【ロフト創業者が見たライブハウス50年】#41

 日本ミュージック界のレジェンドが、この世を去ってから1カ月が経過しようとしている。ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんが3月9日に死去した。70歳だった。2月8日に自宅で倒れ、入院先の都内の病院で意識が戻らないままの旅立ちだった。それまで変わった様子もなく、元気だったというのに……。抜群のテクニック。多彩にしてダイナミックなパフォーマンス。個人的には<重厚なドラミング>が特徴だったと思っている。1970年半ば以降、ロフトでもライブを何度もやってくれた。合掌――。

 出会った頃は、いわゆるフツーのカッコだったし、髪の毛もチャパツじゃなかった。売れてからは随分とオシャレになったし、ド派手なシャツなど好んで着るようになった。ドラムは、あくまでリズム隊として<後方からバンドを支える>という役割を担っている。

 ポンタさんなりに「ドラマーのステータスを上げたい」という意識があったんじゃないかな。

 ジャンルを選ばない人だった。アイドル歌謡からJポップ、シティ・ポップ、ジャズにフュージョンなど、叩いた曲は1万4000曲以上といわれている。キャンディーズ、ピンク・レディー、井上陽水、郷ひろみ、山下達郎、松田聖子、角松敏生、中森明菜、沢田研二、矢沢永吉、ドリカム……今でも著名ミュージシャンのスタジオ、ライブの音源でポンタさんのドラムを聴くことができる。

 ロフトから巣立ったサザンオールスターズのコンサートでドラムを叩いたり、メンバーのソロアルバムに参加したり、そういえばポンタさんのアルバムにサザンの桑田佳祐さんが、ボーカルで参加したこともある。

 夜中にワーワーギャーギャー言いながら酒を飲み交わすという機会もあったけど、2人だけで連れだって朝まで飲み歩くとか、そんな付き合いだったわけでもない。

 でも、ポンタさんとは<通じ合っているモノ>は多かったように思う。

 94年、新宿ロフトが都市再開発を理由に退去を迫られた。私たちは、裁判を含めて「負け犬にはなりたくない」と徹底抗戦することを決断した。

 すると熱いメッセージが届いた。

「新宿ロフトと知り合って毎夜というか、毎早朝までというか、連日多くのミュージシャンとセッション、交流を重ねさせていただきました。その中から、いろいろなグループがロフトから飛び立ち、発展・展開していった音楽は、現在の日本の財産と表現しても良いでしょう。私自身、あの新宿ロフトでの集いがなければ、現在の自分があるかどうか? このような創作空間が消滅していくことは、大きな損失だと痛感しています。立ち退きに絶対反対の意思を表明したいと思います」

 ポンタさんは日本のロックを育ててくれた。改めて言う。ありがとう!

(平野悠/「ロフト」創業者)