東京五輪公式映画のメインテーマ曲「The sun and the moon」を、藤井風が担当していることが発表されました。ところが、これに藤井風のファンから落胆の声があがっているのです。

 理由は、公式映画の監督、河瀨直美氏に関する一連の報道。

◆五輪字幕問題、東大祝辞に続き…

 まずは、昨年末に放送された『河瀨直美が見つめた東京五輪』(NHK)。五輪反対デモに参加した男性が金銭と引き換えに動員されていたとする偽りの字幕がそのまま放映され、批判されたのです。

 河瀨氏が直接取材していなかったとはいえ、番組内で様々な取材対象の映像素材に触れていると思しき場面もあることから、憶測を呼んでいます。
 
 続いて、令和四年度東京大学入学式での祝辞も物議を醸しました。ウクライナ情勢について、“ロシアを悪者にすることは簡単”との発言が炎上。

 ネットからのみならず、東大教授で国際政治学者の池内恵氏からも「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ないでしょう」と、厳しく指摘されたのです。

◆撮影現場での“腹蹴り”事件
 
 そして、撮影現場での“腹蹴り”事件。『文春オンライン』(2022年4月27日配信)によると、映画『朝が来る』(2020年10月23日公開)の撮影中に、向きを変えるよう監督の体に触れたスタッフの腹を蹴り上げたというのです。これに憤った撮影スタッフ全体が、プロジェクトから離れる事態に。

 後日、河瀨監督は、「急な体の方向転換は恐怖でしかなく、防御として、アシスタントの足元に自らの足で抵抗しました」と説明。双方の話し合いによって解決済みとの認識を示したものの、世論の大半はいぶかしげな様子です。

◆藤井風ファンは複雑な心境?
 
 そういうわけで、藤井風のファンは複雑な思いを抱いているのですね。

“腹蹴り”が報じられる前から“河瀨直美と組むのはちょっとなぁ”といった声があがり、なかには“ファンやめといてよかった”なんて声も。報道後には藤井風にとっての“黒歴史”というツイートまで見られたのです。

 ゆるりとした人となりや、スムーズでメロウな曲調、寛容と多様性を賛美した歌詞が、河瀨直美氏の思想やメンタリティとは相容れないと映っているのでしょう。

 加えて、いわくつきの東京五輪に関わる藤井風に対する落胆。河瀨直美と東京五輪という組み合わせに、拒否反応を起こしているように思われます。

◆著名人に向かう「キャンセルカルチャー」とは?

 こうして社会通念上好ましくないとされる出来事が起きた時、著名人を襲うのがキャンセルカルチャーと呼ばれるものです。

 主に欧米で見られる現象で、不買や、出演する番組、映像作品などからの降板を求める運動を起こし、道徳的な正義を守ろうする運動のことですね。ふつうは問題ある言動を起こした当人に向けられます。

 たとえば、人気番組『エレンの部屋』の司会者、エレン・デジェネレスは、パンデミック中の自宅豪邸での隔離生活を“ムショ暮らし”とジョークを飛ばしたところ大炎上。そこからスタッフに対する過去のパワハラや給料未払いなどが指摘される事態に発展し、番組は2022年に終了することが発表されました。

 また『ハリー・ポッター』シリーズの作者、JKローリングもトランスジェンダーに対して否定的な発言をしたことがファンからの反感を買いました。映画に出演する俳優陣たちからもローリングと一緒に写真に収まらないといったリアクションを起こされ、排斥の対象となってしまったのです。

 これに対して、河瀨氏の一件では嫌気が本人ではなく藤井風に向かっているのが興味深い点です。当人への批判はさておき、藤井風を守りたいという老婆心。なるべく事を荒立てずに済ませる道を探る、ということでしょうか。遠回しで日本的ですね。

◆心のモヤモヤを晴らすために「石を投げる」

 しかし欧米ほど過激でまとまった声ではなくとも、確かに排除の論理が働いている。その心持ちに大きな違いはありません。

 強硬に中止や降板を求めることも、おせっかいで“風くん、やめたほうがいいよ”ということも、どちらも問題解決の本質を追求するより、納得できないことに対する心のモヤモヤを晴らしているに過ぎないからです。
 
 かつてアメリカのオバマ元大統領は、キャンセルカルチャーについてこう語っていました。
<「それは現状を変え得る行動とは呼べない。ただあなたが石を投げることしかしないなら、大した成果は得られないだろう。そんなラクな方法では無理なのだ」>(The Telegraph『How cancel culture came to define 2021- and the casualties it left behind』2021年12月22日配信より 筆者訳)

「ラクな方法」で訴えることの根底に、孤立した多くの個人がSNSで自由に感情を表現するようになった環境が影響しているのかもしれません。
<気分を害したという感想が、単なる個々人の主観から同意しかねる人たちに向けられる武器へと変貌したのである>(The Telegraph同記事より)

 数のつぶやきが集積されることで、あたかもムーブメントであるかのように錯覚させられる事態が生まれた、というわけですね。

 アフリカ系アメリカ人の活動家でフェミニストのロレッタ・ロスも、キャンセルカルチャーに疑問を呈する一人です。本当に危険な人物を正当に批判するのではなく、人畜無害な人物をやり込めてはせせこましく得点を稼ぐようなものだとして、そうした活動にいそしむ人たちは、“自称・政治的な潔白さの番人”になってしまうと批判的な見方を示しています。(Vox『What is cancel culture? Why we can’t stop fighting about cancel culture』2020年8月25日配信より 筆者により要約、翻訳)

◆藤井風のファンは少し過保護な気も…

 もちろん、明白な犯罪行為によって脅威を与えたのならば、事情は異なります。けれども、河瀨直美監督の“腹蹴り”はどうだったのでしょう?

 それがジャンボ鶴田のキッチンシンク(注1)ぐらいの威力だったのか、はたまた河瀨氏が主張するようにとっさに出てしまった行為だったのかで、見え方は変わります。スタッフが辞めた事実は変わらないとしても。(注1:プロレスの技。相手をロープに投げ飛ばして帰ってきたところを腹部に膝蹴りを入れる)

 NHKの字幕問題は複雑ですが、東大入学式でのスピーチも、のちに東浩紀氏が
<悪を糾弾することで満足するなと指摘しているだけだ。>(AERA dot. 4月26日配信)と改めて解説したように、議論の設定自体は間違いではありませんでした。

 確かに、“河瀨直美、うげーっ”と思うことはあるのかもしれません。またそれをネット上で自由に表明することも、一定の範囲内ならば許される。ただし、それを理由に藤井風のイメージが損なわれる可能性にまで言及するのは、ちょっと過保護のような気もします。

◆ファンが期待する選択をし続けられるわけではない

 いまは“心配”や“懸念”といったレベルで収まっているものの、遅かれ早かれ道徳的、政治的な潔癖さを求める加熱したファン心理(ファンダム)の問題へと発展していくことでしょう。それは藤井風にとって、間違いなく重荷となっていくはずです。

 もちろん、アーティストには好ましい人と理想的な環境で活躍してほしいと願うのがファンというもの。けれども、アーティストだって人間ですから、少しぐらいは間違いを犯します。1から100までファンが期待するように正しい選択をし続けられるわけではない。

 それをその都度声をあげて指摘していたのであれば、ファンもアーティストも身が持ちません。大枠として間違った方向に進まないように見守りつつ、“ここは許せるかな”とか、“危ういけどグレーで放っておこう”という余裕がないと、お互いにがんじがらめになってしまうのではないでしょうか?

◆五輪映画のテーマ曲は“黒歴史”に?
 
 さて、こうしたもろもろを踏まえて、藤井風が東京五輪の公式映画のテーマ曲に起用されたことは、“黒歴史”となってしまうのでしょうか?

 <何も知ったこっちゃない 好きにしてください 
  何も知ったこっちゃない 何にせよめでたい>
                (「まつり」 作詞・作曲 藤井風)

 そんな気にしてないみたいですよ。
 
文/石黒隆之