◆緊張感高まる台中関係だが……

 台湾で緊張が高まってしばらく経つが、中国は本気のサイバー攻撃を仕掛けていない。サイバー攻撃そのものはしているが、それはいわゆる閾値以下の攻撃ばかりだ。閾値以下の攻撃とは超えてはならない一線=レッドラインを超えないという意味だ。レッドラインを超えたら、いつ戦争になってもおかしくないということになる。

 平時には閾値以下のサイバー攻撃はもはや「当たり前」となっているのが現代の国際関係だが、報道は平時とは言えない状況だと伝えている。実際、今回中国が行った軍事演習などは過去のレッドラインを超えているが、アメリカはレッドラインを超えた反応はしていない。アメリカはペロシの訪台が失策であったことを知っており、問題をエスカレーションさせたくないようだ。中国がアメリカの隙につけこんだ形だ。

 中国にとってもアメリカにとっても今は戦争するタイミングではなかったこともあり、ペロシの訪台という失策をきっかけに中国はレッドラインの押し上げには成功した。ただ、本気で戦争するつもりがない以上、本格的なサイバー攻撃までする必要はない。

◆中国が台湾に仕掛けていたサイバー世論操作

 香港の例に考えてみると、中国は言論統制などを行う前から経済界への影響力を高め、内部からの切り崩し工作も並行して行っていた。
 この「工作」は、2段階に分かれており、フェーズ1で経済界への影響力を高め、フェーズ2で経済界から従業員、取引先などに広めて行く(参照:「Newsweek日本版」)。キャセイパシフィック航空が抗議デモに参加した従業員を解雇したことを覚えている方もいるだろう。経済界を動かし、メディアに影響を与え、世論をネット世論操作で変容させていく。

 香港と全く同じやり方をするとは限らないが、その手順を参考に考えてみる。中国は台湾の輸出の三分一近くを占めており、近年では台湾企業が本土に投資を行う話も出ている。フェーズ1の段階なのだ。そのため、ここで産業界に甚大な被害を与える本格的なサイバー攻撃を行うのは得策ではない。台湾に対して経済制裁めいたこともしているが、きわめて限定的であり、長くは続けないだろう。いま必要なのは被害を与えることを目的とした破壊的なサイバー攻撃ではなく、気づかれにくく正体を隠しやすい情報収集のための閾値以下のサイバー攻撃なのだ。

◆より「見えなく」なっているサイバー攻撃

 最近のサイバー空間の出来事は、その背景をひもとかないとよくわからないことが多くなっている。最近、刊行した『ウクライナ侵攻と情報戦』では、ロシアとウクライナのサイバー空間の戦いをグローバルノースとグローバルサウスという軸で整理した。そして、「サイバー地政学」とでも言うような視座がますます必要になっている。

 とはいってもサイバー地政学という言葉は、さほど普及しておらず、人によって使い方もまちまちのようだ。しかし、確実に言えるのはサイバー空間の出来事を理解するためには、サイバー空間の外の世界を理解しなければならなくなったということだ。まだ曖昧模糊とした言葉ではあるが、サイバー地政学の時代が来ているのだろう。

 たとえばサイバーセキュリティの大手ベンダ各社は定期的あるいはテーマに応じて公開しているレポートの内容も変化している。これまではマルウェアやサイバー攻撃についての技術的な分析が中心だったが、じょじょにインテリジェンスや地政学的な知見を盛り込んだものになってきている。なぜなら、現在のサイバー攻撃、組織的サイバー犯罪の多くは国家が関与しているものが多く、その目的や意図を知るためには地政学的な理解が不可欠となるためである。

◆地政学的な視座が必要になったサイバー攻撃分析

 特に中国のサイバー攻撃には地政学的な目標と関連があることが多く、国家目標や経済施策などを含めて考えないと全体像がわかりにくい。中国の一帯一路の状況を理解していなければ、その地域で起きているサイバー攻撃の意図も理解できないと言ってもよいだろう。
 たとえば、今回のウクライナ侵攻のサイバー空間での攻防をまとめたマイクロソフト社のレポート「Defending Ukraine:Early Lessons from the Cyber War」はサイバー攻撃も取り上げていたが、その中心はデジタル影響工作だった。

 これからのサイバー空間では、地政学的視点が必要になりそうだ。しかし、日本では国際情勢とサイバー空間の連動を調べている方が少ない。もともとグローバルサウスとサウスの狭間にいる日本に見えにくい世界がよけいに見えにくくなっているように感じる。

<文/一田和樹>

【一田和樹】
小説家及びサイバーセキュリティの専門家、明治大学サイバーセキュリティ研究所客員研究員。I T 企業の経営を経て、2 0 1 1 年にカナダの永住権を取得。同時に小説家としてデビュー。サイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)、『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)、『フェイクニュース新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)、『新しい世界を生きるためのサイバー社会用語集』(原書房)など著作多数