印刷インキで国内トップシェアを誇る老舗化学企業が転機を迎えている。1月にartience(アーティエンス)として新たなスタートを切った旧東洋インキSCホールディングス。創業128年目を迎える同社が新社名とともに示したのは、「変革への決意」だった。デジタル化や脱炭素など取り巻く環境が大きく変化する中、業績の底上げを狙い事業構造の見直しなどを進める。新たな時代に向けた成長基盤を築けるか、動向が注目される。(大川諒介)

【注目】インキ需要減、原材料高追い打ち

artienceは3カ年中期経営計画の最終年度である2023年で掲げる売上高目標(20年比16・4%増の3000億円)については達成を見通すが、営業利益目標(同70・5%増の220億円)は未達を見込む。最大の要因は原材料などのコスト高に対する価格転嫁の遅れだ。エネルギー価格高騰に加え、一部の原材料調達が不安定化。21、22年の2年間で原材料・エネルギーコストが累計333億円上昇したが、価格転嫁で対応しきれなかった。

事業環境も厳しい。収益源とするディスプレー関連材料は、21年後半以降のパネル生産調整で低迷。印刷インキも国内を中心に紙媒体向けの需要が減少する。日本は印刷業の生産金額(22年で3515億円)のうちオフセット印刷の割合が6割超と高く、紙媒体向け需要がインク業界全体に影響する。

こうした環境変化が同社の改革の背中を押した。国内インキ事業は構造改革を継続的に行う。23年1月には国内の地域別販売会社6社を事業会社の東洋インキ(東京都中央区)に統合。人員縮小・成長分野への再配置なども同時に表明した。機能性インキや環境調和型製品の展開も視野に入れる。市場が縮小する中、事業体質を強化し収益を確保する。

artienceの業績

素材全般では電気自動車(EV)を中心とするモビリティー、エレクトロニクス関連に重点投資を行う。シェア拡大に打って出るリチウムイオン二次電池(LiB)用分散体やカラーフィルター(CF)材料に続く製品展開を目指す。LiBパッケージ用のラミネート接着剤やセパレーター用材料など関連製品を拡充するほか、半導体関連材料の開発も強化。成長市場に積極展開し、新たなニーズの取り込みを図る。

同社の社史は1896年に創業者・小林鎌太郎が印刷インキ店を開業したことにさかのぼる。インキの練肉から始まり顔料からの一貫生産、高分子化学品への進出などインキ・材料の進化に伴い事業や技術領域を拡大した。新社名は色彩をはじめとした五感やリベラルアーツのartに、技術や素材、合理性を表すscienceを組み合わせた造語だ。

持続的な成長の実現は、培った樹脂設計や合成技術を時代のニーズに合わせ最適な形で活用できるかにかかっている。

【展開】電池部材・ディスプレー材で攻勢

成長のけん引役に位置付ける製品がLiB用分散体と、CF材料だ。これらはインキ製造などで培った顔料やポリマー、分散などに関する技術が応用されている。EV化などのニーズに対応するべく、供給体制の整備にも力を注ぐ。

LiB用CNT分散体「LIOACCUM(リオアキュム)」

同社が手がけるLiB用分散体は、絡み合った状態で存在するカーボンナノチューブ(CNT)の繊維をほぐして溶剤中に安定化したもの。主にLiB正極材の導電助剤に用いられ、高容量の車載用途で採用が進む。分散性や電極内での均一分配性に優れる点が特徴だ。また導電材にCNTを用いることで、従来品より少量でも高い導電性能を発揮するようになるなどLiBの高性能化に貢献できる。

2026年までに総額250億円超を投じ、日米中欧でLiB用分散体の供給体制を確立する計画を進めている。採用実績のある韓国SKオンや中国・寧徳時代新能源科技(CATL)などに加え、顧客開拓にも注力する方針だ。同年に売上高400億円超、世界シェア15%以上の確保を目指す。

印刷インキの国内シェア推計

脱炭素化や経済安全保障の観点から地域ごとに蓄電池供給網が構築される傾向が強まっており、EV・電池メーカーはグローバル展開を強化している。同社は材料需要地の近くで先んじて供給体制を整え、優位性を確保する戦略だ。

高島悟社長・グループ最高経営責任者(CEO)は「米中をはじめ世界市場は確実に変化しており、EV化は止められない流れだ」とし、シェア獲得へ勝負をかける。

CF材料も「長期的にさらなる成長が見込める」と高島社長は自信を示す。CFはディスプレーの色再現を担う部材で、同社はレジストインキなどを手がける。生産拠点を置く台湾市場を中心に、スマートフォンなどデバイス市場の在庫調整局面下でも提案を積極化してきた。

需要低迷で競合の撤退もみられる中でシェア拡大に成功し、市況回復に伴う収益貢献を期待する。今後は大型ディスプレー生産が集中する中国において現地生産の検討を本格化する。ノウハウを要する中間材料は日本国内で製造し、最終製品化を中国で行う体制を目指す。

電池部材、ディスプレー材料はともに汎用化のリスクがあるほか、市況変動などの影響を受けやすいビジネスだ。「今はシェア拡大のチャンス。リスクを織り込んだ価格政策や生産プロセス改善にも取り組んでいる」(高島社長)と打つ手を緩めず、事業基盤を強固なものにする。

【論点】社長・高島悟氏「事業再編進め利益創出」

社長・高島悟氏

―社名変更の背景は。

「変革のチャンスにするためだ。老舗が何よりも大切にする信用という基盤の上に、企業変革を起こしていく。現状に課題感を持っていたが、コロナ禍で時計の針が早まった。印刷インキは紙媒体向けの需要が加速度的に減少し元には戻らない。将来的な成長の実現には、世界に貢献できる新しい価値を創出することが求められる」

―事業ポートフォリオ変革の方向性は。

「前提として、インキ事業を止める考えはない。売り方や対象市場を変えることで、収益力を高めていく。既存事業は収益性などを細かく分析し、新中計期間で撤退も視野に入れた事業再編を進める。さらにモビリティー、次世代エレクトロニクスの二つを戦略重点領域に設定。関連事業に経営資源を重点配分し、新しい売り上げと利益を創出する」

―事業性の見極めのポイントは。

「キャッシュフローや投下資本利益率(ROIC)による管理を部門ごとでも行い、利益に対する資本コストを勘案して採算を確保できるか判断する。継続的に加重平均資本コスト(WACC)を上回るROIC水準を確保していきたい。対外的には株主資本利益率(ROE)を示しているが、(資本コストに相当する)7・1%超えを3年以内に達成したい」

―変革をどう浸透させていきますか。

「人に関する施策がカギを握る。今後は人手不足を背景に、生産性を高めるためのエンゲージメント強化や合理化が必要だ。まず幹部社員の人事制度を見直し、給与水準を高めつつメリハリのある評価体系に改める。女性登用や日本での外国人活用も積極化する。また全社員からビジネスプランを募り外部の支援を得ながらテーマ選定、事業化を目指すなど人材育成や新規事業創出につながる仕組みを回していく」

―新規事業創出の方向性は。

「米VLPセラピューティクスへの出資や人材交流などを通じて、貼付型医薬品に次ぐライフサイエンス領域への参入を検討する。加えてスタートアップとの共創の場を設けるなど人と情報が集まる環境をつくり、グリーン関連をはじめとするイノベーションの事業化につなげる」