社会課題の解決やまちづくりなど様々な分野でデザインへの関心が高まっている。近年では事業戦略にデザインの考え方を取り入れる企業や、地方自治体が地場産業を生かした製品のブランディングに取り組む事例が多く見られる。その動きと呼応するようにデザインと携わる人々の仕事や専攻分野も多様化している。
 印刷物や空間などのデザインにディレクターとして30年以上携わってきた明星大学デザイン学部の萩原修教授は2021年4月、肩書に「プロジェクトデザイナー」を掲げた。その転換点の背景や、これまでのキャリアを通して感じたデザインが持つ役割の変化などを聞いた。

仕組み作りは『プロジェクトデザイン』

−プロジェクトデザイナーを着想された背景を教えてください。
 大学で『仕組みのデザイン』をテーマに講義をした際、これまで携わってきた仕事の本質である「志を同じくする人々が集まり、やりたいことを形にするプロジェクト作り」もそれと同じことが言えると気付きました。そこから自身の活動の核を『プロジェクトデザイン』と捉え、肩書に掲げました。

−具体的にはどのような活動をされてきましたか。
 大学卒業後、約20年間は会社員として、その後は独立し「プロジェクトファーム」として様々なデザインの企画やディレクションに関わりました。
 最初に勤めた大日本印刷では販促物の企画や制作進行、予算管理など「顧客が必要とするデザインをかたちにする仕事」を学びました。約10年間様々な企業の案件を担当したあと、長年担当していたクライアントである東京ガスが立ち上げた『リビングデザインセンターOZONE』に転職しました。ここでも約10年間、展覧会の企画・運営を中心に、住まいや暮らしのデザインについて様々な提案を行いました。
 自分が我慢強くサラリーマンを続けていた一方、同年代のデザイナーや建築家の多くが30歳前後で独立し、それぞれに頑張っている姿に強く刺激されました。組織に縛られない働き方への憧れもあり、会社を辞める決意を固めたのが42歳の時です。独立後はプロジェクト単位でチームを作りながら商品開発の企画やプロデュースを中心に活動してきました。

リビングデザインセンターOZONEで開催した『おいしいスツール展』
店主を務めるつくし文具店で開発した『つくしえんぴつキャップ』

−プロジェクトを作る際に意識していることは。
 前に向かう姿勢です。プロジェクトの語源には『前方(未来)に向かって投げかける』という意味があります。独立以降は特にその考えを軸に行動してきました。

−プロジェクトをどのようなものと捉えていますか。
 「同じ目的を持った人だけを集め、自由にやりたいことを進めていき、結果的に社会や未来がよくなる仕組み作り」と考えています。組織や事業として大きな目標を掲げ、成果をあげるために人が動く世界観とは少し違った部分があるかもしれません。

−現在取り組まれているプロジェクトについて教えてください。
 デザインの力を必要としている工場と協働し、暮らしを豊かにする日用品やサービスを作る取り組みです。直近では東京・多摩エリアにある工場のリサーチや一般向けの工場見学会のサポートを実施しました。製造業や工場の経営者がデザインを意識すれば、ものづくりの仕事やビジネスに新たな変化が生まれると期待しています。図面やデータ越しに受発注するだけの関係ではなく、言葉や企画、アイデア創出を通して、よりよい生活につながるプロジェクトを共に作りたいです。

オープンファクトリーをサポートした工場の様子

キャリアを通じた変化

−会社員やフリーランス、大学教員など多様な立場を経験されています。所属や働き方が転換していく中ではどのような変化がありましたか。
 大きく2つあります。1つは作り手との関わり方です。顧客のための企画や制作物を作っていた時代は「ビジネスパートナー」として仕事を受発注する関係が中心でしたが、プロジェクトを主導する立場になってからは「一緒に何かを作る仲間」として近い距離で対話する機会が増えました。
 もう1つは仕事と暮らしのバランスです。リビングデザインセンターでの企画を通して「よい暮らしや住まいを提案している自分」と「仕事中心で生活を疎かにしている自分」のギャップを無視できなくなりました。働き方を工夫し、自分なりの豊かな暮らしを考えるようになったことは、『9坪の家』プロジェクトや独立を決意するきっかけになったように思います。

リビングデザインセンターでの展示会をきっかけに建てた自邸『9坪の家』。一家4人が暮らした。

−携わられた分野も多岐に渡ります。軸にあったものは。
 コミュニケーションデザインです。会社員時代は企業のPRや人々のよい暮らしをつくるための提案、独立後は商品(プロダクト)を通した日用品のデザインを実践してきました。

−活動の幅はキャリアとどう結びつきましたか。
 平面・空間・立体の各領域を見渡し、デザインに対して俯瞰的な視点を持って仕事ができるようになりました。デザイナーの多くは専門分野ごとに分業化する傾向にある中、ディレクターとしてそれぞれの領域を横断した経験は強みになっている実感があります。

社会のニーズとともに変わるデザイン

−デザインに関する仕事を通じて社会の変化を実感した出来事はありましたか。
 これまで関わったどの仕事も世の中の動きと結びついているように思います。例えば、ビジネスのための商業施設と家を作る人のための情報施設が融合した『リビングデザインセンターOZONE』はバブル崩壊後に社会全体で暮らしや住まいを見つめ直す動きの中で設立されました。
 今は社会課題の解決や企業経営にデザインの力が掲げられている時代。社会にも教育にもまた新たなニーズが生まれているのを実感しています。教える立場として自分もデザインを学び直しているような感覚です。

−学生当時に学んだデザインと、いま教えられているデザインの違いは。
 自分が美大生だった時代の学びは表現や技術のトレーニングが中心だったのに対し、明星大での授業は「デザインの目的」を深く捉え、企画やディレクション部分を重点的に扱っています。担当科目もソーシャルデザインやブランディングなどのビジネスに関連した内容が中心です。デザイナーとしてキャリアを積んだ教員が多い中、異なる立ち位置でデザインに関わってきた自分だからこそ担える領域のようにも思います。

明星大では地域連携の担当としても活動し、公開講座などに取り組む(画像は『デザインセッション多摩』のキービジュアル)

−職種や業界を問わずデザインの学びを生かすには。
 デザインに限らず、自分の中で得た学びはどのような仕事にも生かせると考えて行動することです。私は美大在学時『君たちはみんなデザイナーになるんだ』という先生の言葉に違和感を覚え、『自分ではデザインをしない』と決め、ディレクターとしての道を歩んできました。
 近年はまちづくりや経営、環境問題など様々な領域でデザインが注目されています。明星大には保育や行政の道を目指す戦略としてデザイン学部に入学する学生もいます。力を発揮できる環境を見つけ、技術や表現としての役割を超えた仕事を作っていく姿勢が大切です。

【略歴】武蔵野美術大学卒。日用品のデザイン、展覧会、商品開発などの企画・プロデュースを手がける。大日本印刷、リビングデザインセンターOZONE(東京ガス)などを経て独立。14年シュウヘンカ創業、共同代表。同年、明星大学デザイン学部教授。