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◆頼む! 普通の資本主義をやってくれ……

 岸田文雄首相が長期政権を築きたいと思っているのは誰の目にも明らかだが、何をしたいのかはさっぱりわからない。ただ岸田首相も、何も実績がないのは恥ずかしいとの自覚はあるようだ。そこで打ち出されたのが「新しい資本主義」だ。

 報道ではようやくその一端が明らかになりつつあるが、それが何なんなのか、さっぱりわからない。とにかく「新自由主義」を批判したいのだけはよくわかった。仕方がないので、自民党の討議資料を取り寄せてみたが、余計に何のことやらさっぱりわからなくなった。

 そもそも、岸田首相と取り巻きは、自由主義と資本主義を区別しているのだろうか。そこからしてよくわからない。その上で「新」だの「新しい」だのを加えるから、余計にわからなくなる。

◆そもそも資本主義とは何か?

 普通、経済的自由主義のことを資本主義と呼ぶ。経済活動の自由が認められ、機会が保証され、結果として個人が所有する財産に差が出るのは仕方がないと考える、主義のことだ。近代経済学、自由主義経済の祖とされるアダム・スミスは、政府が可能な限り民間の経済活動に介入しないことを説いた。つまり、政府がマクロ経済に対してできる唯一の事は、民間の邪魔をしないことである。

 スミスの考え方は、世界中の真っ当な経済学者の基礎となっている。ただし、重大な修正は絶えず加えられ、多くの学派に分かれているので、「自由主義=資本主義」ではない。

 スミスに対する最大の修正者は、ジョン・ケインズである。1929年の世界大恐慌において、スミスの「政府は市場に介入すべきではない」との説を盲信した各国政府は、なすすべがなかった。そこでケインズは、「不況の時に限定した理論であるが」と断った上で、「政府は民間ではなしえない公共事業などにより市場に介入すべきである」と説いた。これが修正資本主義である。

◆経済理論は政府と市場のどちらを信じるかの思想

 基本的にスミスの理論を土台にケインズの方策が付け加えられているのだが、いつのまにか日常的に政府は公共事業を行い、福祉をバラまくべきだとの説も有力となっていった。

 スミスの自由主義経済学には「市場の失敗」がつきまとうし、ケインズに始まる修正資本主義においても「政府の失敗」がつきまとう。いつの時代、どこの国でも通用する経済理論などは無いが、政府と市場(民間)のどちらを信じるかの思想である。規制を緩やかにして民の活力を強めて税の自然増収による政府運営を基礎とするのか、それとも政府の民間に対する規制を強くして重税を課すのか。明らかに前者の方が、自然な経済法則に適する。

 だが、民間を規制し、重い税を課し、その税を財源に一部の業者に補助金をバラまき、公共事業や福祉を行う。権限が増え、民に対する支配力が強まる以上、市場への介入に政府が飛びつくのは世の常だろう。どこの国でも政府の権限が強化、民間への規制が強まり税金は高くなっていった。

◆「新しい資本主義」とは「竹中的な政策の是正」程度の意味

 こうした傾向にメスを入れたのが、イギリスのマーガレット・サッチャーであり、アメリカのロナルド・レーガンだった。サッチャーやレーガンは、国力の基礎は経済であると見抜いた。その為には、規制を緩和し、可能な限り税負担を無くし、民間の活力を強くして経済を成長させること自体が、国力を高める方策だと、信じた。こうした姿勢に対し、「新自由主義」のレッテルが貼られた。同時代の中曽根康弘も、新自由主義者とされることもある。

 もともと「新自由主義」はレッテル張りであり、本来の自由主義とどう違うのかの理論的検証はない。むしろ、スミスの説いた本来の自由主義への原点回帰の傾向が強い。

 日本における新自由主義者の代表と目されるのが、竹中平蔵と小泉純一郎である。曰く、「小泉内閣で民営化と規制緩和が推し進められ、格差社会が広がった」とされる。このような雑な定義はまだマシで、「新自由主義とは竹中がやったこと」と言い張って恥じない御仁すらいる。レーガン・サッチャー・タケナカ……小泉どころか中曽根をも飛び越える大物ぶりである。「どれだけ竹中さん人気者なんだ?」と言いたいが、かなりの数の国会議員が、このレベルの認識なのだから頭が痛い。

 要するに、岸田首相の言う「新しい資本主義」など、「竹中的な政策の是正」くらいの意味しかないのだ。

◆岸田首相はスミスとケインズのいいとこどりか?

 根幹となる用語の定義が意味不明なので、「新しい資本主義」が何なのかなど、わかるはずがない。と投げ出しては始まらないので、我慢して自民党の討議資料を読んだ。

 一応、ここまで定義したような内容が書いてある。

 ただ、岸田首相は「両岸」と名付けた方がよさそうだ。堂々と「市場も国家も」などと宣言している。スミスとケインズをいいとこどり?

 しかも理念と現状認識が整理されておらず、それを読み取るのも相当な力技だったが。冒頭に一応の理念の定義らしき作文があって登場するのが、「経済安全保障の徹底」である。どこをどう読んでも、新しい資本主義を実現するには経済安全保障の徹底が条件としか読めない。

◆経済安全保障は新しい資本主義に限った政策ではない

 では、普通の安全保障は取り上げられていないのに、なぜ経済安全保障だけが特筆大書して取り上げられるのか。

 そもそも、経済安全保障とは、中国から機微技術を守るための政策ではなかったのか。アメリカでも重視されているが、中国も重視している。資本主義だろうが、共産主義だろうが、新しい資本主義だろうが、どのような主義の下であっても重要な政策なはずであって、新しい資本主義にだけ特有の政策ではない。

 そして、AIやグリーンなど投資すべき分野がずらりと並んでいるが、要するに選挙前のバラマキのカタログを列挙しているだけだ。

◆政治と行政の区別がつかない「自民党病」

 これは「自民党病」と名付けても良いのだが、政治と行政の区別がついていない。

 最高レベルの政治とは、国家をどうするかだ。今で言えば、「いつまでも敗戦国のままでいるのか、それとも大国に戻るのか」だ。その下位概念として、「民の活力を強めるのか、政府が民間を保護(=支配)するのか」の主義が定められ、具体的な政策が付随してくる。

 こんなことは、少なくとも中国共産党ではありえない。徹底的に国家の方向性と理念を確認、議論による厳密な定義の上で、検証を繰り返している。

 中国に負けっぱなしでいいのか?

【倉山 満】
’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、「倉山塾」では塾長として、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交についてなど幅広く学びの場を提供している。著書にベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』のほか、9月29日に『嘘だらけの池田勇人』を発売

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