プロ野球歴代3位の通算567本塁打を放ったスラッガー、元南海の門田博光氏が突然、この世を去った。74歳。通院中の病院に姿を見せなかったことから、23日に警察官が兵庫県内の自宅を訪ねると、倒れている門田さんを発見。その場で死亡が確認されたという。

 1969年に社会人のクレラ岡山からドラフト2位で南海に入団。身長170センチと小柄ながら、3度の本塁打王、2度の打点王を獲得するスラッガーとして球史に名を残した。79年にアキレス腱を断裂する大けがに見舞われたが、翌年に自己最多の41本塁打をマーク。圧倒的な練習量で脱臼などの故障を克服し、44歳まで第一線で現役を続けた。40歳を迎えた88年には自身初の全試合出場。当時の世界記録となる44本塁打、125打点の二冠を獲得し、史上最年長でMVPに輝いた。

 門田氏は2012年に日刊ゲンダイで「伝説のスラッガー 門田博光の一撃一言」と題した回顧録を27回に渡って連載。その中でこんな逸話を披露している。

【今は3割、20本を打てば、福沢諭吉がどれだけ飛んでくるかわからない。どんどん年俸がアップする。だからケガをしたらいかん、とトコトンまで技術を追求することがなくなった気がする。

 僕は力いっぱいフルスイングして空振りしたとき、吐き気がして球審に「タイム」を要求したことがある。痛くなるほど胃や腸をねじったからだった。

 そんな話も今の選手にとっては、おっさんが何を言ってるのか、でおしまいかもしれんなぁ】

 その連載の1回目では自身のホームラン哲学を開陳。ヒットの延長がホームランという考え方を否定し、こう綴った。

【僕は、ホームランは狙わないと打てない、という考え方を変えなかった。僕はひたすらホームランにこだわり、ホームランを打つスイングをしていた。僕は身長170センチ。田淵さんや大杉さんのような体格はなかった。田淵さんや大杉さんがそう言うのは、体に恵まれているから、と思っていた。

 そして同じ打つなら、二塁手や遊撃手が捕ろうとジャンプした当たりが、そのままスタンドに飛び込む打球のホームランを打ちたいと思っていた。そういう考えでやってきたからこそ、40歳で44本、通算567本を打てたのだと思う】

近年は現役時代から患っていた持病の糖尿病と闘っていた門田さん。稀代のスラッガーに合掌。