米アップル創業者、スティーブ・ジョブズの膵臓(すいぞう)にがんが見つかったのは2003年のことだ。手術を受けたくなかった彼は、いろいろな代替療法を試してみたが効果がなく、1年後に摘出手術を受けた。しかし08年、がんが再発する。すでに膵臓の大半を摘出する手術を受けていた。ジョブズの体重は20キログラム近くも減少した。重大な健康上の問題があるのは誰の目にも明らかだった。

会社の最高経営責任者(CEO)にプライバシーはないと言っていい。特にジョブズのようにカリスマ的なリーダーの場合、その健康状態はただちにコーポレートガバナンス(企業統治)に影響を与える。現に08年6月初めに188ドルだったアップルの株価は、7月末には156ドルに下がり、さらに10月初めには97ドルまで下落する。投資家とメディアは、アップル側に正直な情報の開示を求めた。

09年1月に開いた「マック・ワールド」にジョブズは現れない。やつれた姿を見せないほうがいいという判断だろうが、過去11年間、かならず大きな製品発表を行ってきた主役が登壇しないことは、かえってその健康状態の深刻さを浮き彫りにする結果となった。

実際に、ただちに肝臓移植が必要とされるほど健康状態は悪化していたらしい。こうして09年3月、交通事故死した20代の若者からジョブズは臓器提供を受ける。かろうじて死から生還した彼は、数日後の取締役会に姿を現し、同年6月末には完全復帰を果たす。

ジョブズが最後に行った新製品発表は、10年1月27日の「iPad」のプレゼンテーションだった。「iPhone」の発表から3年がたっていた。新製品を手にしたCEOはゆっくりとした足取りで壇上を歩き、ル・コルビュジエがデザインした革張りの椅子に腰を下ろす。サイド・テーブルはエーロ・サーリネンがデザインしたものだ。いかにもアットホームな演出だが、じつは消耗甚だしいジョブズへの配慮だったらしい。

その後も彼の健康状態は悪化の一途をたどる。11年8月24日の取締役会には最後の気力と体力を振り絞って車椅子で出席し、自分の口からCEOの辞任を伝えた。スティーブ・ポール・ジョブズが亡くなったのは同年10月5日、56歳7カ月の生涯だった。

(文=作家・片山恭一)