米国で気候変動対策への投資拡大などを盛り込んだ歳出・歳入法が8月に成立した。「インフレ抑制法」と呼称されるこの法律の注目点の一つは、電気自動車(EV)の普及促進のための税額控除だ。対象となるEVは北米で生産された車両に限定するなど、部材の調達を含め厳しい要件を設けた。日系自動車メーカーにとって北米は世界販売の約3割を占める主力市場。サプライチェーン(供給網)の見直しなど難しい対応を迫られる。(西沢亮、名古屋・政年佐貴恵)

税額控除対象、北米生産が必須

「(内容が)非常に複雑で、分析しているところだ」。日産自動車の田川丈二専務執行役員は2日、インフレ抑制法の率直な受け止めをこう述べた。その上で、法律に沿った対応が必要になるとし「(調達や生産の)現地化をさらに加速させなければならない」との認識を示した。

インフレ抑制法のEVに関連する部分の骨子はこうだ。EVやプラグインハイブリッド車(PHV)の購入者に新車なら最大7500ドル(約108万円)、中古車なら同4000ドルの税額控除を実施する。税額控除の対象は北米で生産した車両に限られる。

23年1月以降は、車載電池にカナダ、メキシコを含めた北米または米国と自由貿易協定(FTA)を結んでいる国のいずれかで調達された、リチウムなどの「重要鉱物」を40%以上含んでいれば、7500ドルのうち半額の3750ドルの税額控除が受けられる。重要鉱物の比率は毎年10ポイントずつ増加し、27年には80%になる。残りの3750ドルは、電極などの電池部品の50%以上が北米で生産されている場合に適用され、29年以降に100%になるよう定められている。

「残念ながら、税額控除の要件により、ほとんどの車両がすぐにインセンティブの対象外になる」。米ゼネラル・モーターズ(GM)など主要な車メーカーで構成する米国自動車イノベーション協会(AAI)は、インフレ抑制法にこうしたコメントを発表した。

戸惑いの背景には同法の適用時期と、電池の重要鉱物まで含めた調達要件があると見られている。AAIによると現在、米国で購入可能なEVのうち70%が対象外となり、23年1月以降に調達要件が加わると、税額控除を満額で受けられる車両がなくなるという。

電池の原材料は一定割合を中国から調達しているケースが多く、税額控除の対象となるのは簡単ではない。ある日系自動車メーカーの幹部は「車各社とも中国資源を使わずに、電池をつくることは非常に難しいと思っている」と実情を明かし、北米向けのEVではサプライチェーンの見直しが必要になるとの認識を示す。

ただ、これまで量産効果を高めコストを減らしてきただけに、サプライチェーンの見直しにより電池価格が上昇することは避けられない。そうなればEVが税額控除対象となってもその効果は薄れる。消費者がEVの購入をためらう要因に割高な価格帯があり、米政府の思惑通りに需要が育つのかは不透明な面もある。

現在、米国でEVを現地生産しているのは、日系では日産の1社にとどまる。税額控除の対象となるには現地生産が必須であり、他の日系メーカーにとって取り組みが急務だ。しかし簡単ではない。

人材不足、工場建設予約2年先

米国ではインフレや人手不足の影響が深刻化している。資材価格が高騰し、設備関連の業者や人材の確保が難しく、「米国でEVや車載電池の工場を建てようとしても、2年先まで予約が取れない」(車業界関係者)との声もある。トヨタ自動車のある幹部は「実需と政策のスピードがかみ合っていない」と指摘する。

もう一つ気がかりなのは11月に控える米中間選挙の行方だ。共和党が勝利し、トランプ前大統領が政権を担う機運が高まれば、インフレ抑制法などの気候変動対策が、再び緩和方向に見直される可能性がある。別の日系車メーカー幹部は「各社が電動化の投資を加速しきれない背景には政治の影響も大きい」と見る。また中国が米国と同様にEV関連のサプライチェーンから北米製品を締め出す動きも予想され、同幹部は「経済圏の中で部品を調達できる枠組みを構築しておかなければ、グローバル企業はしんどい時代になる」と憂慮する。

ドル箱市場、電池投資を積極化

世界第2位の米自動車市場は、現地に進出する日系自動車メーカーにとってドル箱的な存在だ。トヨタなど日系6社合計の22年3月期の北米販売は約600万台と、世界販売の約3割を占めた。営業赤字だったマツダを除く5社合計の北米事業の営業利益は約1兆5000億円と、全体の約4割に達した。中でも日産やSUBARU(スバル)は北米事業が全地域合計の営業利益を上回り、ホンダは同事業が全営業利益の約6割を占めた。

国際エネルギー機関(IEA)によると米国の21年のEV販売は前年比2・1倍の63万台。うち日系メーカーでは日産のEV「リーフ」が大半を占めると見られるが、21年の米国販売は約1万4000台に留まった。今後、米国のEV販売は伸びる見込みで、英調査会社LMCオートモティブは30年に21年比約15・5倍の約630万台と米市場全体の4割弱を占める規模になると予想する。

拡大が見込まれる米EV市場を前に日系各社は、手をこまねいているわけではない。トヨタは30年までに世界でEV販売を350万台、ホンダは30年に北米でEVや燃料電池車(FCV)の販売比率を40%、日産は米国で31年3月期までにEV販売比率を40%以上に拡大する計画を進める。

具体的な取り組みとしてトヨタは日米でEV向け電池に最大7300億円を投資すると表明した。うち約3250億円を米国に振り向ける。米国では25年以降の生産開始を予定し、日米合計の年間生産能力で最大4000万キロワット時の増強を狙う。

ホンダも韓国のLGエネルギーソリューションと米国で44億ドルを投じ、EV向け電池工場を新設すると発表した。年産能力は最大4000万キロワット時。25年の量産開始を目指す。日産は米国のキャントン工場(ミシシッピ州)に5億ドルを投じて車両組み立てラインを改修。25年から新型EV2車種の生産を予定する。同社は既にスマーナ工場(テネシー州)でリーフを生産。エンビジョンAESC(神奈川県座間市)が同工場内で組み立てた電池を調達する。

日本の自動車メーカーは米国市場で燃費の良さなどが評価されシェアを伸ばしてきた。車業界のアナリストは電動化の一連の投資と共に、「EVでも日本車は良いと納得してもらえるような需要に響く商品を真剣につくっていく必要がある」と指摘する。

野村証券の桾本将隆アナリストらは同法により、30年の米国のEVとPHVの需要は、同社の従来予想と比べ概算でそれぞれ100万台、200万台の増加要因になると予想。中でも「車両価格がEVに比べ安く、電池容量がEVの4分の1以下で済み、現地生産に伴うコスト増が小さいPHVも普及する」との見方を示した。