2023年春闘は、自動車や電機、流通などの大手企業で満額回答が相次いだことなどで30年ぶりの賃上げ水準を実現した。一方、中小企業では高い賃上げ率を記録したものの、大手並みの水準のケースと、昨年並みにとどまるケースで二極化が鮮明になった。全体として物価上昇を考慮した実質賃金は、依然として低空飛行が続く。今後、賃上げは継続するのか―。先行きは不透明だ。(幕井梅芳)

大手満額回答、中小は二極化

「転換点の入り口に立った」―。連合の仁平章総合政策推進局長は、5月19日の春闘の中間まとめの会見の中で、今春闘をこう総括した。

連合がまとめた第5回集計(5月8日時点)では、全体の定期昇給を含めた平均賃上げ額は1万923円となった。賃上げ率では3・67%と、1993年以来30年ぶりの高い賃上げ率を記録。同じく300人未満の中小企業も額で賃上げ率でも3・35%と、同様に高い水準を実現し、現時点では賃上げの流れは広がりを見せている。

自動車や電機の労働組合が加盟する全日本金属産業労働組合協議会(金属労協)の金子晃浩議長(自動車総連会長)は、3月15日の集中回答日の記者会見で「各社の回答状況を見ると異例だ」と評価した。妥結した43組合の回答額平均は8407円となり、要求額平均の8280円を上回ったためだ。トヨタ自動車やホンダ、日産自動車、日立製作所、NECなど妥結企業の約85%で満額回答だ。金子議長は「賃上げを企業内だけでなく、社会全体で波及させていくべきとの認識が経営層に浸透していた」との認識を示した。

例年にない特徴として、イオングループなど流通大手の積極的な賃上げの動きが挙げられる。流通、繊維、外食などの労組で構成するUAゼンセンは集中回答日前に18社が満額回答したと発表した。

異例の賃上げとなった要因として、歴史的な物価上昇、人手不足の深刻化が挙げられる。ロシアによるウクライナ侵攻がきっかけとなり、エネルギー・原材料の価格高騰といった急激な物価上昇が労使の危機感をあおった。また、新型コロナウイルス感染拡大の動きが落ち着き、人口減少に伴う労働力不足が顕著になり、人手不足感が強まった。流通はその傾向が鮮明で、それが賃上げの引き金を引いた格好だ。

「今回の春闘は、経営者主導で進んだ」―。法政大学経営大学院の山田久教授は、こう評価する。集中回答日前に満額回答などが相次いだためだ。

第一生命経済研究所の熊谷英生首席エコノミストも「海外との競争の観点で、経営者のマインドは数年前から賃上げの必要性を感じていた」とし、経営者の賃上げへの意識転換が底流にあると分析する。

政府、環境整備急ぐ 三位一体労働改革

岸田首相は、「インフレ率を超える賃上げの実現」を強く経済界に要請してきた

政府も、賃上げを後押ししてきた。岸田文雄首相は、1月の経済団体の賀詞交歓会で「インフレ率を超える賃上げの実現」を強く経済界に要請した。新しい資本主義実現会議では、リスキリング(学び直し)、日本型の職務給(ジョブ型雇用)、成長分野の円滑な労働移動といった三位一体の労働市場改革の指針も打ち出した。

リスキリングを起点とし、ジョブ型雇用の仕組みを活用しながら、成長分野への労働移動を促す。これにより、構造的な賃上げを実現する戦略を描いている。

政府がこうした改革に着手したのは、海外との賃金格差が広がっていることが背景にある。ここ30年、日本の賃金は低迷し、隣国の韓国にも追い抜かれた。このまま賃金が低いままだと、デジタル分野などの優秀な人材が海外に流出し、日本の産業・経済の競争力の低下を招きかねないといった危機感がある。

一橋大学の野口悠紀雄名誉教授は、「(賃金低迷を脱するには)付加価値(粗利益)を上げることに尽きる」と強調する。米国や韓国は、賃金を上げて高度なデジタル人材を確保し、新産業や新たなビジネスモデルを創出し、経済成長につなげた。一方、日本は世界の潮流から出遅れているのが実情だ。

問題は実効性が確保できるかどうか。学び直しにしても、日本型の職務給にしても、実際に担うのは労働者自身であり、企業の取り組みがカギを握る。労働者の自律的なキャリア形成を促す仕組みや、企業の制度充実などへのインセンティブなど環境整備が必要だ。

全国中小に波及するには…労務費価格転嫁カギ

構造的な賃上げにつながるのかについて、山田法政大教授は「不透明だ」とし、道筋が見えないと指摘する。物価上昇を含めた実質賃金は、このところ減少が続いている。名目賃金の伸びが、物価の急ピッチな上昇に追いついていない。

一方、歴史的な物価上昇が今年後半には落ち着いてくるとの見方が多い中、実質賃金が23年度後半に上昇に転じる可能性もある。物価動向の推移が賃上げに前向きな経営者マインドにどう変化をもたらすかが焦点だ。

中小の動向もカギを握る。23年春闘では賃上げをめぐり企業間の“格差”が広がった。賃上げの分散度合いをみると、22年ではベースアップ(ベア)は5000円が山のピークとなり、金額の分散は狭い範囲に留まっていた。これに対し23年はベア1万円が山のピークとなり、ベアゼロからベア2万円以上までバラつきが大きくなった。中小はベア5000円以下と、ベア1万円以上とで二極化が鮮明となった。

連合の芳野友子会長は、「賃上げの流れが全国の中小へ波及するには取引価格の適正化が不可欠だ」と指摘する。 機械や金属の中小企業などの労働組合で構成するものづくり産業労働組合(JAM)の安河内賢弘会長は、「労務費の価格転嫁は進んでいない」と強調。製品への価格の上乗せはある程度進んでいるものの、労務費は価格転嫁しにくく、しかも見えにくいためだ。

8年ぶりに開かれた政府、労働者代表、経済界代表による政労使会議では、岸田首相は「労務費の価格転嫁について実態調査を実施し、価格転嫁のあり方の指針をまとめる」と表明した。

中小が賃上げを持続するには、価格転嫁と並んで、人手不足への対応も課題となる。少子化の進展に伴い、人員確保のための賃上げの重要度は増す。その原資を確保していくための企業内部のデジタル化による効率化のほか、柔軟な働き方に対応した人事制度の整備を進めることは欠かせない。また複数の中小の連携による新製品や新サービスの開発によって新産業を創出し、収益力の底上げを図ることも重要となる。