大学講義など試行錯誤

VR(仮想現実)研究が、メタバース(仮想空間)ブームの到来で転機を迎えている。それを象徴する一つが教育現場だ。これまでVRは、1人や数人で楽しむゲームなどのコンテンツが主だった。メタバースと組み合わせることで大人数が同時に体験できるコンテンツが可能となり、大学で講義などで活用するための試行錯誤が始まった。コロナ禍も後押しする。課題は山積みだが、新しい学びの形が生まれようとしている。(小寺貴之)

「ヘッド・マウント・ディスプレー(HMD)をかぶるとノートをとれない問題がある。ペンとノートで学んできた世代が受け入れられるかどうか」と東京大学バーチャルリアリティ教育研究センターの雨宮智浩准教授は指摘する。

雨宮准教授はHMDをかぶってVRに対応したメタバースの教壇に立つ。ただ学生はHMDをかぶりコントローラーを握ると物理的にノートはとれなくなる。仮想的にキーボードなどで入力することもできるが、そのデータの利用に一手間かかる。HMDを持っていない学生もおり、半数はテレビ会議システムからの参加になる。

講師用のバックミラーは学生からは見えない(東大提供)

VR元年とされた2016年から教育や訓練へのVR活用は進められてきたが、VRが有効とされる3Dモデルの確認などでの利用に限定されていた。メタバースの登場で授業や学校生活を丸ごとVR空間で過ごすという試みが始まった。ここで既存の教育との接続性が課題になっている。ノートのとり方が他の授業とメタバースでは違う問題や、メタバースに参加するための端末の普及率、コンテンツ不足など、研究から実践に移るための課題が洗い出されている。

名古屋大学の長尾確教授は「学生はノートの代わりに音声認識でテキストを残す。授業を聞きながらぶつぶつ話してメモをする」と説明する。学生は授業の大切な部分や感想、振り返り用の検索タグなどを残していく。

近年、授業中にノートをとる学生は減っていた。スマートフォンは身体の外にある脳「外部脳」になった。講義のスライドをスマホで撮ることから始まり、スライドデータに検索タグを入力することも学びの一つの形になりつつある。長尾教授は「若い世代にとって検索できる知識が自分の知識になっている。どこに記録されているかは関心がない」と指摘する。

学ぶ姿勢に対して賛否は分かれるが、1人が活用できる知識量や効率は向上している。紙で学んだ世代と検索世代、メタバース世代では学びの形は変わりうる。先生と生徒のように教育には複数の世代が参加する。受け入れられるかどうか課題が多い。

HMDのセンサーで集中力計測 授業の緩急 判断材料に

VRを広げるには既存の学びを超える利点が必要だ。長尾教授はHMDのセンサーを利用して学生の集中力を計測する。授業中の集中力の推移とテストの点数を分析すると、テストの問題に関するパートで集中していた学生は成績がよかった。人間の集中力には限界があり、授業中ずっと集中力を保っていられる学生はいない。集中力の波がテストの出題と合うと点が伸びる。

当然の結果と言えるが、可視化されると制御の対象になる。例えば集中力の低かったパートを重点的に復習すれば効果的だ。授業にどのように緩急を付けるべきかの判断材料として活用することも可能になる。長尾教授は「集中力などのデータを活用して内容を改善する時代になってきている」と説明する。

雨宮准教授は人工知能(AI)技術で自身の顔を変えて授業への影響を評価した。ディープフェイクで他人の顔に成り代わる。授業では4人分の顔を用意し、事前にどの先生の授業を受けたいかアンケートした。希望が多かった顔では授業中の発言数が多かった。希望の少なかった顔では授業後の質問が多く、成績には差がなかった。雨宮准教授は「ゴールは点数を上げることでなく、関心を持ってもらうこと。できることはまだまだある」と説明する。戦国時代の経済構造を織田信長の顔で教えたり、教科書に載る研究をその研究者の顔で教えたりすれば人物と事柄が結びつく。

VR講義の収録イメージ(名大提供)

教育コンテンツ拡充が課題

課題は教育コンテンツの拡充だ。VRならではの教材が少なく、既存の講義スライドが転用されている。するとメタバースで大きな紙芝居を見ている状況になる。多くの学生はパソコンの画面越しにメタバースを視聴するため、講義スライドが小さく見づらくなる。スライドと参加者の表情を分けて表示するビデオ会議システムの方が見やすい。

メタバースでの阪大総長講演(阪大提供)

VR研究者がVRの効果を引き出すコンテンツを作る状況から、普通の教員がVRでコンテンツを作る状況に変える必要がある。日本バーチャルリアリティ学会の竹村治雄会長・大阪大学教授は「VRの制作環境は年々よくなっており、参入障壁は下がっている。実際にクリエイターを増やしていけるかが課題だ」と指摘する。

専用施設など整備進む

大学の環境整備は進んでいる。金沢大学は学術メディア創成センターにクロマキー合成などができるxRスタジオを整備。名古屋大もVR専用施設を整備する構想だ。阪大も東大も開発環境を持つ。各大学でVR施設が整備されるとVR教育だけでなく、認知心理学や行動経済学の数百人規模の実験も大学間連携で可能になる。

金沢大のxRスタジオ(金沢大提供)

認知心理学では実験の再現性が低いことが問題になっている。十数人規模の実験が多く、統計的有意差を示せば論文になってきた。今後、認知改善効果があるとされるゲームやVRコンテンツの製品化など、研究から事業に進むと見込まれる。事業化段階では、メーカーが他者が追試に投資効果を見出せないほど大規模な実験を行い、有効性を確定させる戦略をとることが想定される。大学間のVR連携により、大規模実験に対応した検証可能な仕組みを整えておくことは社会として大切だ。VR教材の検証にも有効になる。

課題は山積だが、教育VRは研究から実践に移ろうとしている。長尾教授は「大学を越えて協力してコンテンツを蓄積していく必要がある」と説く。制作環境の整備とコンテンツの効果評価の体制を組み合わせ、競争力とする知恵が求められている。

【追記】

紙で学んだ世代と検索世代、メタバースの世代では学びの形は変わりえます。VRは体験として学び評価できるので、テストは知識を問う問題からVR実技試験になるはずでした。例えば電池の構成部品の名称を問う問題から、実際に電池を組めるかどうかバーチャルにやってみさせることができます。ただみんなが端末を持ってないと平等なテストができず、公教育では受講できない学生が生じるのは好ましくないため、テレビ会議システムでも受講できるよう冗長性が確保されています。結局、VR実技試験は現実的でなく、平等に知識を問う問題が出題されています。みんなで環境をそろえないといけない教育の難しさがあります。現在のGIGAスクール構想の端末も、10年前にやってたらタブレット端末がフリーズする度に授業が停まって使い物にならないとされていました。いまだからできると聞いていましたが、いまも案外止まっていて、VRの教育が普及するのに何年かかるのだろうと思います。

一方で、例えば認知症改善のVRドラッグが複数製品化されたとして、それが本当に正しいのか評価検証するインフラが必要です。効く効かないの判定に留まらず、複数のVRドラッグを比較したり、症状や進行度に応じて細かな効果を評価する際に試験規模を確保できる環境が必要でした。実際に薬では試験の結果を覆すために、もっと大きい試験を組んで細かな症例のサンプル数を増やすことがなされました。メーカー同士の競争で費用対効果が合わなくなる規模で試験の膨張は止まりますが、この段階では普通の研究者は追試できなくなっています。大学間連携で評価インフラを整えるか、現実に動いているデータを使えるようにする必要があると思います。認知症改善だけでなく、集中力改善など教育に関わる部分もあるため、インフラが整えば幅広い波及効果が期待されます。

またVR元年以前からこの業界はクリエイターを求めていました。HMDの使い勝手や普及率はまだまだ課題があるものの、質の高いVR作品は作れる環境ができています。普及に向けてキラーコンテンツやキラーアプリを求めていて、研究者や技術者よりもクリエイターの起こすブレイクスルーが必要です。教育コンテンツは地味ですが、クリエイターが作品作りを学ぶには最適な分野の一つです。わかりやすい3Dモデルだけでなく、集中度が落ちてきたらチョークが飛んできたり、授業中に内職してたら隣のアバターが授業の内容を尋ねてきたりと、個人に合わせてアダプティブに体験を変えるギミックが必要だと思います。ゲームデザインに近いスキルを学べます。