【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】#9

「明日、アメリカに行ってきます」

 僕がこう切り出すと、みな「何をしに?」と怪訝な顔をしたのが印象的でした。

 2007年11月18日に行われたロッテのファン感謝デー。FA宣言をしたのは日本シリーズ翌日の同月2日。それから約半月後にインディアンスとの契約で成田から飛び立ったわけですから、仲間たちが目を白黒させるわけです。FA権の行使をめぐってあることないこと書き立てられ、人に会えばその話題ばかり。うんざりして行使に踏み切ったのですが、代理人を通じて真っ先にコンタクトを取ってきたのがメジャーのクリーブランド・インディアンスでした。

 FA宣言時には「日本、海外を問わず」とは言いましたが、宣言からわずか数日後、本当にメジャー球団からオファーが来るとは思ってもみませんでした。

 僕を球団に推薦したのは当時、インディアンスの駐日スカウトだったネイサン・ミンチー(現・巨人駐米スカウト)。01〜04年にロッテに在籍しており、同じ釜の飯を食った仲間です。大の親日家で、自分の子供に「ダイスケ」と名付けたほど。僕の能力も性格も把握しているので、交渉もとんとん拍子に進みました。正式な話をもらってから渡米まで、確か1週間もかからなかったと思います。日本からメジャーに移籍した選手の中でも、交渉期間はおそらく僕が最短だったんじゃないでしょうか。

■球団には「まだ公表しないでください」

 冒頭のファン感謝デーでは小宮山悟さんや堀幸一さんはじめ、ナインに報告。瀬戸山球団社長や本多球団部部長にも「明日、アメリカに行っていいですか?」と確認をしました。というのもプロ野球選手の契約期間は2月1日から11月30日まで。その期間内に勝手に海外に行くことはできないからです。

 スピード契約にさすがに球団も驚いていましたが、快く承諾してくれました。

「メディカルチェックもあるので、正式に契約が決まったわけではありません。なので、まだ公表しないでもらっていいですか?」

 球団にはこう言って成田に向かったので、空港には当然、メディアもいません。なにせ日本のプロ球団からの誘いもまだない時期でしたからね。僕がインディアンスと契約するなんて誰も知らず、完全にノーマークの中、アメリカに出発しました。

 思いつきのようなFA宣言から決まったメジャー移籍。でも、インディアンスとの契約は決して流されたとか、何となくではなく、それなりの理由があっての決断です。次回はそこからお話ししましょう。 (つづく)

(小林雅英/元プロ野球投手)