「がん? ああ、来た来た!」という感じです。こんなふうに言うと軽薄に聞こえるかもしれませんけど、つらいとか苦しいといった経験は、乗り越えれば全部いい思い出になることを体がもう知っているんです。だから、一切不安はありません。通算8回のがん手術は、本当に全部いい思い出。楽しかったな(笑い)。

 そんな僕でも、一番初めの大腸がんが分かった時は、そりゃ不安でした。1992年、48歳の時のことです。

 僕は体のメンテナンスはずっと気を付けていて、主治医の病院で、毎年きちんと検査を受けていたんです。その主治医には家族ぐるみでお世話になっていて、信頼もしていました。でもある日、血便があったので受診したら、「痔」と診断されたんです。その時は疑いませんでしたが、その3年後に大腸がんが見つかった。今思えば、その血便がサインだったと思っています。

 大きな異変はハワイ旅行中、トイレで大量に下血したことです。あまりの量に「これは痔なんかじゃない」と思いました。たまたまテニスの仲間に医師がいたので、帰国後に彼の病院で検査をしたら、「S字結腸にポリープがあって、それががん化している」と言われました。ステージ?とのことでした。

■セカンドオピニオンの必要性を実感

 手術は内視鏡で済むはずでしたが、のぞいてみたら思いのほか大きかった。そのため、転移の可能性を考慮して、後に開腹手術でポリープ周辺の腸管とリンパ節を切除したんです。医師には「開腹手術をしなければ3カ月から半年で死んでいた」と言われました。

 我ながら運良く命拾いできたと思いました。そしてこの経験があってから、セカンドオピニオンやサードオピニオンの必要性を実感しましたし、人生観も変わりました。がんの恐怖、入院、手術、開腹の痛みなどはもちろんつらいことではあったけれど、命が助かって、また元気に過ごせることの何と楽しいことか。あらゆる困難は、楽しいことへの序章なんだと悟ったんです。

 2008年には血尿がきっかけで膀胱がんが見つかりましたが即手術して完治。3年前には食道がんと胃がんで計4回手術して、がんの当たり年みたいだったけれど、どちらも年に2回の検査の中で“初期の初期”で見つかっているから内視鏡手術だけで終わりでした。

 これだけ次々にがんになったのに、なぜか今のところがんに勝ち、生き残っている。医師にも「凄い精神力ですね」と言われます。それは、与えられた境遇を必死に本当に命がけで生きてきたご褒美じゃないかなと思ったりもします。

■“当たり年”だった3年前を境に死ぬことも怖くなくなった

 僕は16歳の時に、母親(39歳)をがんで亡くしました。最期に「としお、頼むよ」と言われた言葉をずっと背負って、長男として3人の弟の面倒を全部見ました。あの頃は、食べる物も着る物もなくて、生きるために何でもやった時代です。つらいこと、悲しいこと、逃げ出したくなることはいくらでもありました。でも逃げられなかったから、いつの間にか無意識でその境遇を楽しむようになっていったんです。

 病気だって同じです。妻に迷惑は掛けたくないから、入院中の洗濯だって全部自分でやっていましたよ。点滴ぶら下げてね(笑い)。後から“こんなことも自分でやったな”って思えば楽しいじゃない。

 がんの当たり年だった3年前を境に、死ぬことも怖くなくなりました。思えば、若い頃は無我夢中でウエーターから保険のセールス、トラック運転手……いろんな職業を経験しました。そんな実体験の引き出しをたくさん持っていたから、演技勉強ゼロの僕が、役者でやってこられたと思っています。その代わり、役者になってからは夜更かしも酒量も半端ではありませんでしたから、がんになっても不思議じゃないなとも思います。

 結果として、僕は若い頃の夢を全部手に入れてしまったから、今はもう欲がありません。あえて言うなら、今ある仕事を大事にしたい。それだけです。莫大な借金もとっくに完済しましたからね。

 それに何より、もうお葬式も済ませているんです。昨年、比叡山の阿弥陀堂で「生前逆修永代供養」というのをやりました。人に迷惑を掛けるのが嫌いだから……。死んでも通夜も葬式もしないし、偲ぶ会なんてやったら化けて出てやりますよ(笑い)。

 僕のコンディションは今が一番いいです。週1回のペースでゴルフとテニスをして、合間にジムにも行って、あとは全部仕事。こんな73歳、ほかにいます?

▽くろさわ・としお 1944年、神奈川県生まれ。64年、東宝映画第4期ニューフェイスに合格し、66年の初主演映画「ひき逃げ」で一躍脚光を浴びる。俳優のほか、歌手、バラエティー番組、CMでも活躍。トークショー、ディナーショー、学園祭などの出演も数多くこなしている。著書に「二流の芸能人が、何度がんになっても笑って生きている理由」(講談社)などがある。