―AGC(旧旭硝子)は三菱創業家2代目岩崎弥之助の二男俊弥が1907年に設立しました。

「俊弥はロンドン大学で応用化学を学び、帰国してから自らが手がける事業に板ガラス生産を選んだ。日本の建物が西洋化している時代で、板ガラスの需要が伸びていたが輸入に頼っていた。30社ほどの会社が国産化に挑戦したが、ことごとく失敗した。それでも俊弥は日本の近代化には板ガラス生産が必要だと強く思い、事業化に成功した。この『易きになじまず難きにつく』というチャレンジ精神が創業以来受け継がれている」

―チャレンジ精神を生かしたご自身の経験は。

「2003年に40代半ばでインドネシア現地法人の社長を任された。当時クロールアルカリ生産のために国営電力会社から大量に電気を買っていたが、自家発電の方がコストが低くできると考え、社内外の調整にあたった。大規模な投資案件だった。実現目前のところまで来てキャンセルということが2度あった。その後立場が変わっても諦めずに機会をうかがい、後任が思いを受け継いでくれたこともあって、15年に投資を決定、19年から自家発電所の稼働を始めた。10年以上の紆余(うよ)曲折を経てようやく実現できたのは『易きになじまず難きにつく』の精神があったからだ」

―三菱グループに属しているからこそできたことは。

「当社は1950年代にアジアに本格的に進出した。当時は海外経験がほとんどなく、現地での物流や商流の知見もなかったから、三菱商事の支援を受けた。資金面ではグループの金融会社からの支援があった。海外進出の際のグループの支援は当社にとって重要だった」

―三菱グループがここまで大きくなれた理由をどう考えていますか。

「誕生してから30年もつ会社はほとんどないが、三菱グループには社歴が長い会社が多い。会社が長く生存できるポイントは三つあると考えている。長期的な視野に立つこと、聖域なく変革に取り組むこと、創業精神を忘れないことだ。こうしたことをベースにして、人の輪を大切にし、自分たちがなすべき役割、社会に対する貢献は何なのかを常に考えてきたグループなのではないか。世に価値を提供し信頼されるという好循環を成長につなげる、そういう流れを作ったのだろう。俊弥の言葉には『人を信ずる心が人を動かす』というものもあるが、根本にあるのは信頼だと思う」