記憶は、脳を構成する神経細胞同士のつながり(シナプス)の変化によって、新しい神経回路が誕生し、脳の情報処理が変わることで形成されると考えられている。そのため、記憶研究にはシナプスの分子レベルのミクロな変化を追跡する方法と、脳情報処理の最終出力である動物行動を解析対象とするマクロなアプローチが存在する。

しかし、「最大の問題は、ミクロな研究と、マクロな脳機能の研究との間に横たわっている深い溝を、繋げていく方法が必ずしも明確でないことである」(塚原仲晃、『脳の可塑性と記憶』)と指摘されているように、ミクロな変化とマクロな変化の同時観察は容易ではない。

そこで、情報通信研究機構(NICT)未来ICT研究所の研究グループは、モデル生物であるキイロショウジョウバエを用いて、脳を観察するために開頭した状態のハエを訓練する独自の実験系を開発し、記憶形成過程の脳内変化を同時リアルタイム観察することで記憶の脳内実体を明らかにする研究を進めている。

顕微鏡下にハエを固定して脳を観察しながら訓練を行うことで、記憶形成による脳内変化をリアルタイムでモニターする。図は、Sakurai et al.,2021.Curr.Biol.より改編して引用(NICT提供)

図のようにハエに木製の棒をつかませておき、この棒を動かしてハエから引き離し、その直後にエサである砂糖水を与える。最初は棒が動いても無反応であったハエが、やがて棒が自分から離れるとエサがもらえると記憶し、口を伸ばすようになる。

このとき同時に脳を観察することで、摂食行動を引き起こす役割を持つ神経細胞が、元々はつながっていなかった神経細胞とのあいだに新しいつながりをつくり記憶が形成されることを発見した。これにより、記憶の脳内実体である神経細胞同士の新しいつながりの形成過程を初めてリアルタイム観察することが可能となった。

キイロショウジョウバエはヒトの生命現象のモデルとして、例えば時差ボケの原因となる体内時計の分子メカニズムの解明(2017年にノーベル賞を受賞)などの貢献をしてきた。記憶についても、ヒトと共通のメカニズムの関与が示唆されている。この新しい実験系はその本質的な理解に資することができるため、特許出願中であり、医療のみならず脳機能に学んだ知的情報処理のデザインなど産業応用への道が開かれることも期待される。

未来ICT研究所・神戸フロンティア研究センター・神経網ICT研究室 主任研究員 櫻井晃

12年東北大院生命科学研究科博士課程修了。米マサチューセッツ大医学校、米マサチューセッツ工科大、東北大でポスドク研究員、16年より現職。連合学習過程におけるシナプスのリアルタイム解析に従事。博士(生命科学)。