10日に登場する開星(島根)といえば、野々村直通前監督を思い出す向きも多いだろう。2010年のセンバツ大会で21世紀枠校に敗戦して「末代までの恥。切腹して死にたい」と発言、物議を醸した。その野々村前監督の教え子で、現在、チームの指揮を執る山内弘和監督(41)は学校職員。いわゆる「請負監督」にその実態や待遇を聞いた。

■仕事は土木業

 ――事務職員として監督をされている。

「はい、教員免許はない。開星では平成12(2000)年6月ごろからボランティアでコーチをしてました」

 ――仕事は別にやっていたんですか?

「仕事は土木業。その仕事が終わってから、毎日夕方5時半か6時にグラウンドに上がって、監督の手伝いをやっていました。当時は誰もコーチがいなかった。(1993年に)俺らが出てから一度も甲子園に出ていなくて、母校が弱いのが悔しかった」

 ――日中は建設現場で仕事を?

「重機を持って作業したりね。いまだにグラウンド整備は俺がやります」

 ――いわゆる二足のわらじですか?

「ボランティアだったので、コーチとして給料はもらっていなかった。後に甲子園に行ったときは周りから『仕事で給料もらって、開星でもコーチ料もらって』と言われましたね。前監督が酒好きだから週1〜2回、下手したら週3回飲みに行っていて、『お金もらっとるからあんなに飲める』とも言われました。部費から俺にお小遣いが出るとかもないですよ」

 ――収入源は土木の仕事だけと。

「平成18(2006)年にその会社の経営が悪くなって、経営者が代わった。DeNAにいる梶谷の代の夏に甲子園出場が決まった後です。そのときの社長に呼ばれて『おまえのやっていることは趣味だ。甲子園から帰ってきたら話をしよう』と言われて。要はクビです。そのとき一番つらかったのは、女房が養護学校の講師で、契約社員みたいな形だったけど、その年に初めての子供が生まれて。子供が生まれたときは2人とも無職でした」

■「ノルマはまったくない」

 ――無職の期間はどれくらい?

「子供が7月に生まれて、女房は(出産して)3〜4カ月後には仕事に復帰してました。俺は甲子園から帰ってきて9月にクビでしょ。校長兼理事長にクビになったと伝えたら、『11月に寮長として採用して家族で入れる態勢も整える』と言ってくれたんですけど、一軒家を建てたばかりで。だから職員という形でお願いして、翌年(07年)4月に採用していただいた。無職の半年間は俺が子育てしてました」

 ――主夫ですか?

「午前中に子供をみて、昼から半日保育みたいなところに預けて、そこから2〜3時間パソコン教室に通って、その後野球部の練習という生活をしていました。事務職員といってもパソコンも使えんから、女房に『何や、ワードって? エクセルって?』と聞いている状態からスタートした。今は大抵のことなら何とかなるやろという感じになりました」

 ――請負監督としてのノルマや契約期間はあるんですか?

「ノルマはまったくない。前監督を引き継いだ後は『おまえには野々村野球の継承なんてできない』とか、『あの野球は野々村さんしかできない』とか言われたけど、一番大事なのは継承するしないじゃなくて、甲子園に行くこと」

 ――授業の間は何をしているんですか?

「事務です。教員免許がないので、私学の監督の中でもかなり安い方だと思う。いつでも土木の仕事やってやるわと。絶対そっちの方が給料いいですから。でも、好きでやっているから給料よこせとか休みくれとかじゃないけど、甲子園に出てもボーナスは出ない。給料を公開したいくらいですよ」

 ――それならぜひ教えて下さい。

「(年収は)300(万円)ちょっとですよ。2年前まで300いかなかった。奥さんの給料を一度も超えたことがないんですから」