【仰天野球㊙史】#17
終戦の日本は復員兵の生き方が大きな問題だった。プロ野球界も同じで、復員選手の意思を尊重し、復帰希望者は速やかに選手登録をした。兵役に就いたときに所属していたチームがなくなっていた選手には新興球団に入れるよう便宜を図った。
それと並行して行われたのが「戦地からの引揚者援護資金」を調達するために発売した“野球くじ”だった。戦後2年目の1946(昭和21)年のことで、日本勧業銀行(みずほ銀行の前身)が扱った。名称は「甲種特別宝くじ」。
1枚10円で1等は1000円。最初は6月29日、後楽園球場で売られた。その後「新野球くじ」と名称を変え、西宮球場でも発売された。
くじの内容は、対象となる試合の両軍合計得点の下1ケタの数字と勝利チームを当てるというものだった。
例えば、A軍が4-3でB軍に勝ったとする。その場合、勝利はA軍、スコアの総計は7だから、「A7」が当たりとなる。また、B軍が8-5でA軍を下せば、得点総計13の下1ケタの数字が3となるため、「B3」が当せんとなる。分かりやすい仕組みだった。当せん者には総売り上げの50%を分配したそうである。
この野球くじは1950年で終わった。けれども、人気スポーツの野球は収益を見込める魅力があることから、その後もさまざまな形で発売された。60年代後半には「72年札幌冬季五輪の選手強化、運営費」の名目で、スポーツ紙が独自に行ったこともあった。
プロ野球界も2018年に「スポーツ振興くじ」を企画したが、各方面からの反対で日の目を見なかった。60年代の敗退行為(八百長試合)発覚からの“黒い霧事件”が大きく響いた。サッカーのトトカルチョを横目にするだけだった。
どうしてもプロ野球のくじとなると、八百長試合の危険性がネックになる。選手会ができたのも八百長試合の防止と反社会勢力との付き合いを断つことが目的だった。勝負はトバクに通じる…と。
(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)


プロバイダならOCN















