「『日本航空(JAL)グループの社員約3万人(当時)、いつになればお前が社員全員ほれさせられるの。それを見といてやる』。社長になったとき、ひと言だけアドバイスをくれたんだ」。JALの植木義晴会長は2012年の社長就任時をこう思い出す。助言したのは当時のJAL名誉会長で京セラ創業者の稲盛和夫氏だ。

JALが10年に経営破たんした原因はさまざま挙げられるが、植木会長は「一つだけ選ぶならワンチームになれなかったこと」と指摘する。経営層と現場に溝があり「信頼感も親しみもなかった」。自身が社長になってからは「経営トップが信頼されないと社員は動かない」と先頭に立ち、ワンチームを作り上げることに心を砕いた。

ただ、「社長をやるには武器が欲しかった」とも。そこで生み出した答えは「自分のキャラクターそのもので勝負」することだ。「一切隠さない。全てオープンにする。それで人がついて来ないならそれまでだ」と覚悟した。その後、JALは再上場を果たすなどV字回復を遂げる。

パイロット歴35年を誇る。その面白さを「一生解けることのないパズル」と表現する。「技量が向上してもそれ以上に志が満足しない。何千回着陸しても自身が完璧と思えたのは3回だけだ。こんなに楽しいものはない」。一生の仕事と思っていたパイロットから経営破たん後、2年の執行役員を経て社長に。パイロットとの違いは「パズルが1000ピースあったら、300ピース分しかなくても答えを出さなければいけないこと」だ。

その事例として思い出すのが13年9月の大型機の選定。当時、米ボーイングと欧州エアバスの機材のどちらを選ぶか迷っていた。導入予定の機材は2社とも未完成。ただ、ここで決めなければ2019年9月に入らない。結局はJALとして初のエアバス機を選んだ。総額1兆円規模(当時)の投資だ。「答えのないところで答えを出すのが社長の責任であり、醍醐味(だいごみ)」と振り返る。納入された1号機を見たとき「勝ったと思った。判断は正しかった」と喜んだ。

その後、18年に社長を退任。JALは現在コロナ禍で経営破たん後最大の苦境にあるが、経営に口を挟むことは一切ない。「赤坂(祐二社長)の知らないところで支えたり、頼まれたことは手伝うが、こちらからおせっかいはやかない」と断言。「ワンチームの原則を崩さない」ためでもある。稲盛氏からのバトンは社内で着実に受け継がれている。(編集委員・小川淳)

【略歴】うえき・よしはる 75年(昭50)航空大卒、同年日本航空入社。94年DC10運航乗員部機長、10年執行役員、同年専務執行役員、12年社長、18年会長。京都府出身、69歳。