富士フイルムホールディングス(HD)は3月31日、古森重隆会長兼最高経営責任者(CEO、81)が退任する人事を発表した。2000年の社長就任以来、約20年間にわたり、トップとして経営のかじ取りを担ってきた。写真フィルム市場消失という危機を乗り越え、積極的なM&A(合併・買収)を通じ、高機能材料や医薬・医療機器などの変革に挑み続けてきた。体制刷新で、今後の注力分野に位置付けるヘルスケア領域の成長を加速する。

「コロナ禍という予期せぬ事態にも機敏に対応し、業績への影響を抑えた。私がやるべきことはほぼ成し遂げた。経営を担う人材を育て、新しい事業構造も整った。後藤禎一新社長のもと、新たな航海が始まる」。31日に開いた会見で古森会長はこう力説した。

富士フイルムHDはかねて進めてきたヘルスケア領域での成長加速やドキュメント事業の強化に向けた取り組みに道筋をつけ、体制刷新に踏み切った。5年ぶりの社長交代、18年ぶりの新CEOの誕生となる。

同社は近年、祖業の写真フィルム事業で培った知見やM&Aを活用し、医療ITなどのメディカルシステムやバイオ医薬品の開発・製造受託(CDMO)の分野で投資を進め、ヘルスケア領域を事業の柱に育てている。

社長兼CEOに就任する後藤取締役は13年から、富士フイルムのメディカルシステム事業部長を務めており、31日に完了した日立製作所の画像診断関連事業の買収も主導した。

後藤次期社長はヘルスケア領域に関して「20年代半ばには(現在の倍となる)売上高1兆円達成を目指す」と強調する。「さらにM&Aをやっていく。アンメットメディカルニーズ(未充足の医療ニーズ)の解決や、アフリカやインドなどの医療事情の向上など、我々が貢献できる分野はまだまだある」としている。全社でのデジタル変革(DX)の推進や、海外で活躍する人材育成にも取り組む姿勢も示した。

古森会長は「メディカルや高機能材料など、たくさんの領域で『やれることをやろう』と事業の多角化を進めてきたが、終わりはない」と挑戦の歴史を振り返る。

複合機などのドキュメント事業では、1日付で富士ゼロックスから「富士フイルムビジネスイノベーション」に社名を変更。富士フイルムブランドでの新たな枠組みで、海外市場を深耕する。「富士フイルムHDの未来をつくるのが私の大きな使命」と意気込む後藤次期社長のもと、グループとして一層の飛躍を目指す。

会見要旨 後藤氏「数字にこだわる」

記者会見の主なやりとりは次の通り。

―古森会長は社長やCEOを計21年間務め、企業価値を高めた一方「長すぎる」との声もありました。

古森会長 結果として長くなった。すべきことが多い中、誰がやるのが良いかと考え、自分が続けた。気力、知力もそう衰えたとは思わない。

助野社長 ガバナンスの観点で取締役会の役割が重要になる中、活性化するのが私の役割。古森氏は取締役からは外れる。(最高顧問として)節目節目でアドバイスをもらえると期待している。

―悔しかったことは。

古森会長 やはり米ゼロックス(の買収案件)。ゼロックスから言い出したことだが、株主の要求で合理的ではない買収価格を突きつけてきた。

―今後の経営スタイルは。富士フイルムHDをどのような会社にしたいと思いますか。

後藤次期社長 粘り強く、結果を数字で出すことに今後もこだわる。古森会長の側で、経営者として真剣勝負する姿勢を学んできた。富士フイルムの競争力の源泉は技術力と研究開発力。ヘルスケア領域に限らず、第5世代通信(5G)、脱炭素、自動運転といった分野で当社が貢献できる余地はまだある。

ヘルスケア、持続的成長へ 米英深耕/画像診断+AI

AIで臓器の輪郭を自動作成する放射線治療計画支援ソフトウエア「シナプス レディオセラピー」(頭部の輪郭画像)

日立の画像診断事業の買収が31日完了し、富士フイルムヘルスケア(千葉県柏市)が事業を承継した。「当社の世界最先端の人工知能(AI)、画像処理技術と日立の画像診断機器を組み合わせる」(古森会長)方針で、診断支援、治療予測などの精度を高めるのが狙いだ。

一方、CDMO事業では、英国や米国で設備投資の動きが活発だ。英国拠点では細胞培養タンクや生産ラインを増設する。さらに2000億円を投じて米国に大型製造拠点を新設することを決め、25年春の稼働を目指す。設備の拡充で持続的な成長につなげる。

「第2の創業」実現 「本業失う」も強気失わず

古森会長は何を思い、「第2の創業」を実現したのか。過去の発言をひもとく。

「経営者としてとても幸せだった」と語る古森会長(16年)

「私は経営者としてとても幸せだ。本業を失うという機会にめぐり合える経営者は、そうはいないから」。

社長に就任した頃、同社の祖業である写真フィルム事業は利益の3分の2を稼ぐ屋台骨だったが、急速なデジタル化の進展でわずか数年で赤字に転落。この状況を打開するため、同社は自社の保有する技術や文化、ブランドを徹底的に活用し、一層の多角化を進めた。危機から売上高2兆円超のリーディングカンパニーへの変革は経営の醍醐味(だいごみ)だ。

時代の波に乗って、デジタルカメラ事業を拡大したほか、アジアなどで事務機器事業を成長させた。写真フィルムで培った素材技術は、液晶パネル材料などの高機能材料、メディカル、化粧品など、さまざまな形で花開いていった。「蓄積した技術力だけでなく、新たなことに挑戦し続けてきた企業文化も強みだ」と目を細めて語ることもあった。

構造改革や大型買収を実行する姿勢は強気で豪腕そのもの。その裏には、「リーダーが負けたら会社は終わり。業態転換に取り組んだ社長時代は絶対に間違えない、負けないと必死だった。神様のように正しい判断ができたらどんなに良いかとすら思った」という強い思いがあった。

数ある挑戦の中には悔しい敗北もある。16年に東芝の医療機器事業の買収でキヤノンと争い、買収価格が当初から大幅に引き上げられ、断念した。18年の米ゼロックスへの買収提案も、ゼロックス株主の反対で実現しなかった。

だが、そのまま諦めはしなかった。19年に日立製作所の画像診断事業の買収を決め、富士ゼロックスは完全子会社化した。当初のもくろみと形は違えど、成長の柱であるヘルスケアと安定収益基盤の事務機器の強化を実現した。古森会長はリーダーに必要な資質を「まず社会や会社に対する使命感」と語る。後藤次期社長に富士フイルムHDの新たな成長を託す。