【ロフト創業者が見たライブハウス50年】#63

 日本語ロックの先駆者である鈴木慶一さんは1975年に「ムーンライダーズ」を結成。ロフトに何度も出演してくれた。新宿ロフトのオープン3日目(76年10月)は「鈴木慶一&ムーンライダーズ」「南佳孝&ハーバーライツ」「桑名正博&ゴーストタウンピープル」がステージに立った。新進気鋭の3バンドを同日ブッキング。「凄いメンツ!」と自画自賛させてほしい。柔軟な頭と多彩な才能の持ち主である慶一さんは、ゲーム音楽や映画音楽の世界でも一流だった。さすがだ!

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平野 89年に任天堂がゲーム「MOTHER」を発売。コピーライター糸井重里さんのプロデュースだった。

「CMの仕事もやっていましたが、音楽はテレビから無料で流れてくるもの。ゲームも音楽が勝手に聞こえてくる。自動的に流れる音がゆえに手間を掛けて意味付けをしたかったから、一生懸命にやりましたよ」

平野 サラサラッと作ったんじゃなくて。

「淡々としているように見えるでしょ。違うんです。そう見えようが、見えまいが一生懸命に取り組むのが大事なんです。CMもゲームもヒットすることは大事。でも音楽を良いものにするために真面目にガツッとやった。今でも若いバンドマンから『MOTHER、やってました。音楽も聴いてました』って言われる。うれしいよね」

平野 90年代に入ると映画音楽を手掛けるようになった。2003年公開の北野武監督「座頭市」(ビートたけし主演)では、スペインの著名国際映画祭で最優秀音楽賞を受賞した。

「そもそもの取っ掛かりは、オフィス北野の森昌行社長ですよ。映画祭の評価は嬉しかったなあ」

平野 あのちょんまげの社長さんだよね。

「その森社長がムーンライダーズにずっと興味を持っていたことで。祭りのシーンで大人数がタップダンスをやったり、田んぼを耕している農民がパタッと倒れたり、大工仕事が一定のテンポをキープしたり『リズムに合わせる音楽が重要なのでぜひお願いします』ということでした」 

平野 たけしさんは厳しくダメ出しをしてくるイメージがある。

「厳しくはないけど『嗅ぎ分ける』のが大変でしたね。たけしさんって映像を見ながら編集、色合い、SE(効果音)、音楽……すべてを同時に考えられる人。気付いたことをパパパッと言ってくる。たけしさんが帰った後、スタッフは全員集合です。たけしさんは何をどうしたいと言っているのか、皆が一緒になって確認作業です。もの凄いスピードで映画を考えていらっしゃる。それに追いつかないとね」(この項つづく)

(平野悠/「ロフト」創業者)