に技術者としての創造性と強固な意志を強烈に印象づけた。

「評論家なら広く浅く首を突っ込んでもいいが、技術者は狭い路を真っすぐ歩むことが大切だ」。これが稲葉氏の持論だった。事実、ファナックは数値制御(NC)装置や産業用ロボットなどの工場自動化(FA)分野に特化し、産業機械分野の歴史を動かす中心的プレーヤーに躍進する。

1956年のことだった。「稲葉君、これからは“3C”の時代が必ず来る。君にはコントロール(制御)の開発をやってもらうよ」。当時、富士通信機製造(現富士通)の技術担当常務だった尾見半左右(おみ・はんぞう)氏の言葉が、その後の稲葉氏の運命を決定づけた。

同常務の命令でプロジェクトチームが発足。コントロール分野のリーダーに稲葉氏が指名される。後の「NC軍団」である。黒字に転換したNC部門は72年に分離独立し、稲葉氏は新会社の専務となり、事実上の責任者となった。

新会社の企業像を「技術で勝負する会社」に決める。常に新しい技術を創造し、他社に先行するという命題を自らに課した。富士通は事業の報告書などを区別するため色を分けており、NCの事業部は「黄色」だった。新会社はそれを引き継いだ。後年、稲葉氏は「黄色は自分たちにとり戦いの色」と語っている。その後、ファナックは秀麗富士の裾野に一大生産・研究拠点を設ける。自動化工場の先端モデルとして常に業界の高い関心を集め続ける。

有言実行の人でもあった。「70歳で社長を、75歳で会長を退く」と公言していた。99年6月、韓国ファナックの金海工場完工式に出席した同氏を現地取材した。ホテルの一室でインタビューし、最後にこの件を質問すると「来年6月の株主総会で取締役を退任。経営の第一線から退く」と明言。急きょ、ホテルの自室に戻り、原稿を送稿した。その記憶も今となっては懐かしく思い出される。ただ、事実上の創業者だけに、その後も経営全般に目を光らせていたとも聞いている。

「小さな巨人」を目指して大海原に出帆したファナックも、今では「精悍なる巨人」へと発展した。「身は華と与(とも)におちぬれども、心は香と将(とも)に飛ぶ」。稲葉氏の技術者魂は今後もファナックのエンジニアに引き継がれるだろう。合掌。

(文=取締役編集局長・四竈廣幸)